日活ロマンポルノ
ロマンポルノ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 04:14 UTC 版)
日活がソフトコアな成人映画のジャンル"ロマンポルノ"製作に集中する決定をくだした時、小原はその変更に関心を持たなかった。日活所属の他の監督や俳優の多くはポルノ映画で仕事するよりはスタジオを去ることを選んだが、小原はスタジオに残り、監督する機会を狙った。最初のロマンポルノ映画『団地妻 昼下りの情事』で西村昭五郎監督のチーフ助監督を務め、翌年に全盛期の映画『情炎お七恋唄』で監督としてデビューする。1973年の『女子大生 SEX方程式』の成功で、日活で一番忙しい監督となった。小原は1980年代半ばごろまで日活で集中して働き、42本を監督、そのうち4作は日活の興行収入トップテンに入っている。 彼のスタイルを要約すると、ワイザーはこのように語っている。「小原監督は日活の最も低評価な作り手の一人だったが、90年代後半に、ようやく彼のポップアートへの進出が認知された…。彼は疑いなくスタジオの中で最も物知りな監督であり、常に現代の音楽や流行や時事ネタを伝統的なピンク映画の形式に織り交ぜていた。」 小原は多ジャンルでピンク映画を監督し、その才能が認められるようになった。SMのジャンルでは『檻の中の妖精』(1977年)、『修道女 濡れ縄ざんげ』(1979年)で成功する。長谷部安春監督の『レイプ25時 暴姦』に次ぐ"激しいピンク映画"が作られなくなった後、小原は『ズームアップ 暴行現場』(1979年)でそのジャンルを復興させた。彼は監獄の女性の映画『女囚』シリーズや、カトリックの修道女の映画『修道女ルシア 辱<けが>す』(1978年)、『修道女 濡れ縄ざんげ』(1979年)を監督。風刺映画『愛の白昼夢』(1980年)、OLのセックスコメディ『バックが大好き!』(1981年)、ピンクSF映画『桃子夫人の冒険』、ピンクミュージカルコメディ映画『OH!タカラズカ』(1982年)などを監督。評論家ジャスパー・シャープは小原の代表作に1978年の成人式の話『桃尻娘 ピンク・ヒップ・ガール』とその続編『桃尻娘 ラブアタック』『桃尻娘 プロポーズ大作戦』を挙げている。 彼は日活を代表する女優(いずれも団鬼六原作『檻の中の妖精』、『縄地獄』、『幻想夫人絵図』などの谷ナオミなど)と共に仕事をした。暗い映画をいくつか撮った後、1978年に小原は明るい『桃尻娘』の三部作の製作を開始した。高校生活と大衆音楽を中心にした作りで、それら映画は男女問わず人気となった。
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