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ヘルベルト・オットー・ギレ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/05/25 05:32 UTC 版)
| ヘルベルト・オットー・ギレ Herbert Otto Gille |
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| 1897年3月8日‐1966年12月26日 | |
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東部戦線のギレSS大将、1944年 |
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| 生誕地 | ガンデルスハイム |
| 死没地 | シュテム |
| 所属組織 | |
| 軍歴 | 1914年~1919年 1931年~1945年 |
| 最終階級 | 親衛隊大将 |
| 指揮 | 第5SS装甲師団「ヴィーキング」 第4SS戦車軍団 |
| 戦闘 | 第一次世界大戦 第二次世界大戦 |
| 賞罰 | 柏葉・剣・ダイヤ付騎士鉄十字章 名誉十字章 一般突撃章 自由十字勲章 |
ヘルベルト・オットー・ギレ(Herbert Otto Gille、1897年3月8日-1966年12月26日)は、ナチス・ドイツの軍人。武装親衛隊の将軍。最終階級は親衛隊大将(SS‐Obergruppenführer)および武装親衛隊大将(General der Waffen-SS)。
目次 |
経歴
ドイツ帝国ザクセン王国のガンデルスハイムに工場経営者の息子として生まれた。第一次世界大戦には砲兵隊の少尉として従軍し、第一級鉄十字章と第二級鉄十字章を受章した。敗戦後の1919年、ドイツ軍に大幅な人員制限が加えられたため、軍を去って民間で働くようになった。農業の仕事や自動車のディーラーの仕事などをした。1931年にナチス党と親衛隊(SS)に入隊(ナチス党員番号537,337、親衛隊隊員番号39.854)。1933年には親衛隊少尉となり、1934年から武装親衛隊の前身親衛隊特務部隊の第二連隊「ゲルマニア」に配属された。1935年に結婚、娘を一人もうける。
第二次世界大戦の前夜には親衛隊少佐となっており、第二次世界大戦開戦後のポーランド戦争や西部戦線には「ゲルマニア」隷下の第一砲兵大隊の隊長として出征した。1940年、フェリックス・シュタイナーの目にとまり、第5SS装甲師団「ヴィーキング」の砲兵連隊の司令官に任じられた。東部戦線で勇戦し、1942年10月に騎士鉄十字章受章、11月には親衛隊少将となった。1943年5月から1944年8月にかけて「ヴィーキング」の師団長となる。撤退戦が続く中でもソ連軍に大きな打撃を与えた「ヴィーキング」は東部戦線において勇猛果敢な師団としてソ連兵たちに恐れられていた。1944年1月から2月にコルスン付近で「ヴィーキング」を含む5・6個の師団がソ連軍に包囲された際には、「ヴィーキング」が決死の脱出作戦を行い、道を切り開いた。1944年4月に騎士鉄十字章のダイヤモンド章を受章。同章は27名の軍人にしか授与されていない勲章である。1944年8月から第3SS装甲師団「トーテンコプフ」も傘下に収めた第4SS戦車軍団司令官となり、ワルシャワ攻防戦やハンガリー・ブタペスト救出作戦を指揮。しかし作戦は失敗し、軍団はぼろぼろとなった。この後春の目覚め作戦にも参加したが、もうほとんど戦力を残していなかったので大きな活躍はなかった。この後、ギレは捕虜に非人道的な取扱いをするソ連赤軍から逃れて、アメリカ軍の捕虜にしてもらうことを考え、軍団をオーストリア国境を越えさせる。5月にギレと軍団はオーストリアでアメリカ軍の捕虜になることに成功している。
ギレはこの後、三年間にわたってアメリカ軍に拘留されていたが、1948年5月に釈放された。その後は西ドイツの新聞社で働きながら本屋を営業して生計を立てるようになった。また退役軍人向けの雑誌「Wiking Ruf」の編集にも携わった。1966年に心筋梗塞によりニーダーザクセン州のシュテムで死去した。
キャリア
軍と親衛隊の階級
- 陸軍少尉(Leutnant): 1915年1月27日
- 陸軍中尉(Oberleutnant): 1919年3月31日
- 親衛隊二等兵(SS-Anwärter): 1931年12月
- 親衛隊軍曹(SS-Scharführer): 1932年
- 親衛隊少尉(SS-Untersturmführer): 1933年4月20日
- 親衛隊中尉(SS-Obersturmführer): 1935年4月20日
- 親衛隊大尉(SS-Hauptsturmführer): 1935年11月9日
- 親衛隊少佐(SS-Sturmbannführer): 1937年4月20日
- 親衛隊中佐(SS-Obersturmbannführer): 1939年10月9日
- 親衛隊大佐(SS-Standartenführer): 1941年1月30日
- 親衛隊上級大佐(SS-Oberführer): 1941年10月1日
- 親衛隊少将(SS-Brigadeführer und Generalmajor der Waffen-SS): 1942年11月9日
- 親衛隊中将(SS-Gruppenführer und Generaleutnant der Waffen-SS): 1943年11月9日
- 親衛隊大将(SS-Obergruppenführer und General der Waffen-SS): 1944年11月9日
叙勲した勲章
- 一級鉄十字章(1914年版)(Eisernes Kreuz (1914) I. Klasse
- 第二級鉄十字章(1914年版) (Eisernes Kreuz (1914) II. Klasse)
- 親衛隊髑髏リング(SS-Honour Ring)
- 一級鉄十字章略章(1939年版)(Spange zum Eisernen Kreuz I. Klasse)
- 二級鉄十字章略章(1939年版)(Spange zum Eisernen Kreuz II. Klasse)
- 騎士鉄十字章(Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes)、1942年10月8日叙勲
- 一般突撃章(allgemeine Sturmabzeichen)、1941年叙勲
- 1938年3月13日記念メダル(Medaille zur Erinnerung an den 13. März 1938)
- 1938年10月1日記念メダル(Medaille zur Erinnerung an den 1. Oktober 1938)
- 1941年/1942年冬季東部戦線従軍メダル(Medaille Winterschlacht im Osten 1941/42)、1941年叙勲
- 名誉十字章(Ehrenkreuz des Weltkrieges)、1934年叙勲
- ドイツ十字章金章(Deutsches Kreuz in Gold)、1942年叙勲
- 剣付き一級自由十字勲章(フィンランド勲章)(フィンランド語Vapaudenristin ritarikunta)
文献
- Fellgiebel, Walther-Peer. Die Träger des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes 1939-1945. Friedburg, Germany: Podzun-Pallas, 2000. ISBN 3-7909-0284-5.
- Yerger, Mark C (1997). Waffen-SS Commanders: The Army, Corps and Divisional Leaders of a Legend: Augsberger to Kreutz. Atglen, PA: Schiffer Publishing. ISBN 978-0764303562.
固有名詞の分類
| 親衛隊将軍 |
ヨーゼフ・ベルヒトルト ヴェルナー・ローレンツ ヘルベルト・オットー・ギレ エーリヒ・ナウマン ヘルマン・フェーゲライン |
| 騎士鉄十字章受章者 |
クルト・ハーゼ カール=アドルフ・ホリット ヘルベルト・オットー・ギレ ヘルマン・フェーゲライン ヴァルター・モーデル |
| 第一次世界大戦期ドイツの軍人 |
クルト・ハーゼ ロタール・フォン・アルノー・ド・ラ・ペリエール ヘルベルト・オットー・ギレ エマヌエル・シェーファー フリッツ・ヴィーデマン |
| ドイツ第三帝国の将軍 |
クルト・ハーゼ カール=アドルフ・ホリット ヘルベルト・オットー・ギレ クルト・シュトゥデント ヘルマン・フェーゲライン |

