リチャード・ブラントン
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リチャード・ヘンリー・ブラントン(Richard Henry Brunton, 1841年12月26日 - 1901年4月24日)は、イギリスのスコットランド出身の土木技術者で、明治政府に灯台建設主任技術者として雇われ、明治初期の灯台建設を指揮した。勤務していた7年6ヶ月の間に灯台26(下記の一覧参照)、灯竿5(根室、石巻、青森、横浜西波止場2)、灯船2(横浜港、函館港)などを設計した。このため「日本の灯台の父」と讃えられている。
- ^ スティーヴンソン事務所はトーマスとデヴィッドの二人の兄弟を中心にした技術事務所で、政府から北方灯台局 (Northern Lighthouse Board) の管理運営を任されていた。このトーマスの長男が『宝島』などで名高い小説家ロバート・ルイス・スティーヴンソンである。
- 1 リチャード・ブラントンとは
- 2 リチャード・ブラントンの概要
- 3 参考文献
固有名詞の分類
イギリスの技術者 | クリストファー・コッカレル トーマス・ニューコメン リチャード・ブラントン ウィルフレッド・ストークス ギャビン・フィッシャー |
イギリスの建築家 | ノーマン・フォスター トーマス・ウォートルス リチャード・ブラントン アーキグラム パトリック・アバークロンビー |
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