プロレスアワー
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『プロレスアワー』は、東京12チャンネル(現:テレビ東京)で放送されたプロレス中継番組である。1968年11月から中断期を挟んだ1972年9月まではWWWFなど海外の映像や女子プロレス団体、さらには最初期の新日本プロレスの試合などが放送され、1974年9月23日から1981年3月28日までは国際プロレスの試合を『ファイティングアワー』→『国際プロレスアワー』のタイトルで中継していた。
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- ^ a b 『ワールドプロレスリング』は、テレビ岩手とミヤギテレビは1975年9月まで月曜20:00からの3日遅れネットで放送し、テレビ岩手は同年10月に日本テレビ『NTV紅白歌のベストテン』の同時ネットへ切り替えられたのに伴い時間変更された後、1980年4月のANN脱退・NNSフルネット局化に伴い打ち切りとなった(岩手県における『ワールドプロレスリング』の放送は国際プロレス崩壊後の1983年4月にIBC岩手放送にて遅れネットで再開し、1996年10月に岩手朝日テレビへ放映権再移行)。宮城県では同年10月の東日本放送開局と同時に宮城県における放送が同時ネット化。本番組レギュラー放送終了時点では、岩手県では『全日本プロレス中継』(遅れネット)のみ、宮城県では『全日本プロレス中継』と『ワールドプロレスリング』(いずれも同時ネット)を放送していた。テレビ岩手における『ワールドプロレスリング』打ち切り後の岩手県における新日本プロレスの観戦は、IBC岩手放送におけるネット再開まで生観戦かスポーツ紙やプロレス雑誌を読むしか方法が無くなっていた。なお、国際プロレスの本州における最後の興行となった「'81ビッグ・サマー・シリーズ」宮古大会当日は、新日本プロレスは岩手県営体育館で興行を行っている。
- ^ 東北地方で行われた新日本プロレスの興行の初中継は、1973年4月13日放送の宮城県スポーツセンター大会(4月12日開催)の録画中継(「'73ビッグ・ファイト・シリーズ」仙台大会は唯一ミヤギテレビが中継協力を行った大会であった。『TWWAプロレス中継』終了後では1974年5月31日放送の岩手県営体育館大会(5月29日開催)の録画中継が東北地方で行われた大会の最初の実況中継となった。テレビ岩手はテレビ朝日系列脱退直前まで、『TWWAプロレス中継』で実況中継を行っていた盛岡市、花巻市、江刺市、一関市で行われた試合と、『TWWAプロレス中継』で実況中継を行っていなかった釜石市と大船渡市で行われた試合の制作協力を行っていた)、九州地方で行われた新日本プロレスの興行の初中継は、1973年5月11日放送の北九州市小倉区三萩野体育館大会(5月7日開催)の録画中継(『TWWAプロレス中継』終了後では1974年5月17日放送の福岡スポーツセンター大会(5月5日開催)の録画中継)である。本番組開始までにおける、東北・九州地方で行われた新日本プロレスの興行の中継は、福岡市の主要会場(福岡スポーツセンター、福岡市九電記念体育館)からの初中継は、1973年8月10日放送の福岡スポーツセンター大会(7月29日開催)の録画中継が最初となった。同年7月13日には青森県弘前市民体育館大会、1974年6月14日には岩手県江刺市体育館大会、同年9月20日には福岡市九電記念体育館の実況生中継をそれぞれ行っている。また、1973年9月14日には大分県立荷揚町体育館大会(9月13日開催)、同年9月21日には熊本市水前寺体育館大会(9月17日開催)、1974年5月3日には北九州市立総合体育館大会(5月2日開催)の録画中継をそれぞれ行っている。
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- ^ 広島県では広島ホームテレビが『ワールドプロレスリング』を1975年9月まで遅れネットで放送していたが、同年10月に同時ネットされた他、テレビ山口は『TWWAプロレス中継』の中継協力には関与しなかった一方で、TBS『ナショナル劇場』がテレビ山口開局後も松下電器産業(現:パナソニックホールディングス)の要請により山口放送で放送されていたため、1978年9月まで月曜20:00からの3日遅れネットで放送されていた。山口県における『ワールドプロレスリング』の放送は、1978年10月に山口放送へ移行している(1993年10月に山口朝日放送へ放映権再移行)。本番組レギュラー放送終了時点では、広島県では『全日本プロレス中継』と『ワールドプロレスリング』(いずれも同時ネット)を、山口県では『全日本プロレス中継』と『ワールドプロレスリング』(いずれも遅れネット)を放送していた。
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- ^ a b 例として、1975年5月26日 - 8月25日放送分は、5月26日・6月9日は「'75ビッグ・チャレンジ・シリーズ」後楽園ホール大会(5月26日は生中継、6月9日は録画中継)、7月7日は「'75ビッグ・サマー・シリーズ」後楽園大会(録画中継で6月29日開催)、7月28日・8月4日は「'75ビッグ・チャレンジ・シリーズ」大宮スケートセンター大会(録画中継で6月8日開催)、8月11日 - 8月25日は「'75ビッグ・サマー・シリーズ」後楽園大会(6月29日開催)、神奈川県大和市車体工業体育館大会(6月30日開催)、大田区体育館大会(7月28日開催)の順で放送された(8月11日 - 8月25日はいずれも録画中継、6月2日、6月16日 - 6月30日、7月14日、7月21日は休止)。
- ^ 1977年の6月〜8月シリーズのみ「'77ビッグ・チャレンジ・シリーズ」として開催。
- ^ 女子部が設置されていた時代には1週目を男子の試合のみ放送し、2週目に女子の試合を放送する場合がほとんどだった。
- ^ 中には移動日を挟んで、実質3〜5日スタッフが帯同していたこともあった。
- ^ 『日本プロレス事件史 Vol.18』、P52
- ^ 当時九州地方で『ワールドプロレスリング』を同時ネットしていた局は九州朝日放送のみだった。『全日本プロレス中継』は、福岡放送が同時ネットしていた他、長崎放送でも1979年3月まで同時ネットで放送されていた(本来の系列番組であった『8時だョ!全員集合』は1984年4月開始)。九州地方では福岡県では『全日本プロレス中継』と『ワールドプロレスリング』の両方を同時ネットで放送していたが、長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島の各県は『全日本プロレス中継』と『ワールドプロレスリング』の両番組とも遅れネットで放送していた(熊本県における『全日本プロレス中継』の放送は、国際プロレス崩壊後の1982年3月にくまもと県民テレビ開局と同時に同時ネット化された他、鹿児島県における『ワールドプロレスリング』の放送は、国際プロレス崩壊後の1982年10月に鹿児島放送開局と同時に同時ネット化)。
- ^ 本放送当時、四国地方に所在していたテレビ朝日系列局は瀬戸内海放送のみであったが、徳島市体育館でなど徳島県で行われた新日本プロレスの興行も四国放送の中継協力の下で『ワールドプロレスリング』にて実況中継を行っていた。また、土曜20時台時代の『全日本プロレス中継』において、四国地方でTBS『8時だョ!全員集合』の裏番組として放送していた日本テレビ系列局は高知放送のみだった(香川県における『8時だョ!全員集合』の放送は、『全日本プロレス中継』の放送時間が変更となった1979年4月に、山陽放送(現:RSK山陽放送)の電波相互乗り入れにより開始。あいテレビは国際プロレス崩壊後に開局)。
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- ^ a b c 1977年の「ダイナマイト・シリーズ」は、4月シリーズが「1977ダイナマイト・シリーズ」として、年内最終シリーズが「'77ダイナマイト・シリーズ」として開催。年内最終シリーズは、当初は「'77ゴールデン・シリーズ」で開催される予定であったが、営業スタッフのミスで「'77ダイナマイト・シリーズ」となった。
- ^ 「'77ビッグ・チャレンジ・シリーズ」は、当初は札幌大会を最終戦とした上で全29戦で開催される予定だった。なお、札幌大会は、『TWWAプロレス中継』時代の1973年5月6日放送の「'73ダイナマイト・シリーズ」札幌大会(4月25日開催)以来、4年3か月ぶりに北海道で行われた大会における国際プロレスの実況中継となった。
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- ^ このため、「'77スーパー・ファイト・シリーズ」の放送は、9月5日放送の後楽園大会(9月4日開催)→9月12日放送の大阪府立体育館大会(9月7日開催)→9月19日放送の静岡県富士市民体育館大会(9月5日開催)→9月26日放送の大阪大会→10月3日放送の栃木県市貝町立市貝中学校体育館大会(9月23日開催)→10月10日放送の静岡県沼津市体育館大会(9月28日開催)→10月24日放送の川崎市体育館大会(9月29日開催)→10月31日放送の群馬県沼田市魚菜市場大会(10月1日開催)の順で放送された(いずれも録画中継。10月17日は休止)。
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- ^ このため「'77ダイナマイト・シリーズ」の中継は、11月7日・11月21日放送の後楽園大会(11月6日開催)→11月28日放送の愛知県一宮市産業体育館大会(11月17日開催)→「全日本・国際全軍対抗戦」静岡大会の録画中継→12月12日放送の千葉県銚子市体育館大会(11月18日開催)→12月19日放送の群馬県藤岡市体育館大会(11月21日開催)→12月26日放送の埼玉県越谷市体育館大会(11月24日開催)の順で放送された(いずれも録画中継。11月14日は休止)
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- ^ テレビ放映権移行を受けてからは、関東地方もしくは静岡県や新潟県でシリーズ開幕戦を行う場合が多かった。
- ^ このため、「'79スーパー・ファイト・シリーズ」の放送は、1979年3月5日放送の後楽園大会(3月2日開催)→3月12日放送の岐阜市民センター大会(3月6日開催)→3月19日放送の愛知県豊明市福祉体育館大会(3月4日開催)→3月26日放送の茨城県境町民体育館大会(3月24日開催)→4月2日放送の福島県原町市体育館大会(3月26日開催)の順で放送された(いずれも録画中継)。
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- ^ a b 上田と斎藤は、1979年4月27日開催の岩手県葛巻町大会(テレビ未収録)と同日に開幕した新日本プロレス「第2回MSGシリーズ」に開幕戦から参戦した。「第2回MSGシリーズ」開幕戦の横浜文化体育館大会は実況生中継されたため(当日に行われた上田VSハンセンも放送された)、「第2回MSGシリーズ」横浜大会は4月30日放送の富山市体育館大会(4月20日開催)で行われた木村VS上田のIWA世界ヘビー級王座戦、5月7日放送の富山県高岡市民体育館大会(4月21日開催)で行われた井上&浜口VS上田&斎藤のIWA世界タッグ王座戦、6月18日放送の長野市民体育館大会(4月19日開催)で行われた木村&浜口&原VS上田&斎藤&ヒトよりも先行して放送される格好となった。
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- ^ ボックウィンクルの「'79ダイナマイト・シリーズ」出場試合の放送は、10月5日の後楽園大会の生中継の他にも、10月3日の青森県黒石市スポーツセンター大会における原戦が10月8日に、10月4日の秋田市立体育館大会における井上戦が10月15日に(原VSロコのWWU世界ジュニアヘビー級王座戦とセットで放送)、10月6日における静岡県沼津市体育館における木村&草津VSテーズ&ボックウィンクル戦が「ルー・テーズ特集」でそれぞれ録画中継された。「ルー・テーズ特集」の内容は木村組VSテーズ組戦の他にも、黒石大会で行われた寺西とのエキシビション・マッチ、秋田大会で行われた鶴見五郎とのエキシビション・マッチ(黒石大会と秋田大会は分割放送の2週目に、沼津大会は分割放送の1週目にそれぞれ放送)なお、「'79ダイナマイト・シリーズ」の放送は、9月10日放送の後楽園大会(9月9日開催で録画中継)→9月17日放送の愛知県体育館大会(9月13日開催で録画中継)→9月24日放送の池袋スケートセンター大会(9月14日開催で録画中継)→10月5日に実況生中継された後楽園大会→10月8日放送の黒石大会(録画中継)→10月15日放送の秋田大会(録画中継)→10月22日放送の「ルー・テーズ特集」(黒石大会・秋田大会・沼津大会の録画中継)→10月29日放送の沼津大会(録画中継)の順で放送された。
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- ^ 水戸市における興行は、テレビ放映権移行後は会場を茨城県立スポーツセンター体育館から水戸市民体育館へ切り替えていた他、秋田市における興行も、年によって秋田県立体育館と秋田市立体育館を使い分けていた。
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- ^ ランディ・ダルトン、ブルックス、ファリスの3人は負傷で、ストンパーは急性気管支炎、カーペンティアは税金滞納によるカナダからの出国禁止という理由でそれぞれ来日中止となった。キッドは、1979年12月10日に国際が先に参加を発表し、新日本も同年12月14日に参加を発表したが、新日本が同年12月26日にカードを発表したことから、新日本移籍が確定する形となった。ファリス&ラザンのブロンド・ボンバーズは、ファリスの来日中止を受けてブリューワーがラザンのパートナーとなり、ニュー・ブロンド・ボンバーズとして参戦する予定であったが、ラザンも来日中止となったために実現しなかった。
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- ^ 「マジカル・アクション!!」はジョー&タイラーのタッグチームでも使用された他(当時のジョーのテーマ曲は「One Word」)、「アイム・ダンディ」はヒューバー&ブリューワーのタッグチームでも使用された。『ぼくら野球探偵団』のオープニング・エンディング曲のカラオケバージョンはレコード化やCD化はされていない。
- ^ 大越大会当日は、ニュー・ブロンド・ボンバーズと対戦予定だった大木はタイラーとのシングルマッチに、ブリューワーも寺西とのシングルマッチにそれぞれ変更された。
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- ^ 上田は、「銚子大会にて左肩を痛め、翌7月29日の群馬県藤岡市民体育館大会と7月30日栃木県黒磯市公会堂大会(藤岡大会・黒磯大会ともテレビ未収録)に無理して出場したが、越谷大会当日に左肩が上がらなくなり、急遽スーパー・アサシンに権利を譲った」としているが、越谷大会当日は木村を試合中に襲撃しており、仮病だったともされる。
- ^ a b 【昭和~平成スター列伝】1976年12月3日 壮絶!流血!! ラッシャー木村VSジプシー・ジョー"聖地"初の金網デスマッチ東京スポーツ 2022年5月1日
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- ^ a b ゴロー日記の衝撃ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅(辰巳出版)
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- ^ 『東京12チャンネル時代の国際プロレス』、P287
- ^ なお、富山県・岡山県で行われた大会における番組収録は、高岡大会・岡山大会以外にも1978年5月8日・5月15日放送の「'78スーパー・ファイト・シリーズ」津山総合体育館大会(4月27日開催)、1979年4月30日放送の「'79ビッグ・チャレンジ・シリーズ」富山市体育館大会(4月20日開催、メインは木村VS上田のIWA世界ヘビー級王座戦)でも番組収録を行ったが、津山大会・富山大会ともデスマッチは未開催となった。
- ^ a b c d e 「'75ビッグ・チャレンジ・シリーズ」大宮大会は1975年7月28日に(1週目の放送当日の新聞のラテ欄には、草津&井上VSブッチャー・ブラニガン&ジェフ・ポーツのIWA世界タッグ王座争奪1回戦で行われたにもかかわらず、「IWA世界タッグ王座決定戦 草津&井上VSブラニガン&ポーツ」と誤記されていた。実際の王座決定戦は5日後の6月13日、テレビ未収録の岩手県営体育館大会において、草津&井上VSカマタ&デューク・サベージとの間で行われた)、「'78新春パイオニア・シリーズ」水戸大会は1978年1月30日にそれぞれ1週目を放送している。「'76ビッグ・サマーシリーズ」越谷大会は1976年8月23日・8月30日にも録画中継された他(草津&井上VSザ・UFO&ブラック・ロッキードのIWA世界タッグ王座戦は2週目に、寺西VSホセ・ベンチュラのIWA世界ミッドヘビー級王座戦は3週目にそれぞれ放送)、「'76勇猛シリーズ」後楽園大会は1976年12月13日に、「'78ダイナマイト・シリーズ」常陸太田大会は1978年10月30日にそれぞれ2週目を放送している。
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- ^ a b 大木退団から3日後の11月11日開催の三重県四日市市体育館大会(11月15日に録画中継)と翌12日開催の岐阜市民センター大会(11月22日に録画中継)は2日連続収録となった。「'80デビリッシュ・ファイト・シリーズ」では、11月21日開催の大阪府堺市金岡体育館大会(11月29日に録画中継)と翌22日開催の和歌山県新宮市立総合体育館大会(12月20日に録画中継)でも2日連続収録が行われた。
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- ^ 「'81新春パイオニア・シリーズ」における九州サーキットは、1981年1月7日開催の第3戦千葉県館山市民センター大会(1月17日に録画中継)の2日後である1月9日にバスで神戸港へ向かい、細島港行きのフェリーに乗船し、1月10日から12日まで九州サーキットを開催。1月12日開催の宮崎県高鍋町大会(テレビ未収録)の翌日である1月13日に、高鍋から小倉港までバスで移動し、小倉港から神戸港行きのフェリーに乗船した後、神戸から東京までバスで移動し、4日も東京で待機した後、1月19日開催の岡山県笠岡市大会(テレビ未収録)→1月20日開催の大阪府立体育館大会(1月24日に録画中継)→1月21日開催の和歌山県白浜町白浜会館大会(1月31日に録画中継)という中国・近畿サーキットを行うため、前日の1月18日にバスで東京から宿泊地である岡山市へ向かったという(本州~九州をまたがるサーキットで3日以上も興行が行われないケースは、「'81新春パイオニア・シリーズ」に限らず、「'80ビッグ・サマー・シリーズ」やレギュラー中継最後のシリーズとなった「'81スーパー・ファイト・シリーズ」などでも見られた)。新日本プロレス「'81新春黄金シリーズ」と全日本プロレス「'81新春ジャイアント・シリーズ」でも九州サーキットを行っているが、2団体とも本州サーキットの翌日又は2日後に九州サーキットを開始している(新日本は陸路で、全日本は東京国際空港発着の航空機で本州~九州間を往復している)。なお、「'80スーパー・ファイト・シリーズ」以来となった沖縄サーキット(テレビ未収録)は、白浜大会の2日後に、大阪国際空港から航空機で沖縄へ移動している。
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- ^ 「'80デビリッシュ・ファイト・シリーズ」四日市大会は三重県で、「'81スーパー・ファイト・シリーズ」府中大会は広島県でそれぞれ行われた興行における唯一の番組収録であった(広島県で行われた興行における国際プロレス中継は府中大会が唯一のカラー収録となった)。この2県における国際プロレス中継の番組収録は、三重県では『TWWAプロレス中継』時代の1973年3月7日に開催された「'73チャレンジ・シリーズ」四日市大会(3月25日と4月1日に録画中継、メインイベントは小林VSホフマンのIWA世界ヘビー級王座戦)以来7年7か月ぶり、広島県では同じく『TWWAプロレス中継』時代の1970年2月3日に開催された「'70新春チャレンジ・シリーズ」広島県立体育館大会(2月4日に録画中継、メインイベントは草津&杉山VSロシモフ&マイケル・ネイダーのIWA世界タッグ王座戦)以来11年1か月ぶりの番組収録となった(『TWWAプロレス中継』は1970年4月まではモノクロ放送であった)。
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- ^ 当時プロレスを扱っていたスポーツ紙は東京スポーツとデイリースポーツの2紙のみで、プロレス雑誌は当時はすべて月刊誌だった(原稿締切日は『別冊ゴング』の場合、発売日の7〜10日前だった)。
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- ^ 北海道で行われた大会における中継協力局は、北海道放送ではなく、北海道文化放送(フジテレビ系列)が担当していた。
- ^ 秋田魁新報1979年4月2日付、朝刊テレビ欄。
- ^ それまで放送していた『全日本プロレス中継』の静岡けんみんテレビ移行に伴う後続番組として開始。
- ^ 「国際プロレスアワー」以降は、番組終了まで一貫して月曜20:00からの放送、かつ数週遅れのネット。
- ^ 「国際プロレスアワー」以降は、当初は金曜20:00からの遅れネット、数回の変更を経て、最終的には月曜22:30からの遅れネットに定着。
- ^ 1975年3月までは同時ネットで放送。
- ^ 1975年3月までは同時ネットで放送。再開後半年間は火曜に、1979年4月からは月曜20:00から遅れネットで放送。
- ^ 当初は金曜 24:00-25:05枠で放送開始。その後は金曜 23:50-24:45 → 水曜 24:00-24:55 → 水曜 24:15-25:10枠で放送していた。
- ^ 「お尋ね者のテーマ」の原題は「Most Wanted Theme」。
- ^ 「Over the Top」日本版における曲名。原題は「Theme One」。
- ^ 原題は「Theme from King Kong」。
- ^ ただし、使用しない回もあった。
- ^ 『アメリカ横断ウルトラクイズ』(日本テレビ)のオープニングテーマと同一である、最後の生中継当日は寺西勇&マッハ隼人VSエローデス&エル・コバルテ戦の同時入場で「スター・トレックのテーマ」が使用され、これがそのままオープニング曲となった。
- ^ 私が選ぶプロレス音楽ベスト5 〜第3回 実況編〜 昭和のプロレスシーンを彩った実況アナがランクインSports navi 2009年12月30日
- ^ テレビ東京系列のCS放送はAT-Xと日経CNBCの2局があるが、専門チャンネルであるため本番組のアーカイブ放送は放送できない。
- ^ 『東京12チャンネル時代の国際プロレス』、P30
- ^ 『日本プロレス事件史 Vol.2』P73
- ^ 今なら抗議確実!リングサイドで生肉食い東スポWeb 2013年7月7日
- ^ 『忘れじの国際プロレス』、P4 - P5
- ^ 『実録・国際プロレス』、P565
- ^ 「日本リーグ争覇戦」千葉大会は、1978年12月4日に1週目を(決勝戦であるラッシャー木村VSプロフェッサー・タナカと11月28日に山形県鶴岡市体育館で開催された準決勝であるジャンボ鶴田VSプロフェッサー・タナカ、ラッシャー木村VSディーン・ホー)、12月18日に2週目を放送している(鶴岡大会は12月11日に2週目を放送)。
- ^ 『想い出のプロレス会場物語』、P108
- ^ a b 青森・秋田・山形・富山・滋賀・京都・和歌山・兵庫の8府県で行われた大会では『TWWAプロレス中継』時代は生中継や番組収録を行っていなかったが、本番組では番組収録を行っている。反対に『TWWAプロレス中継』時代に生中継や番組収録の実績がある鳥取・山口・佐賀・長崎・宮崎の5県で行われた大会では本番組では生中継や番組収録が一回も行われなかった。北九州市でも、『TWWAプロレス中継』時代は小倉区三萩野体育館や若松体育館で行われた試合を中継していたが、本番組では生中継や番組収録が一回も行われなかった。
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