ラグビーニュージーランド代表
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ラグビーニュージーランド代表(英語: New Zealand national rugby union team)は、ニュージーランドのラグビーユニオンナショナルチーム。愛称は「オールブラックス」 (英語: All Blacks)。エンブレムはシルバー・ファーン(シダの葉)。
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- ^ “ALL BLACKS - Trademark Details” (2019年10月3日). 2019年10月15日閲覧。
- 1 ラグビーニュージーランド代表とは
- 2 ラグビーニュージーランド代表の概要
- 3 歴史
- 4 世界ランキングと成績
- 5 選手
- 6 個人記録
- 7 ニックネーム
- 8 エピソード
ラグビーニュージーランド代表
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「ジョン・カーワン」の記事における「ラグビーニュージーランド代表」の解説
1984年から1994年までラグビーニュージーランド代表(オールブラックス)に選出される。1984年6月のフランス戦、当時19歳6か月でオールブラックスデビュー。オールブラックスとして通算96試合に出場(そのうちテストマッチ63キャップ)、67トライ(そのうちテストマッチ35トライ)を積み重ねる。 ラグビーワールドカップ1987(第1回W杯)でクレイグ・グリーンと同数でトライ王に輝き、優勝に貢献。開幕戦の対イタリア戦では、192センチ、92キロの巨体で90メートルを独走しラグビー史に名を残す伝説のトライを決める。ニュージーランドラグビー100周年記念ベストオールブラックスフィフティーンにも選出された。1987年秋にはオールブラックスの一員として来日しており、この来日でのテストマッチ第2戦では当時世界一の大型フィニッシャーと評価されていたカーワンの落球から日本は1つだけトライを挙げている。
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