ルイジ・ビロレージ(イタリア)
兄のエミリオに次いで、1930年代初めからレースを走るようになった。エミリオがミーミと呼ばれたのに対してルイジの愛称はジージ。兄はアルファロメオに乗り(39年にアルフェッタ158をモンツァでテスト中に事故死)、弟のほうは49年半ばまでマセラティを走らせた。フェラーリ・チームに属するようになってからは、初期にはジュゼッぺ・ファリナ、のちにはアルベルト・アスカーリというチャンピオン・ドライバーがエースとして君臨していたために、ビロレージはナンバー2のポジションを与えられた。だが、ミレ・ミリアでは、51年にフェラーリ・ビニアーレ・クーぺで、レース初期にフロント左をクラッシュさせながら優勝している。50年代半ばに幾度かクラッシュ、負傷したことでレースから引退したが、長寿をまっとうしたために80年代後半から90年代初めのヒストリック・ミレ・ミリアでは、ゲストとして招かれ、盛んにサインを求められる姿が見られた。
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