ヒメタタライスズヒメとは? わかりやすく解説

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ヒメタタライスズヒメ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/11 15:12 UTC 版)

ヒメタタライスズヒメ媛蹈鞴五十鈴媛[1][注 1])は、『日本書紀』に登場する人物・女神で、初代天皇神武天皇皇后(初代皇后)[11]。『古事記』のヒメタタライスケヨリヒメ[2]比売多多良伊須気余理比売[注 2])に相当する。


『日本書紀』原文

  1. ^ 『日本書紀』「大三輪之神也。此神之子、卽甘茂君等・大三輪君等・又姫蹈鞴五十鈴姫命」
  2. ^ 『日本書紀』「事代主神化爲八尋熊鰐 通三嶋溝樴姫 或云 玉櫛姫 而生兒 姫蹈鞴五十鈴姫命 是爲神日本磐余彦火火出見天皇之后也」
  3. ^ 『日本書紀』「事代主神、共三嶋溝橛耳神之女玉櫛媛、所生兒、號曰媛蹈韛五十鈴媛命」
  4. ^ 『日本書紀』「母曰媛蹈韛五十鈴媛命、事代主神之大女也」
  5. ^ 『日本書紀』「是国色之秀者」。

『古事記』原文

  1. ^ 『古事記』「此間有媛女、是謂神御子。其所以謂神御子者、三嶋湟咋之女・名勢夜陀多良比売、其容姿麗美。故、美和之大物主神見感而(以下略)」
  2. ^ 『古事記』「天皇崩後、其庶兄當藝志美美命、娶其嫡后伊須気持余理比売之時、將殺其三弟而謀之間、其御祖伊須気持余理比売之患苦而、以歌令知其御子等」
  3. ^ 『古事記』「其容姿麗美」。

注釈

  1. ^ 日本書紀』では媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメノミコト[3][4][5])、媛蹈鞴五十鈴媛などと表記される。このほか「媛蹈鞴五十鈴媛(命)」には様々な表記ゆれがみられる。「媛」と「姫(姬)」、「蹈」と「踏」、「韛」と「鞴」、「命」と「尊」など。「姫踏鞴五十鈴媛命[6]」や「媛蹈韛五十鈴姫尊[7]」、「媛蹈韛五十鈴媛命[8]」、「姫蹈韛五十鈴姫命[9][10]」・「姫踏鞴五十鈴姫命[5]」など、「姫・媛」の使い分けも様々見られる[1]
  2. ^ 古事記』では比売多多良伊須気余理比売命[1](ヒメタタライスケヨリヒメノミコト[11][12])、比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ[2])、伊須気余理比売などと表記される。資料により「売」と「賣」、「気」と「氣」、「余」と「餘」などの表記ゆれが見られる。
  3. ^ 先代旧事本紀』巻4地祇本紀に「都味歯八重事代主神 化八尋熊鰐 通三島溝杭活玉依姫 生一男一女(中略)妹 踏韛五十鈴姬命 此命 橿原原朝立為皇后 誕生二兒 即 神渟名耳天皇 綏靖 次產 八井耳命是也」とある。
  4. ^ 日向国宮崎県)に比定する説と、これを否定する説がある。
  5. ^ 一般的には奈良盆地を指す。
  6. ^ 厳密には、「神武天皇」という呼称は奈良時代に与えられた諡号である。『日本書紀』では「始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)」とする[13]
  7. ^ 『日本書紀』では、妃探しを始めたのが即位前年の8月16日(「庚申年秋八月癸丑戊辰」)[11][24]、ヒメタタライスズヒメを妃と決め結婚したのが9月24日(「九月壬午乙巳」)[15][19]である。
  8. ^ 『日本書紀』では神武天皇の即位年を「辛酉」の年とする。中国の讖緯説辛酉革命説を考慮して明治時代に定められた計算方法に従えばこれは紀元前660年となる。かつてはこれは歴史的事実とされていたが、現代ではふつう史実とは考えられていない[13]。詳細は神武天皇即位紀元参照。
  9. ^ 『古事記』には2人の子の名が記録されている。多芸志美美命(タギシミミノミコト[26])と岐須美美命(キスミミノミコト[27])である[28][25]。一方『日本書紀』には手研耳命(タギシミミノミコト)の名前だけがあり、岐須美美命に相当する人物の名は記されていない[28]
  10. ^ 『日本書紀』などによれば、タギシミミは長いあいだ神武天皇のもとで政務に就いていたという。しかしその性格には難があり「仁義に背く」性質があった、と描かれている[25]。こうした描写は、必ずしも史実をそのまま伝えるものではないと考えられている。神武天皇から綏靖天皇への代替わりにあたっては末子相続が行われており、古代の日本ではそれが一般的であったのだろうと考えられている。しかしのちには長子相続が一般的となったために、長子相続を正当と考える読者のために、「兄が悪人だったために排除された」とする説明が必要になったのだろうと解釈するものもある[25]
  11. ^ 『古事記』には神武天皇がヒメタタライスズヒメの家を訪れて泊まる様子が描かれている。研究者のなかには、当時は夫が妻の家へ通う通い婚が行われていたと考える者もいる。とりわけ神武天皇とヒメタタライスズヒメの場合のように、よそ者が土着の有力者の娘を娶るような場合には、結婚後も妻は実家にとどまるのが普通だったという。そして生まれた子供たちも、妻の実家で育てられたという。したがってこの事変が起きた当時も、神武天皇の嫡出子たちは実家である狭井川(狭韋河)にいたとされる。(研究者たちも、これらの記述が真正の史実であるとは認めていないが、当時の習俗を反映した物語であろうとしている。)[25]
  12. ^ 『日本書紀』が説くようにヒメタタライスズヒメの父が事代主神あるいは大国主とするならば、ヒメタタライスズヒメは近畿地方の豪族に加えて出雲地方にもルーツがあるということになる[32]
  13. ^ 厳密には大和国や摂津国といった令制国が確立するのは古代のことである。
  14. ^ 溝咋神社では三島溝咋(三島溝杭)を神社の祖とし[11]、三島氏は古代河内地方の有力豪族だっただろうとしている[32]
  15. ^ 神武天皇の父ウガヤフキアエズも、母のトヨタマヒメの正体は八尋和邇である。父のホオリはそのことを知らず、出産の様子をのぞき見してトヨタマヒメの真の姿を目撃してしまう。そのためトヨタマヒメは生まれた赤子を置き去りにして海へ帰ってしまう。この赤子が神武天皇の父である[36]
  16. ^ 大物主神(大物主)は本来、三輪氏氏神である[37]。一方、大物主は大国主スサノオの子孫)の別名とする場合もあり、『日本書紀』では、大物主は大国主の和魂とする[37]。両者は元来は別の神と考えられている[38][39]
  17. ^ 『日本書紀』での名前表記に用いられている「鞴」の字は製鉄で用いるふいごを指す[40]
  18. ^ 近代日本(第二次世界大戦集結以前)には、日本における製鉄の起源は神代の時代にさかのぼるとされてきた[33]。『日本書紀』や『古事記』には、天照大神天岩戸に隠れた際に、「天香山(日本書紀)」ないし「天金山(古事記)」の鉄を用いて金属加工が行われたとのエピソードがある[33][44]。現代では、製鉄技術は中国大陸から稲作とともに伝来したとみるのが一般的とされているものの[44]、考古学的な証拠研究は十分ではなく[44]、その起源や年代についての定説は確立されていない[33]。文献史料的には、8世紀の『出雲国風土記』に製鉄が具体的に詳述されており、この時期にはすでに定着していただろうと考えられている[33]
  19. ^ 鈴本禎一(日本化学会)は、5世紀初め頃のものという巨大な仁徳天皇陵は、鉄製の道具の確立によって建設可能となったものだろうとして、当時の大和朝廷たたら製鉄の技術を確保していたのだろうとしている[33]東奈良遺跡大阪府茨木市)からはフイゴが出土しており、これと大和朝廷の製鉄と結びつける者もいる[45]。この東奈良遺跡(1971年発見)では銅鐸やその鋳型などが出土しており、銅鐸が作られていたことは確実視されている[46]
  20. ^ 「ホト」は「溶鉱炉」を指すとも[45]
  21. ^ 率川神社は、ヒメタタライスズヒメの故郷の地とされる三輪山・大神神社の摂社となっている[31]

出典

  1. ^ a b c d 日本大百科全書(ニッポニカ)』,小学館,1984-1994,「神武天皇」コトバンク版 2018年7月30日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 『日本神名辞典』p320「比売多多良伊須気余理比売」
  3. ^ 『日本史人名よみかた辞典』p925
  4. ^ a b ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』,2014,「神武天皇」コトバンク版 2018年7月30日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k 『神道大辞典(縮刷版)』p1227「ヒメタタライスズヒメノミコト」
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m 『朝日日本歴史人物事典』,朝日新聞社,1994,「姫踏鞴五十鈴媛命」コトバンク版 2018年7月30日閲覧。
  7. ^ 『系図纂要』新版 第1冊上 神皇(1),p61-63
  8. ^ a b c d 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』,講談社,2015,「媛蹈韛五十鈴媛命」コトバンク版 2018年7月30日閲覧。
  9. ^ 『日本神名辞典』p320「姫蹈韛五十鈴姫命」
  10. ^ a b c d e f g 『日本古代氏族人名辞典 普及版』p504
  11. ^ a b c d e f g h i j 『日本の神様読み解き事典』p199-200「富登多多良伊須須岐比売命/比売多多良伊須気余理比売命/媛蹈鞴五十鈴媛命」
  12. ^ a b 『日本の神仏の辞典』p1094「ひめたたらいすけよりひめのみこと」
  13. ^ a b c d e 『図説 歴代天皇紀』p37-41「神武天皇」
  14. ^ 『日本神名辞典』p335「富登多多良伊須須岐比売命」
  15. ^ a b c d e 『日本人名大事典(新撰大人名辞典)』p262「ヒメタタライスズヒメノミコト」
  16. ^ a b c d e f 『日本古代神祇事典』p702「ひめたたらすずひめのみこと(姫蹈韛五十鈴姫命)」
  17. ^ a b c d 『日本古代神祇事典』p702-703「ひめたたらいすけよりひめ(媛蹈韛五十鈴媛命)」
  18. ^ a b c d e f 『日本の神仏の辞典』p1094「ひめたたらいすずひめのみこと」
  19. ^ a b c d e f 『日本女性人名辞典 普及版』p876「媛蹈鞴五十鈴媛命」
  20. ^ 『日本の神仏の辞典』p1164「ほとたたらいすすきひめのみこと」
  21. ^ a b 『日本古代神祇事典』p702「ひめたたらいすけよりひめ(比売多多良伊須気餘理比売)」
  22. ^ 『日本古代神祇事典』p730「ほとたたらいすすきひめのみこと(富登多多良伊須須岐比売命)」
  23. ^ a b c d e f 『神道大辞典(縮刷版)』p861「セヤダタラヒメ」
  24. ^ 『歴代皇后人物系譜総覧』,p26-27「初代 神武天皇 皇后 媛蹈韛五十鈴媛命」
  25. ^ a b c d e f g h i 『図説 歴代天皇紀』p42-43「綏靖天皇」
  26. ^ a b 『日本神名辞典』p235「多芸志美美命」
  27. ^ 『日本神名辞典』p151「岐須美美命」
  28. ^ a b c 『日本の神様読み解き事典』p40-41「阿比良比売/吾平津媛」
  29. ^ a b c 『日本の神様読み解き事典』p152-153「多芸志美美命/手研耳命」
  30. ^ a b c d e f g h i j 『古事記と日本の神々がわかる本』p90-91「イスケヨリヒメの物語」
  31. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『神話の中のヒメたち もうひとつの古事記』p98-101「歌で御子救った初代皇后」」
  32. ^ a b c d e f g h 『神話の中のヒメたち もうひとつの古事記』p94-97「初代皇后は「神の御子」」
  33. ^ a b c d e f g 鈴本禎一(日本化学会),「たたら製鉄と和鋼記念館」 1979年 『化学教育』1979年27巻1号 24-27, doi:10.20665/kagakukyouiku.27.1_24, 2018年7月30日閲覧。
  34. ^ a b c d e f g 山﨑かおり、「伊須気余理比売の誕生 -神武記丹塗矢伝承の背景-」 『日本文学』 2013年 62巻 2号 p.1-11, doi:10.20620/nihonbungaku.62.2_1 , 2018年7月30日閲覧。
  35. ^ 宝賀寿男「三輪氏の起源と動向」『古代氏族の研究⑦ 三輪氏 大物主神の祭祀者』青垣出版、2015年。
  36. ^ a b 『日本神話事典』p57-58「異類婚」
  37. ^ a b 日本大百科全書(ニッポニカ)』,小学館,1984-1994,「大物主神」コトバンク版 2018年7月30日閲覧。
  38. ^ 大辞林 第三版』,三省堂,「大物主神」コトバンク版 2018年7月30日閲覧。
  39. ^ 『朝日日本歴史人物事典』,朝日新聞社,1994,「大物主神」コトバンク版 2018年7月30日閲覧。
  40. ^ a b c d e 小路田泰直「「古事記」「日本書紀」の語る日本国家形成史 : 火と鉄の視点から」『日本史の方法』第2巻、日本史の方法研究会、2005年10月、145-168頁、hdl:10935/433ISSN 1880-4985CRID 1050001338390927488 
  41. ^ a b 『日本歴史地名大系30奈良県の地名』p436「狭井河」
  42. ^ a b c d 『角川日本地名大辞典29 奈良県』p482-483「狭井川」
  43. ^ a b c d e 奈良県庁 地域振興部 文化資源活用課,第7話「狭井河の出会い」,2018年8月2日閲覧。
  44. ^ a b c 進藤義彦(亜細亜大学アジア研究所),「古代日本の鉄器文化の源流に関する一考察」 1975年 『亜細亜大学教養部紀要』12, 99-118, 2018年7月30日閲覧。
  45. ^ a b c d e 吉野裕,「タタラと大田田根子の話(其蜩庵雑草 III)」 『日本文学』 1975年 24巻 8号 p.75-83, doi:10.20620/nihonbungaku.24.8_75, 2018年7月30日閲覧。
  46. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』,2014,「東奈良遺跡」コトバンク版 2018年7月30日閲覧。
  47. ^ 『日本歴史地名大系30奈良県の地名』p435-436「狭井神社」


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