メッシーナ地震
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メッシーナ地震[3](伊: Terremoto di Messina del 1908; 英: 1908 Messina earthquake)[注釈 1]は、1908年12月28日にイタリア南部のシチリア島からカラブリアにかけて発生した地震。モーメントマグニチュード(Mw)7.1の地震とそれに伴って生じた津波により、震源域となったメッシーナ海峡に面した大都市メッシーナとレッジョ・ディ・カラブリアは壊滅的な被害を受けた。犠牲者の数には諸説あり、8万2000人とも、10万人以上とも推定されている。近代ヨーロッパにおいて最悪の犠牲者を出した地震である。
注釈
- ^ このほか、「メッシーナ=レッジョ地震」(英: 1908 Messina and Reggio earthquake[4]; 伊: Terremoto di Messina e Reggio del 1908[5])や、「カラブリア=シチリア地震」(伊: Terremoto calabro-siculo del 1908[5])、「メッシーナ海峡地震」(英: Messina Straits earthquake[2])、「カラブリア南部地震」(伊: Terremoto della Calabria meridionale)[1]に相当する名称も用いられる。
- ^ Rizzo は、メッシーナ観測点への地震波到達時刻である午前5時20分27秒(現地時間、UTC+1)を地震発生時刻とみなした[2]。イタリア国立地学火山学研究所のデータもこの時刻が用いられている[1]。ただし、Pino (2009) はこの数値の正確性に疑問を呈しており、本文中での地震発生についての叙述では時刻を示さず、単に「早朝」(Early in the morning)とのみ記している[2]。
- ^ 宇津徳治「世界の被害地震の表」では、マグニチュード7.0としている[3]。また、マグニチュード7.2[5][7]、7.5[6]などとも推計される。Pino (2009) はさまざまな推計値について表にまとめている。
- ^ 「かつてレッジョ・ディ・カラブリアで教鞭をとったこともあるジュゼッペ・メルカリは、現地のあまりの被害に大きさに衝撃を受け、メルカリ震度にXIを追加した」[8]とも語られるが、実際にはメルカリ震度階級はこの地震以前に12階級として設定されている。
- ^ 「15万人いたメッシーナの人口がわずか数百人になり、イタリア全国では20万人が死亡した」[6]とも語られる。
- ^ Pino[2]らが引用する、Guidoboni E., G. Ferrari, D. Mariotti, A. Comastri, G. Tarabusi and G. Valensise (2007), CFTI4Med, Catalogue of Strong Earthquakes in Italy (461 B.C.-1997) and Mediterranean Area (760 B.C.-1500). INGV-SGA
- ^ 1800年以降2010年のハイチ地震までに、5万人以上の死者を生じた地震は世界で12件あるが、その中では唯一のヨーロッパの地震である[3]。
出典
- ^ a b c d “1908 12 28 04:20:27 Calabria meridionale”. INGV Database Macrosismico Italiano 2004 (DBMI04). INGV. 2014年6月25日閲覧。。イタリア国立地球物理学火山学研究所(INGV)の地震データベース。出典として、Boschi E., Guidoboni E., Ferrari G., Valensise G. and Gasperini P. (eds.), 1997. Catalogo dei forti terremoti in Italia dal 461 a.C. al 1980, vol. 2. ING-SGA, Bologna, 644 pp. が示されている。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab Pino, N.A.; Piatanesi, A.; Valensise, G.; Boschi, E. (2009). “The 28 December 1908 Messina Straits Earthquake (Mw 7.1): A Great Earthquake throughout a Century of Seismology” (PDF). Seismological Research Letters 80 (2): 243–259. doi:10.1785/gssrl.80.2.243 2014年6月24日閲覧。. 同誌を発行する Seismological Society of America がウェブ上で公開しているウェブコラム Historical Seismologist でもHTML形式で閲覧可能。Nicola Alessandro Pino らはイタリア国立地学火山学研究所(Istituto Nazionale di Geofisica e Vulcanologia)所属。研究史が整理されている。
- ^ a b c d e 「1800年以降に世界で5万人以上の死者を生じた地震の一覧」、“平成22年1月13日のハイチの地震について” (PDF). 気象庁 (2010年2月5日). 2014年6月23日閲覧。宇津徳治の「世界の被害地震の表」による、としている。なお、「世界の被害地震の表」は国際地震工学センターのサイトにおいて検索可能とされている。
- ^ Santini A. & Moraci N., ed (2008). 2008 Seismic Engineering Conference: Commemorating the 1908 Messina and Reggio Calabria Earthquake (AIP Conference Proceedings). American Institute of Physics. ISBN 978-0-7354-0542-4 2011年12月30日閲覧。 ※
- ^ a b c d e f g “Messina - Reggio Calabria 1908”. Istituto Nazionale di Geofisica e Vulcanologia(イタリア国立地学火山学研究所). 2014年6月25日閲覧。
- ^ a b c d “People & Events Messina Earthquake”. American Experience. PBS(米国公共放送サービス). 2014年6月25日閲覧。
- ^ a b “The world's worst natural disasters Calamities of the 20th and 21st centuries”. CBC News(カナダ放送協会) (2010年8月30日). 2014年6月25日閲覧。20世紀以降に大きな被害をもたらした自然災害の一覧表。一覧表全体の出典として U.S. Geological Survey, World Health Organization, Associated Press, disasterrelief.org, NOAA, Guinness World Records, Oxfam.を挙げている。
- ^ a b c d e “After Europe’s worst natural disaster Reggio Calabria commemorates its 1908 earthquake victims”. Calabria Living. 2014年6月25日閲覧。
- ^ Tarr, Ralph Stockman; Martin, Lawrence (1914). College Physiography. New York, New York: The Macmillan Company. pp. 413 ※
- ^ a b c Mowbray, Jay Henry (1909). Italy's Great Horror or Earthquake and Tidal Wave ※
- ^ “Messina Earthquake Awards”. North East Medals. 2014年6月25日閲覧。
- ^ On the cause of the 1908 Messina tsunami, southern Italy ※
- ^ “Documentario fotografico sulla città di Messina - fine "ottocento", terremoto 1908, prima fase della ricostruzione. (Messina 2008)”. Comune di Messina. 2014年6月25日閲覧。
- 1 メッシーナ地震とは
- 2 メッシーナ地震の概要
- 3 救援活動
- 4 原因
- 5 関連項目
メッシーナ地震
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「レッジョ・ディ・カラブリア」の記事における「メッシーナ地震」の解説
詳細は「メッシーナ地震」を参照 1908年12月28日午前5時21分、レッジョは大地震に見舞われた。近代西ヨーロッパにおける最悪の地震として記録されているメッシーナ地震である。 レッジョの震度は改正メルカリ震度で X - XI と推定され、揺れは31秒にわたって続いた。壊滅的な地震から逃れ、海岸の空き地に避難した人々は、地震発生から10分後に到達した津波にのみこまれることになった。 6–12m の津波は三波にわたって市街を襲い、沿岸部は壊滅した。海峡を越えたメッシーナで犠牲者6万5000人(住民の42%)を出したことで知られる地震であるが、レッジョでも2万5000人(住民の27%)とされる膨大な犠牲者を出した(なお、この地震の犠牲者数については諸説ある)。 地震後、市街は近代的な水準での再建が行われた。1911年に Pietro De Nava は直線道路が直交する都市計画を立て、現在の都市のレイアウトを生み出している。一方、都市計画には歴史的建築の保護という観点を重視しておらず、旧市街地にあったノルマン人の城の最後に残された一角が1923年に解体されている。
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