ルネ・アルヌー(フランス)
1970~80年代に活躍したフランス勢のひとり。デビュー2年目の73年にフォーミュラ・ルノーでタイトルを奪い、74年にはF5000に参戦。再度フォーミュラ・ルノーを戦ったあと、76年にはワークスのマルティニ・ルノーでF2にステップアップ。78年のベルギーGPでマルティこからF1にデビュー。だが、彼の活躍が認められたのは79年にルノーに移籍してから。先輩格のJ-P.ジャブイーユとともにターボエンジンの開発に精を出し、歴史的な初優勝こそ先輩に譲ったものの、ルノーに在籍した4年間で7回の優勝と14回のポールを奪っている。83年にG.ビルヌーブの後任としてフェラーリに移籍、その後、毎年のようにエンジンが変わっていったリジェで89年まで参戦した。F1の通算成績は149戦7勝。
ルネ・アルヌー
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ルネ・アレクサンドル・アルヌー(René Alexandre Arnoux, 1948年7月4日 - )は、フランス人の元レーシングドライバー。F1グランプリ通算7勝を挙げている。
注釈
- ^ 初のポールトゥーウィンでもあった。
- ^ ジル・ヴィルヌーヴが死去、ディディエ・ピローニが両足複雑骨折で戦線離脱。
- ^ 「最悪のエンジンだ。ピットアウトすることもできない」と発言。
- ^ アルファロメオがアルヌーの発言を契約破棄の口実にしたとの説もある。アルファはシーズン直前にフィアットに買収されており、リジェへは新開発の直4ターボ、オゼッラへは従来のV8ターボと、違うエンジンでの2チーム供給となること、またフィアット傘下のフェラーリがF1に参戦していたこともあり、フィアットは1チーム減らしたい意向があった。結局アルファはF1撤退となったため、オゼッラはアルファよりエンジンを譲り受け、独自に改良して1988年まで使用し続けた。
- ^ BMW直4ターボのカスタマーエンジン。
- ^ アルヌーとの契約締結が成らなかったプジョーは、ケケ・ロズベルグと、アルヌーとの関わりも長いジャン=ピエール・ジャブイーユの2名と契約しWSPCに参戦を開始した。
- ^ これに対し、中嶋は「GPの偉大な先輩にあんな失礼なあだ名を付けるなんて」と苦言を呈していた。
- ^ JAF(日本自動車連盟)ライセンスではない外国ライセンスドライバーはポイント対象外。
出典
- ^ 『F1全史 1981 - 1985』(ニューズ出版、1992年)p.96。
- ^ a b ついにGP引退のアルヌー、来シーズンはWSPCプジョー入りか グランプリ・エクスプレス オーストラリアGP号 28頁 1989年11月25日
- ^ a b Michel Têtu 2/2 – Les inédits de «Pilote et Gentleman» Classic Courses 2022年1月1日
- ^ グランプリ・エクスプレス '87年日本GP号 8頁 山海堂 1987年11月15日発行
- ^ 『誰も知らなかったF1の舞台裏バトル』、講談社、1992年10月28日、111頁。
- ^ 1985 Macau Grand Prix Racing On 2月号 1986年2月1日発行
- ^ 初めてサーキットに現れた中嶋二世はすっかり人気者に、アルヌーを見て笑顔 Nakajima in SPAIN GPX '87スペインGP号 7頁 1987年10月15日発行
映像資料
- ^ A special day in Maranello with René Arnoux. Ferrari. 1 October 2021.
- ^ On Board René Arnoux - Grand Prix Monaco Historique 2021. Automobile Club de Monaco. 25 April 2021.
- ^ René Arnoux: "Vi racconto Ferrari, Alboreto, Villeneuve e... Digione '79". Motorsportcom Italia. 27 October 2019.
- ^ René ARNOUX Con Gilles Villeneuve eravamo amici... Automoto.it. 20 September 2021.
- 1 ルネ・アルヌーとは
- 2 ルネ・アルヌーの概要
- 3 レース戦績
- 4 脚注
固有名詞の分類
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