ドラヴィダ人
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ドラヴィダ人(ドラヴィダじん、Dravidian)は、ドラヴィダ語族の言語(タミル語、テルグ語、カンナダ語、マラヤーラム語、トゥル語、トーダ語、コータ語などの言語)を母語として使用する民族の総称。
- ^ 未解読のインダス文字を、人工知能で解析 (WIRED.jp)
- ^ Sengupta, S; Zhivotovsky, L; King, R; Mehdi, S; Edmonds, C; Chow, C; Lin, A; Mitra, M et al. (2006). "Polarity and Temporality of High-Resolution Y-Chromosome Distributions in India Identify Both Indigenous and Exogenous Expansions and Reveal Minor Genetic Influence of Central Asian Pastoralists". The American Journal of Human Genetics 78 (2): 202–21. doi:10.1086/499411. PMC 1380230. PMID 16400607.
- 1 ドラヴィダ人とは
- 2 ドラヴィダ人の概要
- 3 起源
- 4 脚注
ドラヴィダ人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 02:25 UTC 版)
南インドに居住しているのはドラヴィダ人であるということが一般的に言われているが、ドラヴィダ人を定義する時には、一般に民族を定義する場合に生ずる困難がここにも生ずる。 ドラヴィダ人という呼称について考える場合、言語学での分類に用いられるドラヴィダ語族の概念を抜きにしては考えられない。ドラヴィダ人の定義としては、ドラヴィダ語族に属するタミル語、テルグ語、カンナダ語、マラヤーラム語、トゥル語、コータ語などの言語を母語として使用する人々、という言語学的側面が第一に挙げられると考えられる。 次に、インダス文明の担い手でもあり、移住してきたアーリア人よりも早くからインドに居住して、徐々にインドの南方へと追いやられて行きながらもチョーラ朝などの下で隆盛し、イスラム教勢力の侵入を食い止めた人々、という歴史的・政治的な側面が挙げられる。 次に、一般的にドラヴィダ人はアーリア人に比べ肌の色が黒く、背が低い。 次に、インド文学においてはサンスクリット文学 (Sanskrit literature) が入る前から存在した独自のタミル文学 (Tamil literature) を保持し、ムルガン神信仰などの宗教や建築、音楽、道徳観、食生活などでも独自のものを持っている、という文化的な側面が挙げられる。 このような様々な側面が複雑に繋がり合っているのが、ドラヴィダ人という概念である。また、タミル人という概念があり、主にタミル・ナードゥ州出身でタミル語を母語としその文化を担う人々を指すが、タミル(தமிழ்;Tamil)という語がドラヴィダ(திராவிட;サンスクリット語 द्रविड, द्रमिल, द्राविड;Dravida)という語と語源について関係している可能性があることを考えると、タミル人をドラヴィダ人の代表、あるいはドラヴィダ人そのものと考える傾向があることも、理解できなくはない。
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