ミハイル・ボトヴィニクとは? わかりやすく解説

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ミハイル・ボトヴィニク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/06 23:44 UTC 版)

ミハイル・ボトヴィニク
1961年当時のミハイル・ボトヴィニク
フルネーム Михаил Моисеевич Ботвинник
ソビエト連邦
ロシア
生誕 (1911-08-17) 1911年8月17日
ロシア帝国 クオッカラフィンランド語版
死没 (1995-05-05) 1995年5月5日(83歳没)
ロシア モスクワ
タイトル 第7、9、11代公式世界チャンピオン
世界選手権 1948年 - 1957年
1958年 - 1960年
1961年 - 1963年
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ミハイル・モイセエビッチ・ボトヴィニクМихаи́л Моисе́евич Ботви́нник、Mikhail Moiseyevich Botvinnik、1911年8月17日 - 1995年5月5日)は、ソビエト連邦チェスの選手。チェスの世界チャンピオン1948年 - 1957年1958年 - 1960年1961年 - 1963年)である。工学者でもあった。

生涯

フィンランドクオッカラフィンランド語版(ボトヴィニクの誕生時及び2015年現在はロシア領)生まれ。12歳の時にチェスを覚え[1][2]、20歳の時にソ連チャンピオンとなった。その一方で工学の分野でも21歳で電気工学設計士、26歳で工学博士となった。

1948年マックス・エーワサミュエル・ハーマン・レシェフスキーパウリ・ケレスワシリー・スミスロフを加えた5人で、FIDE自身が初めて開催した公式世界チャンピオンの決定大会が行われ、ボトヴィニクはこれに優勝しチャンピオンとなった[1][2]1957年にスミスロフに敗れたが翌年のリターンマッチでタイトルを奪還[1][3]1960年ミハイル・タリにタイトルを奪われるが翌年のリターンマッチで再びチャンピオンに返り咲く[4][5]1963年チグラン・ペトロシアンにチャンピオンの座を奪われ、世界選手権戦から引退[5][6]1970年にすべての公式大会から引退した。

ボトヴィニクは、24局制の世界選手権マッチ(同点の場合はチャンピオンの引き分け防衛)を7度戦った。その中で、防衛戦として戦った5回のうち、1951年の対デービッド・ブロンシュタイン戦と1954年の対スミスロフ戦はともに12-12の引き分け防衛[2]、他の3回すなわち前述の1957年の対スミスロフ戦[3]1960年の対タリ戦[5]1963年の対ペトロシアン戦は敗退している[5]。すなわち、ボトビニクは防衛戦において一度も“勝利”したことがない[2]

競技においては、盤上・盤外ともあらゆる面について徹底した準備を行なうことで知られた。その経験を活かして後には後進の指導にあたり、カルポフカスパロフクラムニクの3人の世界チャンピオンをはじめ多数のトッププレイヤーを育てた。また引退後は電気工学者としての経験から、初期のチェス・コンピュータ・プログラムの開発にも貢献し、ソ連の計画経済への人工知能の応用を構想する活動などを行った[7]

参考文献

脚注・出典

  1. ^ a b c 『図解 早わかりチェス』、186頁。
  2. ^ a b c d 『チェス小百科』、59頁。
  3. ^ a b 『チェス小百科』、59-60頁。
  4. ^ 『図解 早わかりチェス』、186-187頁。
  5. ^ a b c d 『チェス小百科』、60頁。
  6. ^ 『図解 早わかりチェス』、187頁。
  7. ^ Andy Soltis『Mikhail Botvinnik: The Life and Games of a World Chess Champion』248頁




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