マルコマンニ戦争とは? わかりやすく解説

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マルコマンニ戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 20:21 UTC 版)

マルコマンニ戦争(マルコマンニせんそう、ラテン語: bellum Germanicum[1] ベッルウム・ゲルマニクム)は、162年から始まったローマ帝国の北方国境で発生した戦争の総称。主要な敵対勢力であったマルコマンニ人からこのように呼ばれるが、彼らはあくまで参加勢力の一派に過ぎない。戦いの最中でマルクス・アウレリウス帝は病没、180年に後を継いだコンモドゥス帝によってローマ側に有利な和睦が結ばれて戦争は終結した。




  1. ^ Historia Augusta, Marcus Aurelius, 12, note 92
  2. ^ Meditations, Book 1, at the Internet Classics Archive
  3. ^ BBC: Past pandemics that ravaged Europe, 7 November 2005
  4. ^ Historia Augusta, Lucius Verus, 9.7-11
  5. ^ Cassius Dio, LXXII.8-10
  6. ^ Cassius Dio, LXXII.13-14
  7. ^ Cassius Dio, LXXII.16
  8. ^ A branch of the Sarmatians, the Iazyges were much prized as heavy, or "cataphract", cavalry
  9. ^ Historia Augusta, Marcus Aurelius, 24.5


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マルコマンニ戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/21 05:06 UTC 版)

マルコマンニ」の記事における「マルコマンニ戦争」の解説

詳細は「マルコマンニ戦争」を参照 紀元2世紀マルコマンニクアディヴァンダルサルマタイといった周辺民族同盟関係を結び、ローマ敵対するようになった。これはゴート族のようなより大規模な民族動き刺激されたものと見られている。歴史家エウトロピウスによれば皇帝マルクス・アウレリウス率いる軍がパンノニアカルヌントゥム要塞3年マルコマンニ同盟戦ったエウトロピウスはこの戦争マルクス・アウレリウス勝利をポエニ戦争比較している。この戦争ローマ史上重要な転換点であり、ここからローマ帝国衰退始まったという意味で、この比較適切だった。この戦争プラエトリアニ司令官が2名戦死している。マルコマンニウィンドボナカルヌントゥム攻めたことがきっかけとなり166年戦争始まったマルコマンニ側はパンノニアノリクム国境線あたりを侵しFlavia Solva を荒廃させ、アドリア海面したアクイレイアにまで迫った戦争マルクス・アウレリウス亡くなった180年まで続いたローマが一応勝利したが、得たものは少なかった。それでも、滅亡までローマ帝国ドナウ川国境線として維持した

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マルコマンニ戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:22 UTC 版)

マルクス・アウレリウス・アントニヌス」の記事における「マルコマンニ戦争」の解説

詳細はマルコマンニ戦争を参照 コルネリウス・フロントの子息オウフィディウス・ウィクトリアヌスはゲルマニア・スペリオル総督として滞在ゲルマニア地方の諸族に対す外交政策一任されていた。ウィクトリアヌスはゲルマニア地方防備極めて粗雑な状態にあると報告した辺境要塞多く破壊され中欧北欧では動乱兆し見られ駐屯軍指揮官階級腐敗しつつあった。 しばしばアウレリウス時代総督達は経験ではなく縁故主義によってアウレリウスとその王朝ネルウァ=アントニヌス朝)と親し人物から任命された。ルキウス・ダスミウス・トゥッリウス・トゥスクス(L. Dasumius Tullius Tuscus)はハドリアヌス帝親族で、経験豊富であったパンノニア総督ノニウス・マクリヌス(Nonius Macrinus)の後任となった。下パンノニア総督無名人物ティベリウス・ハテリウス・サトゥルニヌス(Ti. Haterius Saturnius)が務めていた。ラッリウス・バッスス(Iallius Bassus)がルキウス帝のアンティオキア陣地訪れた時、マルクス・セルウィリウス・ファビアヌス・マクシムス(M. Servilius Fabianus Maximus)は上モエシア総督から下モエシア総督へと転任した後任の上モエシア総督にはポンティウス・ラエリアヌス(Pontius Laelianus)の息子派遣された。西方防備弱まる一方で、下パンノニア至って軍団一つ配置されていなかった。 160年代ゲルマニアそれ以外の地域に住む諸民族各地ローマ国境への侵入試みるようになり、特にドナウ川流域では全域わたって蛮族攻撃繰り返された。この動きは恐らく、より遠方サルマティアなど)での動乱影響したものと考えられている。最初に始まった162年カッティ族による攻撃ゲルマニア・スペリオル駐屯軍によって撃退された。しかし続いて166年起きたドナウ川での攻撃はより深刻な事態となり、マルコマンニ族中核ロンバルディア族・クアディ族などを含めた遊牧勢力ドナウ川渡河した。さらにこれに呼応してサルマティア族がドナウ川隣接するティサ川越えて同じく帝国領内へ進出した。 これらの動きパルティア戦争影響有効に対処できず、3年後167年になって反撃模索されはじめた今度アウレリウス帝とルキウス帝の双方が軍を指揮したが、169年ルキウス帝が謎の死遂げるとアウレリウス単独親征継続した戦い泥沼長期戦となり、アウレリウスのそれから死没までの人生はマルコマンニ戦争で使い果たされることになる。遠征最中、7人兄弟唯一の生き残りとなっていたコンモドゥス共同皇帝指名され、もしもに備えて権力移譲整えられた。 戦いローマ軍苦戦続き取り分けクアディ族マルコマンニ族2度わたってローマ軍打ち破って南下続けた両部族は一時イタリア本土にまで到達してオデルツォ市とアクイレイア市が包囲される事態となった。またダキアではコストボキ族がモエシア越えてマケドニアギリシャ都市脅かしていた。10年以上にわたって次々と増援戦力編成されては前線送り込まれアウレリウス軍勢鼓舞することに努め続けた戦争末期には概ねの敵が元の国境地帯押し返された。しかし蛮族との最終的な和睦模索されたままで戦い続きアウレリウス発想転換して逆にゲルマニア新し領域形成する攻勢主義へと転じる決断下した。しかし計画は長引く戦乱対する不満を背景にしたガイウス・アウィディウス・カッシウス反乱によって断念された。東方属州大部分纏め上げていたアウィディウスは、身体の衰え隠せなくなっていたアウレリウス病没した噂から挙兵決断した。しかし後にこれは誤りであったことが判明し、アウィディウスは遠征に出る前にアウレリウス側に内通していた将官によって暗殺された。 その後、再びアウレリウスボヘミア地方への進出目指してその準備奔走したが、実現するより先に寿命訪れることになった

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