視覚芸術
ビジュアルアート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 01:56 UTC 版)
「ニューヨーク市の文化」の記事における「ビジュアルアート」の解説
ヨーロッパのモダニストアーティストの作品をアメリカにもたらした1913年にニューヨーク市で開催された展覧会アーモリーショーは、大衆に芸術に対する大きな衝撃を与え、アメリカの芸術制作に影響を与えた。この展覧会では芸術作品は美やリアリズムではなく表現であること、更にヨーロッパでは厳格な学術的階層に従って行われていた保守的な芸術家のランク付けを撤廃したことをアメリカの芸術家たちに伝えた。これはアメリカの芸術家が個人的意見を重視することを奨励し、アメリカ文化に対応したモダニスト運動がニューヨーク市で出現した。写真家アルフレッド・スティーグリッツ (1864年 - 1946年)、画家チャールズ・デムス (1883年 - 1935年)、同マースデン・ハートレー (1877年 - 1943年) は美術におけるアメリカの視点を確立するのに役立った。スティーグリッツはマンハッタン区5番街291番地に291ギャラリーを開設し、写真の展示の他に立体派絵画や抽象絵画などの前衛美術の作品の紹介も行った。1929年に開館したニューヨーク近代美術館(通称:MoMA)はアメリカおよび国際的な現代美術のショーケースとなった。第二次世界大戦の終結までにパリは世界の芸術の中心地から衰退し、反対にニューヨーク市はアメリカおよび世界の現代美術の中心地としての地位を築いた。 第二次世界大戦後の数年間で、ニューヨーク・スクールと呼ばれるニューヨークの若手アーティストの非公式のグループが、外国人アーティストに大きな影響を及ぼした抽象表現主義という美術運動を行った。この運動の指導者の中にはジャクソン・ポロック (1912年 - 1956年)、ウィレム・デ・クーニング (1904年 - 1997年)、マーク・ロスコ (1903年 - 1970年) がいた。抽象表現主義者は空間と色の本能的な配置に重点を置き、実際の物体における形状や構成の表現を無くした作品を制作した。 1950年代と1960年代のニューヨーク市の活気に満ちたビジュアルアートの場はアメリカにおけるポップアート運動を定義した。この次の芸術世代の人々は、異なる形式の抽象化、つまり混合メディアの作品を好んだ。その中には写真や新聞紙を用いたジャスパー・ジョーンズ (1930年 -) がいる。アンディ・ウォーホル (1930年 - 1987年)、ラリー・リバーズ (1923年 - 2002年)、ロイ・リキテンスタイン (1923年 - 1997年) は風刺的に描いたコカ・コーラのボトル、スープ缶、コミック・ストリップなどのアメリカの大衆文化の日常的なオブジェやイメージを再現した作品を残した。 今日、ニューヨーク市は国際的な芸術市場のグローバルな中心地となっている。アッパー・イースト・サイドには多くのアートギャラリーがあり、ロウアー・マンハッタンのチェルシーには200以上のアートギャラリーがあることから現代美術の本拠地となっている。ブルックリン区ダンボには営利・非営利の多くのギャラリーが集積している。定評のあるアーティストと新進気鋭のアーティストの両方を代表するディーラーが、より大きな展示スペース、より良い場所、そして美術館やコレクターとのより強いつながりを求めて作品の販売を競い合っている。ウォール・ストリートのお金と慈善家からの資金はアートマーケットに着実に流れ、しばしば芸術家に富と名声を求めてギャラリーから別のギャラリーへ移るように促すこともある。 商業運動が豊かになるにつれて、ヒップホップアートや落書きなどの商業主義に反抗する運動も活発になった。ストリートアートの先駆者ともいえるキース・ヘリングやグラフィティアートを残したジャン=ミシェル・バスキアなどのアーティストは街の雰囲気に視覚的な質感と生活感を与え続けている。 クイーンズ区ロングアイランド・シティはニューヨーク市で急速に発展しているアート活動の場で、マンハッタン区を除くと最も芸術施設が集中している場所である。ロングアイランド・シティには多くの産業用倉庫があり、有名な芸術家、美術館、ギャラリーのための十分なスタジオと展示スペースを提供することができた。
※この「ビジュアルアート」の解説は、「ニューヨーク市の文化」の解説の一部です。
「ビジュアルアート」を含む「ニューヨーク市の文化」の記事については、「ニューヨーク市の文化」の概要を参照ください。
ビジュアル・アート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 05:56 UTC 版)
「イギリスの欧州連合離脱」の記事における「ビジュアル・アート」の解説
ブレグジットに対するアーチストや作家の反応のほとんどが否定的なものであり、イギリスのクリエイティブ産業に携わる人々の圧倒的な割合が欧州連合を離脱することに反対票を投じたことを反映した。離脱に対するアーティストの反応には、英国南部ドーバーのフェリー港近くにグラフティ―・アーティスト、バンクシーによって描かれた壁画が挙げられる。そこには欧州連合の旗から星のひとつを削り落とす作業員の姿が描かれていた。 2017年、ロンドンのギャラリーでの展覧会において、アーティストのグレーソン・ペリー(英語版)は、離脱キャンペーンとその余波の中で「イギリスの分断」を扱う一連の陶芸、タペストリー、その他の芸術作品を展示した。ペリーは3メートル離れて台座の上に立つ花瓶を「ブレグジット花瓶」と呼んだ。これらはペリーが「英国ブレグジットツアー」と名づけたものから派生している。
※この「ビジュアル・アート」の解説は、「イギリスの欧州連合離脱」の解説の一部です。
「ビジュアル・アート」を含む「イギリスの欧州連合離脱」の記事については、「イギリスの欧州連合離脱」の概要を参照ください。
- ビジュアルアートのページへのリンク