バド・セリグ
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アラン・ヒューバー・セリグ(Allan Huber "Bud" Selig , 1934年7月30日 - )は、第9代MLBコミッショナーである(在任期間は1998年7月9日 - 2015年1月24日)。NFLのグリーンベイ・パッカーズの大株主でもある。
- 1 バド・セリグとは
- 2 バド・セリグの概要
- 3 略歴
- 4 評価
- 5 脚注
バド・セリグ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 07:38 UTC 版)
「MLBコミッショナー」の記事における「バド・セリグ」の解説
ブルワーズオーナーのバド・セリグはコミッショナー代理を務めた後、1998年7月9日に正式に第9代コミッショナーに就任した。球界の利益に適う行動が必須とされるコミッショナーにオーナー経験者が就任するのは初である。1994年8月12日から1995年4月2日まで実施された232日間に及ぶ長期ストライキではストを収拾させるための具体的な方策を打ち出せず、2002年のストライキ危機に際しては、選手会との労使交渉に先立って経営不振を立て直すと称して2球団を解散しようとして、選手会の敵意を煽ってしまった。 MLB全選手の平均年俸は1989年には49万ドル(当時約5880万円)だったのに対し、ストライキが実施された1994年には倍以上の115万ドル(当時約1億3800万円)へと膨れ上がっていた。そこでシーズン終盤戦の観客動員数やテレビ放映権料の増大を狙い、1994年からアメリカンリーグ・ナショナルリーグの両リーグともに従来の東部・西部の2地区制から東部・中部・西部の3地区制に再編し、3つの地区優勝チームに地区2位のうち最も勝率の良いチーム(ワイルドカード)を含めたディビジョンシリーズ(地区優勝決定シリーズ)を新たに導入。2012年からは1試合限りのワイルドカードゲームを創設してポストシーズンゲーム出場枠が5チームに増加した。 アナボリックステロイド及びその他のパフォーマンス向上薬物の使用はセリグの在任期間中に大きく問題視されるようになった。当初は薬物対策に及び腰だったが、厳しく対処するよう望む声の高まりを受けてジョージ・J・ミッチェルに薬物使用の実態調査を依頼した。2007年12月13日にミッチェル・レポートと呼ばれる報告書が発表された。 上記のポストシーズン枠拡大以外にも、1996年の両リーグの交流戦であるインターリーグ導入(2013年に5・6月の集中開催から通年開催へ変更)、1999年の有望なマイナーリーグ選手を対決させるオールスター・フューチャーズゲーム初開催、2000年の北アメリカ以外での公式戦を日本で初開催、2001年の審判の質を監視するクエステック・システム導入、2003年の真剣勝負度を高めることが狙いのオールスターゲーム勝利リーグがワールドシリーズ本拠地開幕権獲得、2004年の初の黒人選手であるジャッキー・ロビンソンを称えるジャッキー・ロビンソンデー創設、2006年のワールド・ベースボール・クラシック開催実現、2008年の際どい本塁打判定に限定したビデオ判定導入(2014年に対象をほぼ全てのプレーに拡大)などの野球人気を盛り上げるための様々な試みや、試合内容の質を向上させるための様々な改革が実施された。 収益の少ないブルワーズのオーナーを長年務めてきたセリグは年俸総額が一定の額を超えたチームにぜいたく税を課す課徴金制度や収益分配制度の導入などの小規模球団保護策・戦力均衡策を積極的に推進した。 徹底したファンサービスと経営努力が実を結び、セリグがコミッショナー代理に就任した1992年に16億6000ドルだったMLBの総収益は2012年には75億ドルを突破し、かつてない好景気を迎えた。 セリグは2015年1月24日に退任し、名誉コミッショナーに就任した。
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