パックスブリタニカとは? わかりやすく解説

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パクス‐ブリタニカ【(ラテン)Pax Britannica】

読み方:ぱくすぶりたにか

英国が、強大な海軍力国際金融支配によって世界の秩序維持していた時期をいう語。19世紀に始まる産業革命から20世紀初頭まで。パックスブリタニカ。→世界の工場パクスローマーナ


パックス‐ブリタニカ【(ラテン)Pax Britannica】

読み方:ぱっくすぶりたにか

パクスブリタニカ


パクス・ブリタニカ

(パックスブリタニカ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/26 06:02 UTC 版)

パクス・ブリタニカラテン語Pax Britannica (パークス・ブリタンニカ))とは、イギリス帝国が世界的な覇権国家となり「世界の警察官」の役割を果たした期間における、列強間の相対的な平和の時代を指す用語[1][2]。「パクス」はローマ神話の平和と秩序の女神に由来する。


注釈

  1. ^ Oxford English Dictionary では名を挙げていないが、1899年時点での桂冠詩人はアルフレッド・オースティンである。ただし、オースティンが最初にこの言葉使ったという記述はない。
  2. ^ この金融業は産業資本家たちではなく、イギリスの伝統的支配階級であるジェントルマンの手によって運営されていたため、「ジェントルマン資本主義」とも呼ばれる。

出典

  1. ^ Johnston, pp. 508-10.
  2. ^ Porter, p. 332.
  3. ^ Hyam, p. 1.
  4. ^ Smith, p. 71.
  5. ^ Parsons, p. 3.
  6. ^ Porter, p. 401.
  7. ^ Porter, p. 8.
  8. ^ Marshall, pp. 156–57.
  9. ^ Cameron, pp. 45-47.
  10. ^ Wheelock, Frederic M. Wheelock's Latin. HarperCollins : New York
  11. ^ 田所 2006, p. 2.
  12. ^ 田所 2006, p. 234.
  13. ^ Darwin, p. 391.
  14. ^ Crawfurd, pp. 191–192: "...for what purpose was it conquered and is it now retained?' We endeavoured to explain, that during the wars, in which we were lately engaged with our European enemies who occupied the coast of the island, they harassed our commerce from its ports, and therefore, in self-defence, there was a necessity for taking possession of it."
  15. ^ The British in the Gulf: An Overview”. Qatar Digital Library. British Library Qatar Foundation Partnership. 2014年10月25日閲覧。 “The increased stability that this 'Pax Britannica' brought led to increased volumes of trade in the region. Ruling families began to actively seek British protection as a means of securing their rule and safeguarding their territories.”
  16. ^ Pugh, p. 83.
  17. ^ Thackeray, p. 57.
  18. ^ Falola, pp. xxi, xxxiii-xxxiv.
  19. ^ The legal and diplomatic background to the seizure of foreign vessels by the Royal Navy”. 2020年12月23日閲覧。
  20. ^ M.W. Daly, ed. The Cambridge History Of Egypt Volume 2 Modern Egypt, from 1517 to the end of the twentieth century (1998) online
  21. ^ He adds, "All the rest were maneuvers which left the combatants at the close of the day exactly where they had started." A.J.P. Taylor, "International Relations" in F.H. Hinsley, ed., The New Cambridge Modern History: XI: Material Progress and World-Wide Problems, 1870–98 (1962): 554.
  22. ^ Taylor, "International Relations" p. 554
  23. ^ Dalziel, pp. 88–91.
  24. ^ Pugh, p. 90.
  25. ^ Haigh,1990, p. 265


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パックス・ブリタニカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:31 UTC 版)

近代における世界の一体化」の記事における「パックス・ブリタニカ」の解説

詳細は「チャーティズム」、「ロンドン万国博覧会 (1851年)」、および「ヴィクトリア (イギリス女王)」を参照 生産力において、また海軍力において他国圧倒したイギリスは、ヴィクトリア女王(位1837年-1901年)のもとで太陽の沈まない国」と呼ばれる繁栄享受し1851年にはロンドン第1回万国博覧会がひらかれてその威信誇示した博覧会会場設けられ水晶宮は「パックス・ブリタニカ」の象徴となった。 この時代イギリス外交は、卓越した海軍力背景他国同盟関係をむすばない「栄光ある孤立」の政策をとり、フランスなどヨーロッパ列強との正面衝突避けながらも、大陸において強大な勢力出現することを牽制する勢力均衡策を採用した一方中央アジア覇権をめぐりロシア帝国との間には敵対関係戦略抗争生じ、これは後世グレート・ゲーム」とよばれる国内政治では、1832年には選挙法改正されブルジョワ工業都市の代表も議会進出した。しかし、普通選挙おこなわれなかったので、労働者はその獲得をめざすチャーティスト運動くりひろげた。カトリック教徒解放奴隷制の廃止郵便制度なども実現し1870年には初等教育法が制定され義務教育はじまったヴィクトリア朝では、小英国主義掲げウィリアム・グラッドストン自由党大英国主義をめざすベンジャミン・ディズレーリ保守党交互に政権担当する二大政党による議会政治展開された。

※この「パックス・ブリタニカ」の解説は、「近代における世界の一体化」の解説の一部です。
「パックス・ブリタニカ」を含む「近代における世界の一体化」の記事については、「近代における世界の一体化」の概要を参照ください。

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