ボリビアの大統領
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ボリビアの大統領(ボリビアのだいとうりょう、スペイン語: Presidente del Estado Plurinacional de Bolivia)は、ボリビアの元首たる大統領である。
注釈
出典
- ^ “El salario del Presidente sube de 22.987 a 24.251 bolivianos” (スペイン語). Opinión Bolivia. 2023年8月28日閲覧。
- 1 ボリビアの大統領とは
- 2 ボリビアの大統領の概要
- 3 大統領の一覧
- 4 脚注
ボリビア大統領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 06:08 UTC 版)
「アントニオ・ホセ・デ・スクレ」の記事における「ボリビア大統領」の解説
アヤクチョの戦いで南アメリカのスペイン軍は戦争を続ける兵力と指導者を失った。スクレはスペイン王に忠誠を誓う将兵の安全な帰国を保証したが、なおも抗戦する部隊が各地にあった。スクレは高地ペルー(アルト・ペルー)に進んで1825年4月にこの地の王党派の掃討を完了した。独立前の高地ペルーはアルゼンチンの前身であるリオ・デ・ラ・プラタ副王領に属したが、さらに前にはペルーに属していたため、両国が関心を示していた。スクレは2月9日に高地ペルー5県の会議を招集して帰属問題を討議した。1825年8月6日、高地ペルー共和国議会はボリバルの功績をたたえ、新しい国家の名前をボリビア共和国と決定し独立した。ボリバルはラパスに入って臨時大統領になったが、翌年スクレに政務を預けて去った。スクレは1826年にボリビアの初代大統領に選ばれた。 しかしボリビアには余所者の存在を疎ましく思う現地政治家がおり、特にアンドレス・サンタクルスはその筆頭格だった。ボリビア併合を望むペルーの政治家がこれと結びついてスクレを非難した。1827年にペルー軍が国境に兵力を集結させると、スクレもこれに対応して守りを固めた。軍事的緊張の中でチュキサカ(現在のスクレ)に駐屯していた兵士が4月18日に反乱を起こした。反乱はすぐに鎮圧されたが、スクレは頭と腕に傷を負った。20日に、スクレはキトで知りあったマリア・カルセレンと結婚した。マリアはずっとキトにおり、書面を介した結婚であった。 アヤクチョの戦い以後、スクレはずっと帰郷することを望んでいたが、ボリバルに慰留されて政治に携わっていた。スクレは不人気の中で大統領職に留まることを望まず、1828年に辞任してボリビアを去った。
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