漢文訓読
(ヲコト点 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 10:11 UTC 版)
漢文訓読(かんぶんくんどく)とは、漢文の語順構成を維持しながら、訓点を付して日本語の文体に置き換えて読解すること。
- ^ 『大辞泉』小学館。
- ^ 寺島良安『倭漢三才圖會』(復刻版)吉川弘文館(原著1906年11月21日)。
- ^ 渡部温 編『標註訂正・康煕字典』講談社(原著1991年)。
- ^ “『官報』第8630号、明治45年3月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)”. 2024年1月19日閲覧。
- ^ 佐川繭子「「漢文教授ニ関スル調査報告」の基礎的研究」, 二松学舎大学21世紀COEプログラム「日本漢文学研究の世界的拠点の構築」 (14), pp.45-62, 2019年3月
- ^ 金 文京『漢文と東アジア—訓読の文化圏』岩波書店(原著2010年8月20日)。ISBN 9784004312628。
- ^ Tsukimoto, Masayuki (2000年10月31日). “大東急記念文庫蔵続華厳経略疏刊定記巻第五の訓点について”. 鎌倉時代語研究. 2019年12月14日閲覧。
- ^ 月本雅幸 (2010-08-20). “大東急記念文庫蔵続華厳経略疏刊定記巻第五の訓点について”. 鎌倉時代語研究 2019年12月14日閲覧。.
- ^ 平安時代の式部省大学寮、博士職が用いたもの
- ^ 日本の漢字1600年の歴史. ペレ出版. pp. 141-142. ISBN 9784860643003
- ^ レ点が字の左上に書かれるのだから、右掲例のようにレ点とその他の返り点とが重なる場合、なぜレ点が下になるかがわかる。例では「矛」の左上にあるレ点と「與」の左下の一点とが重なっている。レ点が字の左下に書かれるなどとする説明が『大辞泉』『大辞林』などの「返り点」の項目でなされるが、誤りである。また、レ点とその他の返り点が重なっている場合、その点が「一レ点」「上レ点」などと一つの返り点であるかのように説明されることもあるが、これも誤りである。
- ^ 明治45年(1912年)3月の「漢文教授に関する文部省調査報告」より転載
- ^ ただし19世紀の一部の図書では行末に返り点があるという。
- ^ 沢田総清『漢文教授法概説』芳文堂、1937年、漢文訓読法 -131頁。
- ^ 「吾日三省二吾身一」と訓点を施し「吾日に三たび吾が身を省みる」と読まれることもある。先ほどとは順序が異なっていることに注意。
- ^ 古田島 2012 157頁
- ^ a b 古田島 2012 158-160頁
- ^ 古田島 2012 161頁
- ^ “Kanbun | The Unicode Standard” (PDF). 2017年7月30日閲覧。
- ^ リンク先のウィキソースではテクストが異なるため、「盾」を「楯」につくる。
- ^ ここで「與」(新:与、拼音: )は連詞として「Aト與(と)レB」の形で使われる場合、「與」字がひらがなになおされて「AとBと」と書き下される。
- ^ 「者」を「もの」と読む訓読ではわかりにくいが、「者」は短語をつくる結構助詞であってこれ自体が名詞ではない。「鬻~矛者」でひとつの名詞性短語である。また、訓読では謂詞「有」の主語が「鬻~矛者」であるかのように誤解されるかもしれないが、実際には主語は「楚人」であって「鬻~矛者」は賓語である。したがって句式は第一句式SVではなく第二句式SVOである。このように訓読が白文の構造を保たない場合がある。
- ^ 中国語には時制がないので、訓読にはそれが現れないが、訳するときに文脈から補うことになる。ただ、例句の場合、原文ではこのあとに「譽(ほ)メテレ之(これ)ヲ曰(い)ハク~」と句が途切れないから、気にしなくて良い。
- ^ [1]
- ^ 古田島洋介『これならわかる返り点』
- ^ 石塚、2001,小助川,2012
- ^ 明治時代には、漢文のように英語を訓読していたというのは本当ですか
- ^ [2]
- ^ a b c 土田 2014, p. 6.
- ^ a b c d 土田 2014, p. 7.
「ヲコト点」の例文・使い方・用例・文例
- 漢文訓読のためのヲコト点の図
- ヲコト点のページへのリンク