バージニア・スクワイアーズとは? わかりやすく解説

バージニア・スクワイアーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/02 16:30 UTC 版)

バージニア・スクワイアーズ(Virginia Squires)はアメリカ合衆国バージニア州ノーフォークにかつて存在したABAバスケットボールチーム。


  1. ^ 1962年に同じくオークランド・オークスと呼ばれるABLのチームが存在した。
  2. ^ ABA史上最低勝率


「バージニア・スクワイアーズ」の続きの解説一覧

バージニア・スクワイアーズ (1971-1973)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:52 UTC 版)

ジュリアス・アービング」の記事における「バージニア・スクワイアーズ (1971-1973)」の解説

1970年代当時アメリカにはNBAとABA2つのプロバスケットボールリーグが存在したが、いずれも経営難に陥っており、すでに将来合併向けての話が進められていた。そんな先行き不透明な頃に、21歳となったアービング大学4年生に進まず1971年フリーエージェントとしてABAのバージニア・スクワイアーズと契約した。 「ダンク禁止」という制約から解き放たれアービング才能プロ舞台で大きく開いたアービングはルーキーイヤーからその並外れた身体能力豊富な空中でのムーブ卓越したボール捌き武器に、次々と常識外のプレイ披露アービング見せるかつて誰も見たことのないよう動きに、観客の心はたちまちに鷲掴みにされ、アービングリーグ特別な存在となるのにそう時間は掛からなかった。ある試合ではABAのトップセンターの一人である218cmのアーティス・ギルモアの上から強烈なダンク叩き込み、またある試合では空中で3人をかわしてリバースレイアップシュートを決めた1年目からオールスターゲームにも選出され以後アービングはABAでの5年間、後のNBAでの11年間と、プロキャリア16年全てのシーズンオールスター選出され続ける。1971-72シーズン成績は27.3得点15.7リバウンド4.0アシストで、平均得点ではリーグ5位、平均リバウンドではリーグ3位に入る好記録だったが、オールルーキーチームとオールABA2ndチーム入り果たしたものの、新人王の座はシーズンMVPとの二冠達成したアーティス・ギルモア譲った新人アービングこの年得点王輝いたチャーリー・スコット率いられたスクワイアーズはデビジョン2位となる4539敗をあげてプレーオフ進出プレーオフでは相棒スコット故障出場時間制限されるという災難見舞われるも、アービングレギュラーシーズン上回る平均33.3得点成績チーム牽引し平均20.4リバウンドはABAのプレーオフ新記録となり、さらにプレーオフ・タイ記録となる1試合53得点もあげている。チームはデビジョン決勝ニューヨーク・ネッツ前に3勝4敗で惜敗している。 1971‐72シーズン終了後この年大学卒業するはずだったアービングを、NBAミルウォーキー・バックス1972年NBAドラフト11位で指名した当時NBA大学生へのドラフト指名禁止していた)。もしアービングがこの指名応じバックス入団していならばカリーム・アブドゥル=ジャバーオスカー・ロバートソン、そしてアービング史上類を見ない強力なビッグスリー誕生することになったが、アービングはバックスファンの期待他所にNBAアトランタ・ホークスとの契約サインしていた。年俸200ドル当時としては破格好条件であり、またアービングホークス所属ピート・マラビッチプレイできること楽しみにしており、そして参加したシーズン前ホークスのトレーニングキャンプでのマラビッチとのプレイアービング大い手ごたえ感じていた。しかしアービングホークス移籍にスクワイアーズが黙ってはいなかった。この時点アービングとスクワイアーズの契約はまだ残っており、また将来偉大な選手となる可能性秘めているアービングを、スクワイアーズがみすみす手放すはずもなかった。スクワイアーズは裁判という手段打って出て、そしてアービング獲得合戦はスクワイアーズにホークスバックス三つ巴大騒動となった司法はスクワイアーズの主張支持しアービングがスクワイアーズに戻ることで決着がついた。なお、この間アービングホークスエキシビジョンゲームに3試合出場しており、NBAでの規定ではドラフト指名したバックスアービング所有権があったため、ホークス行為規定違反となり、1試合につき25,000ドル罰金科せられている。 結局プロ2年目となる1972-73シーズンをスクワイアーズで迎えたアービングは、いよいよリーグトップ選手としての地位固める。このシーズン平均31.9得点12.2リバウンド4.2アシスト成績残したアービングは、初の得点王輝きオールABA1stチームにも名を連ねた。しかし資金繰り悪化していたスクワイアーズはアービング保有し続けることができず、シーズンオフにはニューヨーク・ネッツとの間でトレード成立しアービングネッツ移籍することになった

※この「バージニア・スクワイアーズ (1971-1973)」の解説は、「ジュリアス・アービング」の解説の一部です。
「バージニア・スクワイアーズ (1971-1973)」を含む「ジュリアス・アービング」の記事については、「ジュリアス・アービング」の概要を参照ください。

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