ユージェニア・チャールズとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 政治家 > 海外の政治家 > ドミニカ国の政治家 > ユージェニア・チャールズの意味・解説 

ユージェニア・チャールズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/08 16:30 UTC 版)

1985年、国際連合にて

デイムユージェニア・チャールズDame Eugenia Charles, DBE, 1919年5月15日 - 2005年9月6日)は、ドミニカ国政治家セント・ルーク教区ポワント・ミシェル出身[1]。同国第3代首相(1980年7月23日 - 1995年6月14日)を務めた[2]。また、同国史上初の女性弁護士女性首相である。

経歴

1968年に政界入りを果たすと、保守政党ドミニカ自由党英語版(DFP)を共同で立ち上げ、初代党首としてドミニカの独立を支持した。1978年の独立後初となる1980年総選挙英語版では同党が勝利し、首相に就任した。チャールズは社会福祉プログラムの開始や経済政策の成功によって人気を獲得し、首相を3期15年務めた。これは女性首相ではインディラ・ガンディーインド)、シリマヴォ・バンダラナイケスリランカ)に次いで長い[3]

チャールズは妥協のない姿勢で汚職を撲滅し、民主主義報道の自由を守る活動を行った。就任当初はこうした活動が周囲から反発を招き、パトリック・ジョン英語版前首相が支援したクーデター未遂に2度もあった。1度目は1981年のレッドドッグ作戦で、アメリカ合衆国およびカナダからクー・クラックス・クランなど白人至上主義者を武装させた上で、ボートで上陸しチャールズを排除、ジョンが復権するというフィリバスターであった。しかしニューオーリンズで準備中に連邦捜査官が実行グループを逮捕したことで実行されることはなかった。2度目はドミニカ国防軍兵士フレデリック・ニュートン英語版らによるもので、こちらも失敗に終わった。一連のクーデター未遂事件を支援したパトリック・ジョンは懲役刑となり、2度目の主犯であったニュートンは死刑判決を受け1986年に処刑された。

また最も議論を呼んだのは1983年のグレナダ侵攻であった。グレナダでは1979年にクーデターが発生し、人民革命政府英語版が成立。人民革命政府は議会を解散し、イギリス式民主主義を否定した。1983年10月13日に人民革命政府内でクーデターが発生し急進派が政権を握ると、チャールズは東カリブ諸国機構の緊急会合で民主主義の危機を訴え、グレナダへの侵攻を参加国およびアメリカに訴えた。アメリカの大統領ロナルド・レーガンと共に侵攻を支持する演説をした映像が残っている。結果的にアメリカ・東カリブ連合軍は10月25日よりグレナダへ侵攻を行い、人民革命政府を転覆させた。

保守的かつ強気な姿勢はイギリスの女性首相マーガレット・サッチャーを彷彿させ、「カリブの鉄の女 (Iron Lady of the Caribbean)」と呼ばれた[4]

脚注

  1. ^ Mary Eugenia Charles DBE”. インナー・テンプル. 2021年9月14日閲覧。
  2. ^ Dominica”. Worldstatemen.org. 2021年9月14日閲覧。
  3. ^ Eugenia Charles”. ロンドン大学. 2021年9月14日閲覧。
  4. ^ The Iron Lady of the Caribbean at LSE: remembering Dominica’s Eugenia Charles 100 years after her birth”. LSE (2019年6月20日). 2021年9月14日閲覧。
公職
先代
オリヴァー・セラフィン英語版
ドミニカ国首相
第3代:1980 - 1995
次代
エディソン・ジェームズ英語版




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ユージェニア・チャールズ」の関連用語

ユージェニア・チャールズのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ユージェニア・チャールズのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのユージェニア・チャールズ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS