フランチャイズ・プレイヤー
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フランチャイズ・プレイヤーは、スポーツ用語で長期にわたって同一のチームの第一線で活動し続ける選手を指す。狭義では入団から引退まで同一のチームに、最狭義ではプロデビューから引退まで出身地・出身校の地元チーム一つだけに在籍し続けた選手を指す。サッカーではバンディエラ(Bandiera, 旗頭)とも呼ばれる。NFLではフランチャイズ・プレイヤー制度として制度化されている。
- ^ 1994年から1998年までドイツのクラブDJKヴュルツブルクでプレーし、1998年にミルウォーキー・バックスにドラフト指名され、ダラス・マーベリックスにトレード
- ^ シャーロット・ホーネッツに1996年NBAドラフトで指名され、レイカーズにトレード
- ^ 2002年 指名なし で、1年後でルーキーフリーエージェントとして契約した
- ^ 1999年にスパーズによってドラフト指名されたが、イタリアでのプレーを経て2002年にNBAデビュー
- ^ ニューヨークニックスに1948年にドラフト指名され、 1949年にNBAに移動した。
- ^ シアトル・スーパーソニックスに2003年にドラフト指名されたが、2003-04シーズンを怪我で、出場しなかった。
- ^ 1971年から72年のシーズンに9試合しかプレーしなかった後、怪我のために1971年11月に引退した
- ^ 1987年にスパーズによってドラフトされたが、アメリカ海軍に従軍していたために1989年にNBAデビュー。
- ^ セントルイスホークスに1956年にドラフトされ、セルティックスにトレード。
- ^ 1978年にセルティックスによってドラフトされたが、大学を卒業した後の1979年にNBAデビュー。
- ^ 1992年1月に引退したが、1995年から96年のシーズンに32試合をプレーした
- ^ ゴールデンステート・ウォリアーズに1999年にドラフト指名を受け、ペイサーズにトレード
- ^ ミルウォーキーバックスに1972年にドラフト指名を受け、ABAでプレーすることを選んだ後、ABA-NBAの合併の1976年に76ersに加わった。
- ^ 兵役のために1952年-53シーズンと1953年-54シーズンは不出場
- ^ ミネアポリス・レイカーズに1954年に放出され、兵役のために1956年にNBAデビュー
- ^ ボストンセルティックスに1953年ドラフト指名を受けホークスに放出されたが、兵役のために1956年までリーグに参加していなかった
- ^ 1965年にニックスによってドラフト指名されたが、イギリスに留学していたために1967年までNBAに参加しなかった
- ^ 怪我のために1985-86シーズンは不出場
注釈
- ^ ただし野村は一軍出場のない年が1年ある。
出典
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- 1 フランチャイズ・プレイヤーとは
- 2 フランチャイズ・プレイヤーの概要
- 3 概要
- 4 NFLのフランチャイズ・プレイヤー制度
- 5 サッカー
- 6 バスケットボール(NBA)
- 7 脚注
フランチャイズプレイヤー
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「ケビン・ガーネット」の記事における「フランチャイズプレイヤー」の解説
1998年の夏にフリーエージェントとなるガーネットは1997-98シーズン中からウルブズとの再契約交渉が始まったが、ガーネットがウルブズが提示した6年総額1億200万ドルという大型契約を断ったという報道はバスケットボール界に衝撃をもたらした。そして最終的に合意に至った6年総額1億2,600万ドルという前代未聞の数字に、アメリカのプロスポーツ界は震撼する。この額を多くの専門家らは危険視した。それはガーネット一人にあまりに多くの年俸が集中するため、ウルブズは満足に補強できないのではないか、というものだった。またこの契約は当時のNBA最大の懸案事項であった選手のサラリー高騰を加速化させるものとなり、これは後に最悪の結果となってNBAに降りかかる事になる。これらの報道は1997-98シーズンのガーネットに巨大なプレッシャーを与えることになったが、ガーネットは1月3日のデンバー・ナゲッツ戦で自身初のトリプル・ダブルとなる18得点13リバウンド10アシストをあげると、オールスターにはファン投票によって選出され、ウルブズ初のオールスター先発選手となった。シーズン後半にはエースのトム・ググリオッタが膝の故障に見舞われるもチームはむしろ勝ち星を増やし、最終的には45勝37敗の成績を残して2年連続のプレーオフ出場を果たし、ガーネット個人は平均18.5得点9.6リバウンド4.2アシスト1.8ブロック1.7スティールを記録した。シーズン通算786リバウンド、ダブル・ダブル達成回数45回、総出場時間3,222分はウルブズのフランチャイズ記録となった。プレーオフではゲーリー・ペイトン率いるシアトル・スーパーソニックスと対戦、先にシリーズに王手を掛けるも、2勝3敗で敗れて2年連続で1回戦負けを喫した。 1998年夏、まだ21歳のガーネットが6年総額1億2,600万ドルという超大型契約を結ぶ。同時期の7月1日、NBAはロックアウトに突入。これにより新シーズンの1998-99シーズンは50試合に短縮されるという異例の事態となるが、ロックアウト発生の要因の一つにガーネットの巨額契約もあるとされている。混乱の中で始まった1998-99シーズンに入ると、今度はチーム内で問題が発生。ガーネットと共にウルブズの将来を支えるはずだったマーブリーがプレー内容で度々コーチ陣と衝突した末にチームに対してトレード要求し、シーズン中にニュージャージー・ネッツに去ってしまったのである(ガーネットの契約にマーブリーが嫉妬したからだとも言われている)。トム・ググリオッタもフリーエージェントとなってチームを去っていたためウルブズの陣容は変貌(テレル・ブランドンやガーネットと同期のジョー・スミス、学生時代のガーネットが憧れたマリック・シーリーが新加入している)。契約上では超一流となったガーネットでは成績上でも大台の平均20得点10リバウンドを突破する20.8得点10.4リバウンド4.3アシスト1.8ブロック1.7スティールを記録して初めてオールNBA3rdチームに選ばれ、一流選手の仲間入りを果たしたが、チームは25勝25敗と前年よりも勝率を下げてしまい、プレーオフではまたしても一回戦で、ガーネットとは同い年で同じポジション、そしてこの年のファイナルMVPを受賞するティム・ダンカン擁するサンアントニオ・スパーズに敗れる。 1999-2000シーズン、期待の新人ウォーリー・ザービアックが加入したウルブズは順調なシーズンを送り、チーム史上初の50勝到達となる50勝32敗を記録。ガーネットは平均22.9得点11.8リバウンド5.0アシスト1.6ブロック1.5スティールという素晴らしい成績を残し、シーズン平均20得点10リバウンド5アシスト以上を達成したリーグ史上9人目の選手となった。またシュートエリアも拡大したガーネットは3ポイントシュート成功率で37.0%というパワーフォワードとしては異例の成績を残し、さらに12月27日のオーランド・マジック戦ではフランチャイズ記録となる23リバウンド、オールスターでは20得点10リバウンド5アシストの好成績を記録している。ガーネットはオールNBA1stチーム、オールディフェンシブ1stチームに同時に名を連ね、名実共にリーグを代表する選手となったが、プレーオフではポートランド・トレイルブレイザーズの前に1勝3敗で敗れ、5年連続のプレーオフ1回戦敗退を喫している。さらに5月20日にはマリック・シーリーがガーネットの誕生日パーティーからの帰りに飲酒運転のトラックに轢かれて死亡し、ガーネットは精神的に打ちのめされた。不幸は続き、ウルブズがジョー・スミスと結んだ契約が違法であることが発覚し、ウルブズには350万ドルの罰金が課せられると共に今後5年間のドラフト指名権が剥奪される羽目となった。ガーネットの巨額契約にドラフト指名権剥奪と、ウルブズの補強策は八方塞となった。 2000-01シーズン、ガーネットは平均22.0得点11.4リバウンド5.0アシスト1.8ブロック1.4スティールを記録してオールNBA1stチーム、オールディフェンシブ2ndチームに選ばれたがチームは噛み合わず、新加入にはチャンシー・ビラップスの顔もあったがチームに勢いは生まれなかった。47勝35敗の成績に終わったウルブズはプレーオフ1回戦でスパーズの前に1勝3敗で敗れている。 プレーオフ1回戦敗退を繰り返すNBA史上最高額の契約を保持するウルブズのエースに、その実力を疑問視する声が内外から聞こえ始める中始まった2001-02シーズン。ソーンダーズはチームの構成に変更を加え、211cmのガーネットをスモールフォワードに起用。ジョー・スミスをパワーフォワードに、ザービアックはシューティングガードに起用し、ブランドンの怪我の影響もあってチャンシー・ビラップスにより多くの出場機会を与えた。開幕6連勝と勢いに乗ったウルブズは50勝に復帰し、ガーネットは平均21.2得点12.1リバウンド5.2アシスト1.6ブロックをあげてオールNBA2ndチーム、オールディフェンシブ1stチームに選ばれた。2002年のポストシーズンはガーネットの社交界デビューの場となると思われたが、人々の期待はダーク・ノヴィツキー、スティーブ・ナッシュ擁するダラス・マーベリックスによってウルブズが3戦全敗を喫するという形で裏切られた。6年連続プレーオフ1回戦敗退という事実を前に、ガーネットに対する批判は方々で聴かれるようになり、マジック・ジョンソンはガーネットが「チームメートが彼を必要とする時、彼は姿を消してしまう」と彼のクラッチ能力に疑問を示し、そしてガーネット最大の擁護者であったはずのマクヘイルでさえもガーネットはより攻撃的なる必要があると指摘した。 これらの批判を跳ね返すためにガーネットはオフに非常に厳しいトレーニングを自身に課し、栄養士や個人トレーナーを雇い、ヨガも取り入れるなど自己改造に余念が無かった。2002-03シーズンのガーネットは素晴らしい成績を残す。平均出場時間は初の40分超えとなる40.5分となり、ラリー・バード以来史上2人目となる4年連続平均20得点10リバウンド5アシスト以上達成となる23.0得点13.4リバウンド6.0アシストを記録。フィールドゴール成功率は初の50%以上となる50.2%を記録した。オールスターでは37得点9リバウンド5スティールをあげてオールスターMVPに輝き、シーズンMVP受賞すら視野に入ったが、しかしウルブズの不調和は相変わらずで、さらにザービアックが故障でシーズンの半分を欠場。ウルブズの歴代最高勝率は更新するものの、51勝31敗の成績に終わり、MVP投票ではティム・ダンカンに次ぐ2位に留まった(オールNBA、オールディフェンシブ両チームでは1stチームに選ばれている)。そしてプレーオフではシャキール・オニール、コービー・ブライアント擁するロサンゼルス・レイカーズの前に2勝4敗で敗れる。NBA入りして早8年目、キャリアではそろそろベテランの域に足を踏み入れつつある当時まだ26歳のガーネットは、これで7年連続のプレーオフ1回戦敗退となった。
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