ウィリー・シューメーカーとは? わかりやすく解説

ウィリー・シューメーカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/13 00:52 UTC 版)

ウィリー・シューメーカー
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州
生年月日 1931年8月30日
死没 (2003-10-12) 2003年10月12日(72歳没)
騎手情報
初免許年 1949年3月19日
免許区分 平地競走
通算勝利 40350戦8833勝
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ウィリアム・リー・シューメーカー(William Lee Shoemaker、1931年8月19日 - 2003年10月12日)はアメリカ合衆国騎手調教師ウィリーWillie)、ビルBill)、ザ・シューThe Shoe)などの愛称で知られる。日本語では「シューメイカー」との記述もある。

経歴

1931年アメリカ合衆国テキサス州エルパソ近郊のフェイベンズ(en:Fabens, Texas)で生まれた。予定日よりかなり早く、出生時は体重が900gと生死が危ぶまれるほど小柄だったという[1]

中学、高校ではレスリングボクシングの選手として活躍。

17歳となった1949年3月19日騎手としてデビュー。翌20日にシャフタービーという牝馬で初勝利を挙げると、引退までに世界記録となる通算8,833勝の金字塔を打ち立てることになった。

アメリカ三冠競走は11勝[2]サンタアニタハンデキャップ11勝、ブリーダーズカップクラシックファーディナンドで優勝している。

1957年ケンタッキーダービーではギャラントマンに騎乗したがゴールライン(決勝線)を間違えてしまいアイアンリージの2着に敗れた。1986年のケンタッキーダービーではファーディナンドで優勝し54歳という同競走の最年長騎手優勝を記録した。

1970年9月にジョニー・ロングデンの持っていた世界記録である6,032勝を破ると、以後世界記録を8,833勝まで伸ばしたが、引退後の1999年ラフィット・ピンカイ・ジュニアに破られている[3]。最後の勝利となったのは1990年1月20日ガルフストリームパーク競馬場でのボージーニアスで、2週間後の2月3日サンタアニタパーク競馬場でパッチーグラウンドフォグでの4着を最後に引退した。騎乗数は40,350。

引退後は調教師となったが、間もない1991年4月8日飲酒運転による交通事故を起こし、一命は取り留めたもののから下を麻痺する障害を負う。以後は車椅子生活となったが1997年まで調教師を務めた。2003年死去。

1951年にはジョージ・ウルフ記念騎手賞を受賞、1958年にはアメリカ競馬殿堂入りを果たすなど多くの賞を受賞した。

主な騎乗馬

脚注

  1. ^ 『優駿』2015年9月号、52頁。 
  2. ^ 内訳:ケンタッキーダービー4勝、プリークネスステークス2勝、ベルモントステークス5勝。
  3. ^ 現在はラッセル・ベイズホルヘ・リカルドの二人がピンカイを上回る勝利数を挙げている。




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