ループレヒト1世 (プファルツ選帝侯)とは? わかりやすく解説

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ループレヒト1世 (プファルツ選帝侯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/10 09:18 UTC 版)

ループレヒト1世
Ruprecht I.
プファルツ選帝侯
ループレヒト1世と妃たち
在位 1356年 - 1390年
別号 ライン宮中伯
在位 1353年 - 1390年

出生 (1309-06-09) 1309年6月9日
神聖ローマ帝国
バイエルン公領ヴォルフラーツハウゼン英語版
死去 (1390-02-16) 1390年2月16日(80歳没)
神聖ローマ帝国
プファルツ選帝侯領ノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセ
埋葬 神聖ローマ帝国
プファルツ選帝侯領ノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセ、聖堂参事会教会
配偶者 エリザベート・ド・ナミュール
  ベアトリクス・フォン・ベルク
家名 プファルツ家
父親 上バイエルン公兼ライン宮中伯ルドルフ1世
母親 メヒティルト・フォン・ナッサウ
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ループレヒト1世(Ruprecht I., 1309年6月9日 - 1390年2月16日)は、ライン宮中伯(在位:1353年 - 1390年、プファルツ選帝侯としては1356年 - 1390年)。上バイエルン公兼ライン宮中伯ルドルフ1世ローマ王アドルフの娘メヒティルトの四男。アドルフルドルフ2世の弟。

生涯

3番目の兄ルドルフ2世の死により1353年にライン宮中伯を継承した。ライン宮中伯はカール4世金印勅書によって1356年に神聖ローマ帝国の7人の選帝侯の1人に定められたため、以後はプファルツ選帝侯と呼ばれる[1]

1386年ハイデルベルクに帝国で、プラハ大学ウィーン大学に次ぐ3番目の大学であるハイデルベルク大学を創立した[2]。この大学は、ループレヒトの名を冠した「ループレヒト・カールス大学ハイデルベルク」(Ruprecht-Karls-Universität Heidelberg)が現在の正式な名称である。

1350年ナミュール侯ジャン1世の娘エリザベート(1330年 - 1382年)と結婚したが、1382年にエリザベートに先立たれ、1385年ベルクヴィルヘルム1世の娘ベアトリクス(1360年 - 1395年)と再婚した[2]。どちらの結婚でも子供は生まれず、1390年に80歳で死去した後、選帝侯位は甥で2番目の兄アドルフの子ループレヒト2世が継承した。

脚注

  1. ^ Volker Rödel: Ruprecht I., der Ältere. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 22, Duncker & Humblot, Berlin 2005, ISBN 3-428-11203-2, S. 288 f. (電子テキスト版).
  2. ^ a b Jakob Wille (1889), “Ruprecht I.” (ドイツ語), Allgemeine Deutsche Biographie (ADB), 29, Leipzig: Duncker & Humblot, pp. 731–737 
先代
ルドルフ2世
ライン宮中伯
1353年 - 1390年
(1356年以後は選帝侯)
次代
ループレヒト2世



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