モズライトとは? わかりやすく解説

モズライト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 15:18 UTC 版)

モズライト「ベンチャーズ」モデル

モズライト(Mosrite)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ベーカーズフィールドに本拠を置いていたギター楽器メーカー。1950年代前半に元リッケンバッカーの社員であったセミー・モズレーによって創設され、幾度の倒産を経ながらも1994年前半まで存続していた。

沿革

ギター製作習得と創業

セミー・モズレーロサンゼルス近辺にて1952年ごろからギター製作を開始、その後リッケンバッカー工場で勤務し、欧州からもたらされたルシアー(弦楽器製作家)の技術を現在ギター製作に導入したドイツ系の移民ロジャー・ロスマイズル(Roger Rossmeisl)から習得した。同時期にダウニーにて初めてソリッドボディーのギターを製作し、トレモロ・ユニットを発明したポール・ビグスビー(Paul Bigsby)からもギター製作技術を習得した。

ジョー・メイフィスダブルネック・モデル

1954年にセミーは自宅ガレージでトリプルネックギターを製作。他に製作したダブルネックギターをジョー・メイフィス(Joe Maphis)に提供。1956年に地元の投資家でもある牧師より協力を受け、兄と共同でギター製作会社「モズライト(Mosrite of California)」を起業。「モズレー」の名と投資家の牧師「ボートライト」の名を合わせて「モズライト」とした[1]

セミーはリッケンバッカーの同僚に社外でギターを製作していることをしゃべり、それが元でリッケンバッカー社から解雇される。

創業当時はすべての生産はカスタムメイドで、ガレージや納屋での手作りであった。

成功と倒産

1959年に兄アンディはテネシー州ナッシュビルに移り、増販に挑戦したが少数しか売れなかった。 1951年までロサンゼルスにて生産を続け、少し北のオイルデールに移る。そこで1962年にダブル・ネックのジョー・メイフィス・モデルを設計、弟子のラリー・コリンズにも同モデルを提供。ベンチャーズ・モデルはマークIからマークV、マークX(ベース)、マークXII(12弦)と1963年からベンチャーズとのライセンス契約が終了する1967年まで、フルラインのシリーズとなる。1968年のピーク生産時は月600本のギターを生産していた。

モズライト「ベンチャーズ」II (1965年、スラブ・ボディー型)再発版ジョニー・ラモーン仕様
モズライトジョー・メイフィスダブルネック (1968年)

モズライトは1968年末に競合社と契約した後、倒産。その後は直接小売店と契約をし、1969年に工場のドアが施錠されるまで280本のギターを販売した。倒産2年後、モズレーはモズライトの名を買い戻し、1970年にはギター製作を再開。その後1970年度半ばにオクラホマ州に、 1981年にノースカロライナ州に、1991年にアーカンソー州に移動。

モズレーはギター製作には長けていたが、基礎的な事業運営力に欠けており、1960年代から1970年代にかけて何度も事業的に困難に陥りながら自ら製作を継続していた。ほとんどの商品はモズライトの評判が高かった日本への輸出であった。セミー・モズレーは1992年に死去。

日本での事業継続とその後

モズライト・ギターは特有のデザイン、音質から多くのギタリストに愛用され、ベンチャーズ加山雄三寺内タケシの影響で特に日本で人気を博しグループ・サウンズ期にも需要があった。1968年5月には日本のファーストマン社と正式なライセンス契約が結ばれ、Avengerモデルが発売された。Avenger(復讐者)のネーミングは、当時の日本ではモラレスES-300やES-500を筆頭にさまざまなコピーモデルが氾濫していたので、それらに対する「復讐」の意味があったと言われている。

1970年代の後半から、パンクバンド、ラモーンズのギタリスト、ジョニー・ラモーンが愛用していたこともあり、今も多くの若者に支持されている。

後に、1980年代末に、ノースキャロライナ州ジョナスリッジに(この工場は火災による被害を受けている)、そして晩年はアーカンソー州ブーンヴィルに移転し、モズレーが設立したユニファイドサウンド社が生産を行っていたが、1992年にモズレーが死去すると4番目の妻のロレッタ・モズレーが経営を引き継いだ[2]ものの、1994年に倒産した。ちなみに、元ユニファイド社のスタッフやフィルモア側の証言によると、ロレッタ夫人は倒産後、ブーンヴィルの工場を引き払ってネバダ州のカーソンシティに転居してしまった。

1976年からモズライト代理店として営業して来た日本のフィルモア楽器(1976年6月創立)がモズレーの死後、浮いた商標を再取得し、東海楽器製造及びアメリカ国内のギターメーカーに製造を委託してモズライトとして販売している。

前述のようにベンチャーズ全盛期にはセミー・モズレーとも親交のあった日本のファーストマン社(前述)が、モズライトの許可を得て日本製モズライトギター(モデル名:Avenger)を生産していたが、1969年に米モズライト社の倒産の煽りを受けて昭和44(1969)年 7月にヒルウッドに名称変更しギター製作から撤退した。その際、ファーストマン社の下請け会社であった黒雲製作所がAvengerやベンチャーズモデルなどの生産を続けていたため、商標使用の権利を巡って前述のフィルモア楽器が訴訟を起こしたが東京地方裁判所(平成19(ワ)5022)において双方共に正式な商標権を持たないことが確認された。

その後もロレッタ未亡人がモズライトの主権を主張し、京都府に工房を設け、かつてモズライトの工場に勤務しているクラフツマンを迎えてモズライトギターの受注生産を開始した。これにより現状ではフィルモア製モズライトと黒雲製作所製、そしてロレッタが設けた工房製の三種類があることになり、さらに2009年6月15日、ロレッタ・モズレー側が(株)フィルモア及びアメリカでのモズライトのディストリビューターである"Ed Roman Guitars"社を相手取り、「モズライト」の所有権を改めて明確にすることを求め、アメリカ合衆国連邦裁判所に対し提訴、正式にロレッタ未亡人がモズライトの版権[要出典]を取得した。

なお日本における直近のモズライト商標に関する継承者は、亡くなったモズライト創設者の一人で、モズライトギターを考案したセミー・モズレーの未亡人ロレッタ・モズレーである、と東京地方裁判所は述べた。これまで排他的にモズライト商標を行使できると目されていた株式会社フィルモア(東京都武蔵野市)は、1審で完全に敗訴した形になっている。   

著名なユーザー

脚注





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「モズライト」の関連用語

モズライトのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



モズライトのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのモズライト (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS