ルイ・ナポレオン (ナポレオン公)とは? わかりやすく解説

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ルイ・ナポレオン (ナポレオン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/28 04:33 UTC 版)

ルイ・ナポレオン
Louis Napoléon
ボナパルト家

全名 Louis Jérôme Victor Emmanuel Léopold Marie
ルイ・ジェローム・ヴィクトル・エマニュエル・レオポルド・マリー
称号 モンフォール公
ナポレオン公
出生 (1914-01-23) 1914年1月23日
ベルギーブリュッセル
死去 (1997-05-03) 1997年5月3日(83歳没)
スイスヴォー州プランジャン
埋葬 フランス共和国アジャクシオ、アンペリアル教会
配偶者 アリックス・ド・フォレスタ
子女
父親 ナポレオン・ヴィクトル
母親 クレマンティーヌ
宗教 キリスト教カトリック教会
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ルイ・ナポレオン・ボナパルトフランス語: Louis Napoléon Bonaparte, 1914年1月23日 - 1997年5月3日)は、ボナパルト家の家長で、ナポレオン公ナポレオン6世フランス語: Napoléon VI)として知られ、1926年からその死までフランス帝位の請求者であった。

生涯

ルイ・ジェローム・ナポレオン(1926年)

ナポレオン公ナポレオン・ヴィクトル・ボナパルトの唯一の息子(第2子)としてブリュッセルで生まれる[1]。母はベルギー王女クレマンティーヌレオポルド2世の三女)である。

1926年に父が死去すると、12歳でボナパルト家の家長となった。

1939年9月3日、フランスドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が勃発すると、ルイはフランス軍に志願するため、軍に入隊したい旨をダラディエ首相に手紙で打診したものの、軍への入隊を断られた[1]。仕方なくルイは「ルイ・ブランシャール(フランス語: Louis Blanchard)」という偽名でフランス外人部隊に入隊し、北アフリカの植民地で勤務していた[1]が、翌1940年にフランスが、侵攻してきたドイツとの間で休戦協定に調印すると、ルイがいた外人部隊は1941年に解散した[1]

外人部隊解散後、ルイはシャルル・ド・ゴール率いる自由フランス軍に参加するため、イギリスに向かおうとするがドイツ軍に逮捕される。釈放後も「ルイ・モニエ(フランス語: Louis Monnier)」の偽名を使ってレジスタンス組織「軍事抵抗組織英語版」(ORA)に加わり、レジスタンス運動に参加している[1]。1944年7月、ルイの所属していたORAのシャルル・マルテル旅団フランス語版に同じく参加していた族弟のジョアシャン・ミュラ7世英語版を戦闘で失い、8月28日には同旅団の一群がドイツ軍の攻撃を受け、ルイ以外のメンバーは全員戦死した[1]。負傷したものの一命を取り留めたルイは、怪我から回復するとフランス軍の山岳師団に志願し、その師団で終戦を迎えた。後にフランス政府からその功績を讃えられ、勲章を授与されている。

家族

1949年8月16日にアリックス・ド・フォレスタ英語版と結婚し、2男2女を儲けた[1]。上の2人は双子の兄妹である。

1997年にプランジャン英語版で死去した時、ルイは遺言で長男シャルル・ナポレオンを差し置いて孫(シャルル・ナポレオンの子)のジャン・クリストフ・ナポレオンを後継者に指名していた[2]。このため現在、ボナパルト家の家長の座は両者の間で競合状態にある。

出典

先代
ナポレオン5世
ボナパルト家家長
フランス帝位請求者
1926年 - 1997年
次代
ナポレオン7世
もしくは
ナポレオン8世



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