ポポロクロイス物語
ポポロクロイス物語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 21:03 UTC 版)
1980年代後期、EPIC SONY RECORDSニューメディア部GS制作課のディレクターだった山元は、企画ネタを探している最中にアニメ制作会社の社長にTVシリーズ『ポポロクロイス物語』の企画書を紹介される。 この時点では、このTVシリーズの企画書は数年前にボツになったものだったが、ゲーム用の企画ネタとして使えると判断した山元は、スーパーファミコンソフトのゲームとして企画を立てて会社に提案した。 ところが、ソニーと任天堂が共同開発したスーパーファミコン互換機であるPlayStation事業が立ち上がり、急遽、スーパーファミコン互換機PlayStation専用ソフトとして『ポポロクロイス物語』の企画を練り直し、企画書を書き直した。 しかし、同事業は諸般の事情により発売が頓挫。ソニーは独自制作によるゲーム事業進出を決め、現在のPlayStationが生まれる。これにより、同ソフトの企画書は三度めの書き直しを行うことになり、本格的な制作がスタート。現在のPlayStation『ポポロクロイス物語』はそれから3年半後の1996年7月12日にリリースされた。 『ポポロクロイス物語』の原作者、田森庸介とは二十数年の付き合い。『ポポロクロイス物語』『ポポローグ』『金と月のマヤ』など田森作品の原作権は山元が代表を務める株式会社epicsがライツ活動を行っている。
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