ワスプ_(CV-7)とは? わかりやすく解説

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ワスプ (CV-7)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/18 04:44 UTC 版)

ワスプ (USS Wasp, CV-7) は、アメリカ海軍第二次世界大戦で運用した航空母艦。アメリカ海軍においてワスプ[注釈 1]の名を受け継いだ艦としては8隻目にあたる[注釈 2]。 同型艦はない[6]ワシントン軍縮条約制約下で建造された[7]ヨークタウン級航空母艦を若干縮小した艦型で[8]日本海軍蒼龍と同級の中型空母であった[9][10]


  1. ^ ちなみに艦名のワスプとはジガバチ(穴蜂)及びスズメバチの意味で、広義に肉食の大型の全般を指す。蜂を語源とした空母には、ホーネット(USS Hornet, CV-8 及び USS Hornet, CV-12)も挙げられる。
  2. ^ 本艦沈没後、9代目としてエセックス級航空母艦ワスプ (USS Wasp, CV-18) 、10代目としてワスプ級強襲揚陸艦ワスプ (USS Wasp, LHD-1) が就役した。
  3. ^ a b 米空母の造艦史[33](中略)その後、ワシントン會議の結果廢棄すべき巡洋戰艦を改造して作つたのが、レキシントン、サラトガの二大空母であつた。この兩艦も大東亞開戰後レキシントンは一九四二年一月十二日ハワイ西方六〇〇浬の海上で、サラトガは珊瑚海々戰においてヨークタウンと共に帝國海軍の手で撃沈されたが、その性能は排水量三三,〇〇〇トン、電氣推進機速度卅四ノット、搭載機平時八〇、戰時一三五等最新科學の粹を集め、米の對日進攻作戰における大きなホープであつた。(中略)その後、一九三一年にはレーンジヤーが起工され、次いで一九三四年には條約量一杯の建艦を目指す第一次ヴィンソン案に基きエンタープライズヨークタウンの二隻が起工された。即ち、この兩艦に既存のサラトガ、レキシントン、ラングレー、レーンジヤを加え條約量の十三萬五千トンに近い十三萬二千〇〇トンの空母陣が形成されることとなつた。
     然るに、支那事變勃發に對するアメリカの緊急措置として、條約量二割増加を企圖した第二次ヴインソン案により、空母陣は更に二隻四萬トンを加へることとなり、ホーネットエセックスの兩艦が起工された。これより先ラングレーの代艦として一九三六年にワスプが起工され、三九年十二月に就役してゐる。/次いで一九四〇年に至り東亞情勢の緊迫に備へて空母陣の増強を主とする第三次ヴィンソン案が計畫され、ボンホーム・リチャードイントレピットキャセージの三隻が起工されることとなつた。
  4. ^ レキシントン級各1隻の排水量は36,000トン(2隻で72,000トン)だが、対外的には33,000トンと発表した[21]
  5. ^ 三、航空母艦(英国略)(二)米國[28] 昨年一九,九〇〇噸ノ「ヨークタウン」「エンタープライズ」ノ二隻進水シ「レインジャー」ト略同噸數ノ「ワスプ」起工セラレタリ/「ヨークタウン」ハ「レインジャー」ノ擴大型ニシテ艦型艤装共「レインジャー」ニ類ス、本艦ヨリ一般用電源ハ巡洋艦「クインシイ」驅逐艦「マハン」同様四五〇ボルド交流トナレリ/「ワスプ」ハ「レインジャー」ノ使用實蹟ニ鑑ミ計畫セラレ、排水量ハ略「レンジジャー」ニ等シキモ船体主要寸法ハ著シク相違シ特ニ長サガ短縮セラレタリ、コレ「レインジャー」ノ復原性能ノ不良ニ鑑ミシモノト解スルヲ傳ベシ
  6. ^ 日本海軍も14,500トン級中型空母2隻を建造する予定だったが、軽空母龍驤(8,000トン)がロンドン軍縮条約で規制枠に盛り込まれ、保有枠は21,000トンになった[30]。そこで②計画で10,500トン級の軽空母2隻を建造することにした[31]。これが蒼龍飛龍である[31]
  7. ^ 蒼龍は1934年(昭和9年)11月20日起工、1935年(昭和10年)12月23日進水、1937年(昭和12年)12月29日に竣工した[35]。蒼龍の公試排水量は18,800トン(公表値は基準排水量10,050トン)[35]、速力34.3ノット[36]、常用機54(艦上戦闘機18、艦上爆撃機18、艦上攻撃機18)と補用9機(艦戦3、艦爆3、艦攻3)であった[37]。飛行甲板は長さ216.9m×幅26.0m、エレベーター3基であった[10]
  8. ^ イギリス海軍イラストリアス級航空母艦は36機(最大でも50機)[38]コロッサス級航空母艦は約50機だが25ノットしかでない[39]。日本海軍主力空母の場合、珊瑚海海戦からミッドウェー作戦時の5隻(赤城蒼龍飛龍翔鶴瑞鶴)は各艦とも常用機数54機(艦戦18、艦爆18、艦攻18)と補用9機であった[37]
  9. ^ レキシントン級空母の大型空母サラトガ、ヨークタウン級のエンタープライズホーネット。アメリカ海軍は大西洋艦隊に空母レンジャーを配備していたが、同艦の防御力は脆弱で、太平洋戦線への投入を躊躇せざるを得なかった[50]
  10. ^ a b 第百六十八条コンミユニケ[61] “航空母艦ワスプ號は九月十五日敵潜水艦の攻撃を受けて南太平洋で撃沈された 母艦は攻撃を蒙つた後五時海上に浮かび、同方面に敵がゐなくなつて沈没した 以上の理由により敵がワスプ號の沈没を知らずにゐる可能性がある限り、發表を遅らせてゐたものである ワスプ號は戰隊と共に南太平洋に出動、グワダルカナル島に對する増援軍ならびに物資の輸送掩護に從事中の九月十五日午後二時十五分頃魚雷を受けた、魚雷三個は艦内の火藥庫、ガソリンタンクの附近に命中し、随所に多數の爆發と大火災を生ぜしめた/ 鎭火に努めること三時間後火焔を鎭壓し得ないことが明かとなつで來たので、離艦の必要を生じた、攻撃を蒙つてから五時間後、米驅逐艦は炎上中の艦體に魚雷を發射して海底に屠つたのであつた/敵の魚雷が命中してから約十五分後、大爆發が起つてワスプ號を揺がし、次いで格納庫、甲板の附近で爆發を生じた、火災を鎭壓し得ないで約三時間後離艦を必要とするに至つた、午後八時頃、鎭火と同艦を救ふ總ての望みは放棄され、米驅逐艦の魚雷をもつてワスプ號を撃沈した/ワスプ號乗組員の約九割は救助され、死傷者の近親者にはその旨通知が發せられた”(記事おわり)
  11. ^ 書類上では8番機まで存在したが、実際は5機であったという[67]
  12. ^ 米國海軍頭痛の種 建艦大遅延 新建艦七十九隻いずれも六ヶ月乃至八ケ月[73](中略)大艦は更に遲々 小艦艇の工程に比し大艦は遲々たるものあり、航空母艦ヨークタウン號は十一月完成の豫定であつが、明春三月に延び、同く母艦エンタープライズ號は七割五分の工程にあるも豫定より五ケ月方遲延、同くワスプ號はキールを据へた儘の状態で明春四月に至らざれば着手し得ず、甲級巡洋艦ビンセンネス號は八割五分の工程にあり、明春一月には竣工すべく巡洋艦ウチタ號は四ケ月遲れる豫定である(記事おわり)
  13. ^ アメリカ合衆国は1939年9月5日に中立を宣言した[41]
  14. ^ 10月17日、SC48船団を護衛中のアメリカ駆逐艦カーニードイツ海軍 (Kriegsmarine) のUボートU-568)が雷撃して撃破した[77]。10月31日にはHX156船団を護衛していたアメリカ駆逐艦ルーベン・ジェームズ (ヘイウッド・L・エドワーズ艦長) をU-552が撃沈した[78]
  15. ^ 戦艦ミシシッピと並んで碇泊するワスプの写真がある[80]
  16. ^ ミュージカント著『戦艦ワシントン』52頁ではワスプの搭載機をSBDドーントレス急降下爆撃機と記述するが[84]、同時期のワスプが搭載していたのはSB2U ヴィンディケイターであったという。
  17. ^ 4月末の時点で、6機[46]もしくは7機しか残っていなかった[101]
  18. ^ 〔 二.「ミツドウエイ」方面ノ敵情(ハワイ方面、ミッドウェー基地略)[108](ニ)敵空母中「レンヂヤー」ハ大西洋方面ニ在ルモノゝ如シ捕虜ノ言ニ依レバ「レキシントン」ハ撃沈セラレタル如キモ西岸ニテ修理中ト言ヘルモノアリ/(ホ)太平洋方面ニハ「エンタープライズ」「ホーネツト」存在スル外「ワスプ」ノ存否ニ関シテハ確證ヲ得ズ/(ヘ)特空母ハ六隻程度完成半数ハ太平洋方面ニ存在ノ算アルモ劣速ニテ積極的作戰ニ使用シ得ズ(以下略) 〕
  19. ^ 珊瑚海海戦の速報ではヨークタウン型空母1隻撃沈だったが、のちに撃破と判断を訂正した[106]
  20. ^ 護衛空母ロングアイランドなど特設空母も既に竣工していたが、低速のため積極的作戦には投入できなかった[108]
  21. ^ 文献によっては「ノイエス少将」と記述する[120]。ノイズ少将はフレッチャー少将より先任だったが、7月15日付でフレッチャーが中将に昇進し、立場が逆転した[121]。またターナー少将(第62任務部隊)とノイズ少将(第18任務部隊)は、ワシントン海軍省勤務時代に対立したことがあった[121]
  22. ^ 第一次ソロモン海戦(サボ島沖海戦)時の第61任務部隊[52]:戦艦ノースカロライナ、空母サラトガ、エンタープライズ、ワスプ、重巡ミネアポリスニューオーリンズポートランドソルトレイクシティサンフランシスコ、軽巡アトランタ、駆逐艦16隻。
  23. ^ 第一次攻撃隊(爆弾装備の一式陸攻27、零戦17機)のうち喪失(陸攻5、零戦2)[131]。第二次攻撃隊(九九艦爆9)のうち、空戦で2機喪失、3機不時着救助、4機未帰還[132]
  24. ^ 新田丸級貨客船から空母に改造された八幡丸の公試排水量は20,000トンで、8月31日付で「雲鷹」と改名した[136]
  25. ^ 米軍情報部は「B-17が発見したのは、航空機輸送任務に従事している特設航空母艦の笠置丸もしくは姉妹船」と考えていた[134]
  26. ^ 陸攻18未帰還、陸攻5機被弾、零戦1機未帰還[139]
  27. ^ 加古1号機[145]:山本薫 飛曹長(操縦)、山口三郎 二飛曹(偵察)、小椋広春 三飛曹(電信)[146]
  28. ^ その様子を、ワスプに便乗していたAP通信の前線特派員クラーク・リーが著書『彼等はそれを平和と呼ぶ』(They Call It Pacific) で描写している[152]
  29. ^ フレッチャー中将はノイズ(ノイエス)少将に「雷撃機来襲の可能性と戦闘機数の減少にかんがみ空母の即時撤退勧告を行わんとす、貴官の意見知らせ/現行の作戦を継続する場合、明日の艦上機発進収容海域は本日と同海域を使用すべきと信ず、貴官の意見知らせ」と勧告した(事実上の命令)[157]
  30. ^ 三川中将は「敵空母群がソロモン付近にいなかった事を知っていれば、引き返して輸送船団や橋頭堡を攻撃しただろうが、戦後になってわかったことで結果論にすぎない」と回想している[164]。大前敏一参謀は「敵空母部隊の交信が旗艦鳥海で盛んに聞こえており、敵空母群至近距離と判断していたので躊躇なく離脱を決めた」と回想している[165]
  31. ^ 一木大佐直率の先遣隊は駆逐艦6隻で8月18日深夜から19日未明にかけて、ガ島に先行上陸した[175]。だが一木支隊先遣隊は[176]8月21日イル川渡河戦で壊滅した[177]
  32. ^ SBDの空襲で軽巡神通が中破、輸送船金龍丸が沈没、B-17の爆撃で駆逐艦睦月が沈没した[189][190]
  33. ^ サン・クリストバル島レンネル島エスピリトゥサント島サンタクルーズ諸島を結ぶ珊瑚海
  34. ^ この日、伊31と第27駆逐隊第1小隊(時雨白露)がヌデニ島に設置されていた連合軍飛行艇基地に艦砲射撃をおこなっていた[220]。また特設水上機母艦國川丸と駆逐艦春雨が東方哨戒隊として、南緯0度53分 東経164度58分 / 南緯0.883度 東経164.967度 / -0.883; 164.967地点で飛行偵察をおこなっていた[221]
  35. ^ 日本時間午前9時10分報告〔 「ツラギ」ノ123度45浬 空母1 戦艦2 駆逐艦2 針路85度 速力20節 十三日〇九一〇 〕[222]
  36. ^ 木俣滋郎著『連合軍艦艇撃沈す』32頁の第18任務部隊編成では、空母ワスプ、重巡サンフランシスコ、ソルトレイクシティ、軽巡サンファン、ジュノー、駆逐艦6隻とする[219]。だがこの時期の軽巡サンフアンは、修理のため戦線を離脱していた。
  37. ^ 伊19の報告では魚雷4本命中[229]。『ニミッツの太平洋海戦史』125頁など、一部の二次資料では魚雷2本命中とする[59]
  38. ^ 近藤部隊と南雲部隊を発見したPBYのうち、1機は瑞鶴の零戦が撃墜した[239]。連合軍側はB-17部隊で近藤部隊を爆撃し[239]、重巡妙高が軽微な被害を受けた[240]
  39. ^ 環礁を発進した別の零式水偵は、日本時間13時5分にSBDドーントレス2機と遭遇、1機を撃墜した[242]。着水後、乗組員は伊122に回収され、機体は放棄された[242]
  40. ^ 日本時間午前8時45分報告〔 レンネル島東端から98度38浬に貨物船1、駆逐艦1/その北東10浬に空母1、駆逐艦2、いずれも針路150度速力24節 〕[243]。日本時間午前9時10分報告〔 レンネル島東端から99度157浬に駆逐艦5、貨物船5/その後方に更に駆逐艦1、貨物船5(いずれも6,000~8,000トン級)針路330度速力12節 〕[244]
  41. ^ この二式飛行艇[244]、15日午前4時15分にショートランド泊地を出撃した機体であった[245]
  42. ^ 伊19は魚雷4本が命中したと報告した[248]
  43. ^ 5本発射した魚雷のうち[236]、2本が不発だったという[251]
  44. ^ ◎海軍日の凶報と米紙欺く/米官用電 ワシントン廿十八日發/米空母ワスプ號喪失に關するニユーヨーク・タイムス紙の社説=海軍紀念日の前夜、斯かる発表が行はれねばならなかつたことは誠に悲しむべきである。併しながら事實を抑へて發表しないことによつて何等益する所はない。ワスプ號を攻撃した敵艦艇が遂に我が驅逐艦の遮斷線を突破し得て自國側の港に歸還の後右戰果を報告し得なかつたことは殆ど疑ひない所であり若し無事に歸還し得たなら日本は斯る勝利を放送してさぞ嬉しかつた事であらう。然るにワシントンが同船の喪失を是認した翌日までは日本はワスプのワの字さへも言い出さなかつたのである[262]
  45. ^ (西南太平洋に於て帝国海軍に撃沈された米國航空母艦ワスプ號)[263] 空母ワスプがわが海軍により撃沈されたことは敵米海軍にとりて度重なる大痛棒であつたらしくノツクス米海軍長官も全く塞ぎ込んでしまつたといふ。それに新鋭驅逐艦ジヤービスと輸送船リツツルがソロモン海で同時に撃沈された、而してその乗組員の大半が溺死したとの報を入れて、米海軍省は全く火の消えた如く泣面に蜂どころの騒ぎでなく、周章狼狽その極みに達したと外電は報じてゐる、ジャーヴィス號は三十六ノット半の快速力を有する米國自慢の驅逐艦であつた。(ソロモン海戰に於て撃沈された米驅逐艦ジヤーヴイス(千五百噸)
  46. ^ 新「ワスプ」は1943年(昭和18年)8月17日に進水した[265]
  47. ^ 空母レキシントン(1942年5月8日、珊瑚海海戦)、空母ヨークタウン(1942年6月8日、ミッドウェー海戦)、空母ワスプ(1942年9月15日、ガ島作戦)、空母ホーネット(1942年10月26日、南太平洋海戦)。

脚注

  1. ^ #ウォスプ起工 p.2(中略)to、inform Your Excellency that the keel of the U.S.S. WASP was laid on April 1,1936(以下略)
  2. ^ a b c 大内、幻の航空母艦 2006, p. 30.
  3. ^ U.S. Aircraft Carriers: An Illustrated Design History、p. 393
  4. ^ a b アメリカの空母(学研), p. 188
  5. ^ Conway's All the World's Fighting Ships 1922-1946、p. 103
  6. ^ 福井、世界空母物語 2008, pp. 70–74米海軍の空母
  7. ^ #ウォスプ起工 p.1
  8. ^ 福井、世界空母物語 2008, p. 8(空母ワスプ写真および解説)
  9. ^ 福井、世界空母物語 2008, pp. 246–2450世界最大の空母保有量を誇った米海軍
  10. ^ a b 戦史叢書43 1971, p. 160参考(空母の飛行甲板の大きさ)
  11. ^ a b 南方圏要覧 1942, p. 209(原本398頁)米國〔大西洋艦隊〕○航空艦隊
  12. ^ a b Spitfire 1971, p. 139a米空母で48機輸送
  13. ^ Spitfire 1971, pp. 141–142補充するとすぐ空襲
  14. ^ 連合軍艦艇撃沈す 2013, pp. 32a-36伊号第一九潜水艦
  15. ^ 戦藻録 1968, pp. 190–192(1942年)九月十五日 火曜日 晴 驟雨 遂にガ島陸戰總攻撃の不成功。ワスプ撃沈
  16. ^ 潜水艦百物語 2018, pp. 149–151(30)米空母「ワスプ」撃沈
  17. ^ 帝国潜水艦 1943, pp. 105–107(原本203-207頁)(一六)米航空母艦「ワスプ」撃沈
  18. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, p. 22第1表、ワシントン条約で決定した各国の航空母艦保有量
  19. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, pp. 290–299レンジャー(RANGER)
  20. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, pp. 28–32第2章 大戦勃発までの各国の航空母艦建造計画とその実際/アメリカ
  21. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, pp. 36–38軍縮会議と各国の実情
  22. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, p. 291.
  23. ^ #列国海軍造艦技術(昭和10年) pp.13-15〔 三、航空母艦(1)一般事項/(3)米國 
  24. ^ 日本空母vs米空母 2008, pp. 12a-13アメリカ海軍の空母建造
  25. ^ 福井、世界空母物語 2008, p. 7(空母ヨークタウン写真および解説)
  26. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, p. 295.
  27. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, p. 25.
  28. ^ a b #列國海軍造艦趨勢(昭和12年) pp.10-11
  29. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 41.
  30. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, pp. 40–45日本
  31. ^ a b 大内、幻の航空母艦 2006, p. 41.
  32. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, p. 29.
  33. ^ 細川、米海軍 1944, pp. 53–55(原本85-88頁)
  34. ^ 福井、世界空母物語 2008, p. 248.
  35. ^ a b #艦船要目公表範囲(昭和16年6月30日) p.18〔 艦名:蒼龍|艦種:航空母艦|長(米):209.84|幅(米):20.84|喫水(米):5.02|排水量(噸)(基準):10,050|速力(節):30.0|短艇數:11|製造所:呉工廠|起工年月日:昭和9-11-20|進水年月日:10-1-23(本当は12月23日進水)|竣工年月日:12-12-29|主要兵装/大砲:12.7c/m高角砲12|發射管 探照燈|機械/種類:「タルビン」/數:4|罐/種類:艦本式/數:4|推進器數:4|馬力:60,000|備考 〕
  36. ^ 戦史叢書43 1971, p. 138各艦の主要要目
  37. ^ a b 戦史叢書43 1971, p. 136参考(主力空母六隻の搭載機数の変動状況)
  38. ^ 福井、世界空母物語 2008, p. 11(空母ヴィクトリアス写真解説)
  39. ^ 福井、世界空母物語 2008, p. 12(空母グローリー写真解説)
  40. ^ アメリカの空母(学研), p. 107
  41. ^ a b c ワイルドキャットエース 2001, p. 6.
  42. ^ 連合軍艦艇撃沈す 2013, pp. 27–29地中海作戦
  43. ^ a b Photo gallery of USS WASHINGTON at NavSource Naval History
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  49. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, pp. 118–122米海軍、ミッドウェイで幸運の勝利
  50. ^ アメリカの空母(学研), p. 98
  51. ^ 連合軍艦艇撃沈す 2013, pp. 29a-32太平洋へ
  52. ^ a b サボ島沖海戦 1998, p. 307〈付録〉(II)サボ島沖海戦時におけるフレッチャー機動部隊の勢力
  53. ^ a b マッキンタイヤー、空母 1985, pp. 122–124"台風の眼" ガダルカナル
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  56. ^ a b c 戦史叢書83 1975, pp. 11–12連合軍の状況
  57. ^ a b ニミッツ 1962, p. 121.
  58. ^ 日本空母vs米空母 2008, pp. 63–651942年8月、東部ソロモン海戦(第二次ソロモン海戦)
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