ブレガ【ブレガ】(草花類)
※登録写真はありません | 登録番号 | 第9969号 |
登録年月日 | 2002年 3月 15日 | |
農林水産植物の種類 | カーネーション | |
登録品種の名称及びその読み | ブレガ よみ:ブレガ | |
品種登録の有効期限 | 20 年 | |
育成者権の消滅日 | 2002年 3月 15日 | |
品種登録者の名称 | ブライヤー ハイム イラン | |
品種登録者の住所 | イスラエル国 ベニーツイオン 60910 | |
登録品種の育成をした者の氏名 | ブライヤー ハイム イラン | |
登録品種の植物体の特性の概要 | ||
この品種は、育成者所有の無名実生種どうしを交配して育成されたものであり、花は開花直後は浅橙の地色に明紫赤色の条及び淡橙黄色のはけ目が入り、開花数日後は淡橙黄の地色に明紫赤色の条が入る盛咲で、中輪の1花茎当たりの花数が少、花柄当たりの最多花数がかなり少の切花向きの品種である。草姿は中間、開花時草丈は高、節数はやや多である。茎の長径はやや細、硬さ及び折れの難易は中、中央部の色は灰緑、ろう質の有無及び立茎数は中、1茎の側芽及び側枝数はかなり多、側枝の着生位置は主に中部、節間長は中、最長節間の位置は第4節である。葉全体の形は線形、先端部の形は鋭くとがる、葉巻き程度は少し巻く、最大葉長はやや長、葉幅はかなり狭、葉色は濃緑、ろう質は中である。つぼみの形は円柱形、大きさは中、花の重ねは八重、上から見た花形は円形、側面から見た花形は盛咲、花径は中、表面の花色は開花直後は浅橙(JHS カラーチャート1603)の地色に明紫赤(同9706)の条及び淡橙黄(同2202)のはけ目が入り、数日後は淡橙黄(同2202)の地色に明紫赤(同9706)の条が入る、裏面の花色は開花直後は浅橙(同1602)、数日後は淡橙黄(同2202)、花色の移行性は有、花弁の波状程度は波状、鋸歯の深さは浅、数及び花弁の長さは中、幅はやや狭、数はやや少、ほう葉の形はⅠ型、数は4枚、長さは中、がくの形は円柱形、がく筒の色は灰緑、がくの太さは中、長さはやや長、1花茎当たりの花数は少、花柄当たりの最多花数はかなり少、花の香りは中である。開花習性は四季咲き、早晩性は中生、がく割れの難易性は難である。「エッチワイビス」と比較して、花の表面の地色が開花直後は浅橙で、数日後は淡橙黄であること、色彩模様が開花直後は条及びはけ目で、数日後は条であること等で区別性が認められる。 | ||
登録品種の育成の経過の概要 | ||
この品種は、1993年に育成者の温室(イスラエル国)において、育成者所有の無名実生種どうしを交配し、その実生の中から選抜、以後、増殖を行いながら特性の調査を継続し、1998年にその特性が安定していることを確認して育成を完了したものである。 |
ブレガ
ブレガ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/04 20:16 UTC 版)
ブレガ مرسى البريقة | |
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座標:北緯30度24分21秒 東経019度34分26秒 / 北緯30.40583度 東経19.57389度 | |
国 | リビア |
地方 | キレナイカ |
県 | アル・ワーハート県 |
標高 | 23 m |
人口 (2006年) | |
• 合計 | 7,000人 |
等時帯 | UTC + 2 |
座標: 北緯30度24分21秒 東経019度34分26秒 / 北緯30.40583度 東経19.57389度
ブレガ(アラビア語:مرسى البريقة)はリビア東部のキレナイカ地方北部のアル・ワーハート県の県都。 2006年の人口は約0.7万人。 シドラ湾に面し、地中海の南端に位置する。
この町は、ギリシア人の都市計画家にして建築家であるコンスタンティノス・ドキシアディスの計画により、コンクリートのパーツによるプレハブ工法によって建設された。 [1]
ブレガ近郊は、第二次世界大戦中にドイツアフリカ軍団の戦闘の舞台となった。 2000年1月13日、シルト石油会社がリースしていたショート360が約20km先の海岸に墜落し、22人が死亡した。 この事故の原因は、飛行機についていた着氷性の霧が溶け、エンジンを水浸しにしたことでおきた。 [2] 2011年リビア内戦においては反政府側が占領した[3]が、3月2日に政府側が空爆を行い反撃した[4] ものの、反政府側によって撃退された。
ブレガの主産業は、リビア国営石油会社の子会社であるシルト石油会社によって行われる石油精製であり、同社の大製油所が存在する。 この製油所は1960年代から70年代にかけてエッソと提携していたが、1980年代初期にエッソが撤退し、シルト石油会社が完全な運営権を手に入れた。 内陸部のビルゼルデン油田より石油や天然ガスのパイプラインが通じ、天然ガスの液化施設も備え、石油・天然ガスの輸出港としてもリビア最大である。 [5]
ブレガには空港があり、トリポリと毎日定期便が運行している。
脚注
- ^ “Constantinos A. Doxiadis Archives” (2011年). 2011年7月26日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2011年3月2日閲覧。
- ^ “Constantinos A. Doxiadis Archives” (2011年). 2011年7月26日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2011年3月2日閲覧。
- ^ “Hundreds flee Libya as Obama orders sanctions”. This Just In. Cable News Network (2011年2月25日). 2011年3月2日閲覧。 “Protesters took control of the eastern Libyan city of Brega and its oil terminal Friday, according to an official who works at the communications department for the Port of Brega.”
- ^ Pfeiffer, Tom (2011年3月2日). “Rebels retake Libya town, may seek foreign role”. Reuters UK. Reuters. 2011年3月2日閲覧。
- ^ ミリオーネ全世界事典 第10巻 アフリカⅠ(学習研究社、1980年11月)p173
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