ンタレ5世とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ンタレ5世の意味・解説 

ンタレ5世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/20 22:24 UTC 版)

ンタレ5世
Ntare V
ブルンジ国王
1966年
在位 1966年7月8日 - 11月28日

全名 Charles Ndizeye Mwambutsa
シャルル・ンディゼイェ・ムワンブツァ
出生 (1947-12-02) 1947年12月2日
ルアンダ=ウルンディ
ブルンジ王国ギテガ
死去 (1972-04-29) 1972年4月29日(24歳没)
ブルンジギテガ
家名 ントウェロ家
王朝 ガンワ朝
父親 ムワンブツァ4世
母親 バランパライェ
テンプレートを表示

ンタレ5世フランス語: Ntare V1947年12月2日 - 1972年4月29日)は、ブルンジ王国国王ツチ人。ムワンブツァ4世の第2王子。1961年に暗殺されたルイ・ルワガソレ英語版王太子は異母兄。王位につくまではシャルル・ンディゼイェ(Charles Ndizeye)王子として知られていた。1966年7月から11月までブルンジ国王の座についていたが、クーデターによってその地位を追われブルンジ最後の国王となった。

生涯

スイスル・ロゼに留学し教育を受けた。1966年7月の反乱によって父王ムワンブツァ4世が退位した後を受けて19歳で摂政となり、同年即位した[1]。 しかし、政治の実権はミシェル・ミコンベロ首相によって握られ、ンタレ5世には名目的な権力しか残っていなかった。さらに同年11月28日、ミコンベロはクーデターを起こして王制を廃止し、ンタレ5世は西ドイツへと亡命した。

1972年4月、ンタレ5世はブルンジへと帰国したが、すぐにミコンベロによってギテガの自宅へと軟禁された。さらに、ンタレ5世の帰還と時を同じくしてフツ族の大規模な反乱が始まり、その混乱の中でンタレ5世は殺害された[2]。この反乱はミコンベロの手によって鎮圧され、約15万人が虐殺された。

脚注

  1. ^ 片山正人『現代アフリカ・クーデター全史』叢文社 2005年 p160 ISBN 4-7947-0523-9
  2. ^ 片山正人『現代アフリカ・クーデター全史』叢文社 2005年 p277 ISBN 4-7947-0523-9



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ンタレ5世」の関連用語

ンタレ5世のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ンタレ5世のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのンタレ5世 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS