ヴィマ・タクト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/04 09:49 UTC 版)
ヴィマ・タクト(Vima Takto[1]、生没年不詳)は、クシャーナ朝の第2代君主。クジュラ・カドフィセスの子。ヴィマ・タクトゥ(Vima Taktu)とも表記される。また、『後漢書』にある閻膏珍(えんこうちん)[2]が彼にあたるとされる。
- ^ ヴィマ・タクト(Vima takto)の名前は碑文の摩滅によって正確にはわからず、名前の最後を「to」と読む説は確定的ではない。
- ^ 子のヴィマ・カドフィセス説や、兄弟のサダシュカナ(Sadashkana)説がある。
- ^ 原文では「月氏」。中国史書ではクシャーナ朝のことを大月氏の延長として「大月氏」・「月氏」と呼び続けた。
- ^ 子のヴィマ・カドフィセスか、兄弟のサダシュカナか、もしくは別の人物か。
- ^ この時のクシャーナ軍は総勢7万で、亀茲国にまで侵攻してきた。
- 1 ヴィマ・タクトとは
- 2 ヴィマ・タクトの概要
- 3 生涯
- 4 参考資料
- ヴィマ・タクトのページへのリンク