フランシス・ドレークとは? わかりやすく解説

フランシス・ドレーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 20:40 UTC 版)

サー・フランシス・ドレークSir Francis Drake1543年頃 - 1596年1月28日)は、エリザベス朝イングランドゲール系ウェールズ人航海者、海賊私掠船船長)、海軍提督。イングランド人として初めて世界一周を達成[1]


註釈

  1. ^ 紋章授与のきっかけは、ドレークに勝手に紋章を使われたデヴォン州の旧家の人物が女王に不平を訴えたことであるという。女王はこの嘆願に対して「サー・フランシスにはもっと優れた紋章を与えるつもりだ」と切り返した逸話が残る。

出典

  1. ^ Maxine Snowden『北極・南極探検の歴史 極限の世界を体感する19のアクティビティ』丸善出版、2016年、17頁。ISBN 978-4-621-30068-8 
  2. ^ ボイス・ペンローズ 荒尾克己訳 (1985). 大航海時代 旅と発見の二世紀. 筑摩書房. p. 221 
  3. ^ ネヴィル・ウィリアムズ 向井元子訳 (1992). 『ドレイク』. 原書房. p. 125 
  4. ^ a b スティーヴン(2019) p.102


「フランシス・ドレーク」の続きの解説一覧

フランシス・ドレーク

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最南端到達の歴史」の記事における「フランシス・ドレーク」の解説

詳細は「フランシス・ドレーク」を参照 フランシス・ドレークは1577年11月15日プリマス出港し、その旗艦ペリカン(後にゴールデン・ハインド改名)の下に全5隻の艦隊率いていた。その主目的略奪であり探検ではなかった。当初標的チリペルー太平洋岸にあるスペイン領無防備な町だった。ドレークマゼランルート辿り6月20日にはプエルト・サン・フリアンに到着した。2か月間近く停泊した後、艦隊を3隻と小さなピンネース1隻にして出港した8月23日マゼラン海峡入り9月6日太平洋出たドレーク北西針路を採ったが、翌日突風吹き艦隊散り散りになった。マリゴールド大波沈没しエリザベスはなんとかマゼラン海峡まで戻りその後は東に戻ってイングランド帰ったピンネースは後に失われた強風は7週間以上も続いたゴールデン・ハインドは西と南に遠く流された後に、陸地求めて戻っていた。10月22日、船はある島の沖合停泊しドレークはその島をエリザベス島と名付けた。そこで集め食料にするためにアザラシペンギン捕まえたドレークの下のポルトガル人水先案内人ヌノ・ダ・シルバに拠ると、その停泊した位置南緯57度だった。しかし、現在その緯度に島は無い。当時未発見のディエゴ・ラミレス諸島南緯5630分にあるが、樹木無くドレーク乗組員集めた島ではありえない。このことは航法計算間違っていて、ドレーク当時命名だったホーン岬かその近く、おそらくオルノス島上陸したことを示している。彼の最南到達記録ホーン岬南緯5559分と推定できるのみである。ドレークはその報告書の中で「最先端の岬、あるいはこれら全ての島の突端南緯56近くにある。そこから南には大きな島が見られず、大西洋南海出会っているだけだった。」と記した。このホーン岬より南の開けた海はその後ドレーク海峡呼ばれるようになったが、ドレーク自身がそこを航海したわけではなかった。

※この「フランシス・ドレーク」の解説は、「最南端到達の歴史」の解説の一部です。
「フランシス・ドレーク」を含む「最南端到達の歴史」の記事については、「最南端到達の歴史」の概要を参照ください。

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