ブフォン論争とは? わかりやすく解説

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ブフォン論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/26 14:29 UTC 版)

ブフォン論争: Querelle des Bouffons)は、1750年代ヨーロッパ知識人の間で起こった論争をさす用語である。特に、ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージの『奥様女中』が1752年にパリでエウスターキオ・バンビーニ(Eustachio Bambini)率いるイタリアの歌劇役者たちによって上演され、その上演が終わる1754年までの間、議論が白熱した。(なお、『奥様女中』のフランス初演は1746年10月4日[1] 、その時は何の注目も喚起しなかった[2]。)議論の中心人物はフランス作曲家ジャン=フィリップ・ラモーであり、その作品はイタリア・オペラの愛好者から不自然・人為的と攻撃され、百科全書派の反王党派の人々からも批判されていた。とりわけ反ラモーの急先鋒はジャン=ジャック・ルソーである。ルソーは、旋律よりも和声の優位を強調しがちなラモーの主張や作曲様式を否定し、ラモーの和声理論に見られる短所を、それが短所であるというだけで攻撃し続けた。ラモーの作曲様式は、明らかにジャン=バティスト・リュリの作曲様式を出発点としているが、ラモーと同時代のその他のバレエ作曲家やリュリの作品に比べると、踊り手に対して、滑らかに滑走するようなステップよりも、随所で跳躍するようなステップを要求しがちでもあった。ラモーは一連の著述の中で自作について釈明し、独自の作風によって作曲し続けた。論争自体は1764年にラモーが没すると沙汰止みとなった。


  1. ^ 『新グローヴ・オペラ事典』P160
  2. ^ 『オックスフォードオペラ大事典』P550


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