三好政権とは? わかりやすく解説

三好政権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/04 13:53 UTC 版)

三好政権(みよしせいけん)は、天文18年(1549年)から永禄11年(1568年)まで存在した、戦国時代日本武家政権である。同時代における他の戦国大名の地方政権とは大きく異なる中央政権であったと言われる[1]。そのため、織田政権に先立つ統一政権の先駆的な存在であると評価されることもある[注釈 1][2]


注釈

  1. ^ 天野忠幸は「プレ統一政権」と表記

出典

  1. ^ 今谷 & 天野, pp. 17–18.
  2. ^ 天野 2010, pp. 344–345.
  3. ^ 天野 2015, p. 59-60.
  4. ^ 馬部 2018, pp. 618-621・665-667・688-704.
  5. ^ 馬部 2018, pp. 705–719.
  6. ^ a b 今谷, p. 227.
  7. ^ 今谷 & 天野, p. 169.
  8. ^ 天野 2015, pp. 62–63.
  9. ^ 今谷 & 天野, p. 173.
  10. ^ a b 天野 2014, p. 133.
  11. ^ a b 天野 2014, p. 134.
  12. ^ 長江, p. 229.
  13. ^ 古野貢『中世後期細川氏の権力構造』吉川弘文館、2008年、286-287 ,307-308頁。 
  14. ^ 天野 2010, pp. 83, 344–345.
  15. ^ 水野嶺「義輝の政治活動とその原因」『戦国末期の足利将軍権力』(吉川弘文館、2020年) ISBN 978-4-642-02962-9 P115-118・125.
  16. ^ 小山, 天野忠幸「十河一存と三好氏の和泉支配」.
  17. ^ a b c d e f 今谷 & 天野, p. 17.
  18. ^ 今谷 & 天野, p. 18.


「三好政権」の続きの解説一覧

三好政権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 14:07 UTC 版)

三好康長」の記事における「三好政権」の解説

系譜従えば、父・長秀が没したとされる永正6年1509年)には誕生していたと推測されるが、正確な生年不詳三好氏一門衆で、甥に当たる宗家当主三好長慶従い、その弟で阿波国主の三好実休仕えて篠原自遁加地盛時と共に実休の家臣として活動した三好本貫地である阿波拠点とする。 永禄元年1558年)に長慶京都郊外室町幕府13代将軍・足義輝細川晴元対峙した際は実休ら四国勢先鋒として畿内上陸永禄3年1560年3月長慶・実休兄弟和解仲介役を果たし河内遠征でも実休の名代として長慶対面した永禄5年1562年3月久米田の戦い同年5月教興寺の戦いなどで活躍した同年の実休の死後拠点河内高屋城前進させ、他の家臣団協力して実休の遺児三好長治支えた一方で茶人として活動見られ津田宗達・宗及父子茶会に度々出席している。 永禄7年1564年)の長慶死後三好宗家家督大甥に当たる三好義継長慶の甥)が相続したが、三好三人衆松永久秀敵対して家中分裂すると、康長は三人衆側に同調した永禄9年1566年2月の上戦い参戦し5月に久秀が侵入した堺を三人衆と共に包囲した。しかし、翌永禄10年1567年2月に義継が突如三人衆の下から逃れて高屋城から脱出し、堺へ赴き久秀と手を結ぶ。康長と安見宗房も義継に従って久秀側へと一時的に鞍替えしたが、すぐに反目永禄11年1568年2月には三人衆担いだ14代将軍・足利義栄の将軍就任祝賀会考えられる宴会出席してその頃には義継の元を去っている。この宴会には、阿波三好家大軍率い篠原長房参加しており、康長・三人衆らは同年6月松永方の細川藤賢が守る大和信貴山城落し9月には筒井順慶結んで多聞山城を落とすなどして、松永勢を追い込んだ。 「信貴山城#信貴山城の戦い」も参照 この頃茶会において咲岩の法名使用がすでに見られる

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三好政権

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越水城」の記事における「三好政権」の解説

越水城は、三好氏本国阿波畿内とを結ぶ重要な拠点であり、天文8年(1539年)8月には、元長の子三好長慶居城としている。天文10年9月伊丹城伊丹親興越水城攻め寄せた長慶はこれを撃退している(太平寺の戦い)。 六角義賢の書状 この書状は、天文21年1552年5月29日近江六角義賢当時越水城三好長慶送った書状江口の戦い長慶によって京を追われ細川晴元六角義賢仲介によって和解した。その条件は、晴元出家し息子聡明丸(後の細川昭元)に家督継ぎ成人するまで高国の子細川氏綱管領職を任せるという内容であった。この書状内容は、仲介役を果たした義賢聡明丸の処遇長慶相談したものになる書状の2行目に「越水帰陣」という記載見受けられる。その書状届いた後、聡明丸は越水城移動することになる。 天文22年1553年長慶居城を京に近い芥川山城移し越水城には松永久秀置いたその後松永久秀滝山城改修し長慶招いた三好長慶死後は、芥川山城入った三好長逸三好三人衆)と松永久秀反目し永禄9年1566年2月東大寺大仏殿の戦いにおいて、松永方の瓦三河守越水城となっていたが、永禄9年1566年6月阿波讃岐軍勢引き連れた三好家重臣篠原長房により落城し、その居城となった。この時、足利義栄(後の14代将軍)が9月23日越水城入城し12月5日には摂津富田総持寺に、同月7日には普門寺入っている。

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三好政権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 04:57 UTC 版)

伊丹親興」の記事における「三好政権」の解説

天文10年1541年9月細川晴元命令により、その重臣三好長慶摂津越水城主)が三好政長摂津榎並城主)、池田信正摂津池田城主)らと旧高国であった摂津一庫城塩川政年を攻めると、親興や三宅国村摂津三宅城主)は一庫城攻撃不当性を将軍足利義晴直訴し、木沢長政救援依頼。親興自身援軍向かった為、三好長慶らは一庫城攻囲解き同年9月29日越水城退却した一庫城戦い)。この戦い三好長慶木沢長政太平寺の戦い発展した天文14年1545年)には、細川晴元三好長慶協力して細川氏綱細川高国の子)と戦った天文17年1548年)末、三好長慶主君細川晴元叛旗翻すと親興は晴元味方した。翌天文18年1549年6月三好長慶三好政長破り細川晴元敗走させ(江口の戦い)、伊丹城囲んだ。しかし親興は城を守り通し、翌天文19年1550年3月遊佐長教仲介和睦した永禄元年1558年)、六角義賢三好政勝三好政長の子)、香西元成と共に足利義輝奉じて上洛を図ると、親興は池田勝正松永久秀三好長逸と共に三好長慶元に陣している。 永禄5年1562年5月三好長慶畠山高政との教興寺の戦いでも親興は、三好方として戦っている。 永禄7年1564年三好長慶病死し三好三人衆松永久秀三好義継の間で権力争いが始まると親興は久秀に味方し永禄9年1566年5月摂津池田城池田勝正攻撃している。しかし、同年6月11日兵庫浦に上陸した三人衆方の阿波三好氏讃岐十河氏軍勢率い篠原長房攻撃を受け、同年8月17日松永久秀西摂拠点であった滝山城落城すると、翌9月5日に親興も三好三人衆下った東大寺大仏殿の戦い)。

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