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ホイッグ史観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/04/03 18:27 UTC 版)
ホイッグ史観(Whiggish historiography, Whig history, Whig interpretation of history, ウィッグ史観とも)は、歴史を「進歩を担った殊勲者」対「進歩に抵抗した頑迷な人びと」に分け、両陣営の戦いと前者の勝利として歴史を物語的に記述する歴史観である。「成功している我々」や「繁栄している現体制」を歴史的必然、絶対的な運命に導かれるものとして、そこに至る進歩的、進化的、合理的、直線的、連続的な過程として読み替えてしまう、いわば勝利者による「正統」史観というべきもの。啓蒙主義や社会進化論とも関係が深い。
現代の進歩をもたらした功労者がホイッグ・プロテスタントであり、それに逆らった者がトーリ党・カトリックである。前者の代表がウィリアム3世やエリザベス、後者はジェームズ2世やジョージ3世などによって構成される。
- ^ 栄田, pp.174-176.
- ^ たとえば、バターフィールド、pp.50-70.
- ^ 名誉革命に対する伝統的解釈は一例となりうる。すなわち「ジェームズ2世によるカトリック絶対主義の恐怖に覆われていたイングランドを、オレンジ公ウィリアム(ウィリアム3世)が自らの損得を顧みず救った」という解釈がそれで、ジョン・ハムデンJrやエドマンド・バークをへてトマス・マコーリーの「イングランド史」によって大成した。1950年代まではこれが通説となっていたが、現在では名誉革命すなわちGlorious Revolutionという名称にも歴史家たちは慎重になりつつある。Schwoererは「1688-89年におきた出来事を是認し、賞賛するように仕向けたプロパガンダであるといえる。この形容を無批判に用いることは、いかに視野狭窄に陥っているかを声高に主張するようなもの」と述べる。Schwoerer, pp. 1-3.
- ^ George Macaulay Trevelyan. 『イギリス史』『イギリス社会史』などの著作は和訳されている。en:George Macaulay Trevelyan参照。
- ^ のちにアナール学派や修正主義歴史学などの実証研究によって、1970年代 - 90年代にかけて、ホイッグ史観・唯物史観は共倒れ的に地位を失っていった。近藤、p42およびf.n.2.
- ^ 自由な農民チェオルルが多数を占める自由社会から、ノルマン・コンクエストをへて中世封建制に移行したとする学説がそれである。しかしチェオルルが自由とはいえない状況にあったことが史料から次第に明らかにされ、従来の通説は切り崩されてきている。青山、pp.2-14(第1章 学説史的整理/第1節 欧米学界の学説史的動向)および pp.62-78(第2章 「チェオルル」とは何か/第3節 中層的自由人の「自由」)、特にp2。
- ^ 後掲村上「ホイッグ史観の超克は何をもたらすか」など、広く進歩主義の象徴としてホイッグ史観が言及される例がすくなからず存在する。
- ^ もっとも、1854年を皮切りに、玉石混淆ながらもイギリスの歴史書は毎年のように出版されていた(今井『明治日本とイギリス革命』pp. 94-96.)が、理解の深さにおいて福沢は他の存在に抜きん出ていた。op. cit., p66.
- ^ op. cit., p67. たとえば、それまで日本では、3人以上が集まって政治を談義するのは「徒党」という重罪だった。こうした伝統のもとにあった日本人にとって、おおっぴらに政治を話し合う議会なるものはまるで意味不明の存在だった。op. cit., pp. 53-55.
- ^ 竹越に立場が近い山路愛山は、考証史学に対して「歴史に詳しい者が読んでも退屈で、試験の参考書として使う以外はあまり興味を湧かせない」等と歯に衣着せぬ批判を展開した。op. cit., p276. また、坂本, p589.
- ^ 当時としては賛辞であった。今井『ホイッグ史観の受容』p9.
- ^ 早くから「万事の改革すでに成りたる国」とよばれた、と今井宏は指摘する。今井『明治日本とイギリス革命』pp. 272-273.
- ^ op. cit., p281.
- 1 ホイッグ史観とは
- 2 ホイッグ史観の概要
- 3 参考文献
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