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ドラえもん
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/31 07:02 UTC 版)
| ドラえもん | |||
|---|---|---|---|
| ジャンル | 児童漫画、SF漫画 | ||
| 漫画 | |||
| 作者 | 藤子・F・不二雄[† 1] | ||
| 出版社 | 小学館 | ||
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| 掲載誌 | 小学館の学習雑誌 コロコロコミック てれびくん 他 |
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| レーベル | てんとう虫コミックス 他 | ||
| 発表期間 | 1969年 - 1996年 | ||
| 巻数 | 全45巻(てんとう虫コミックスの短編) 他 | ||
| その他 | レーベル・巻数の詳細は#単行本を参照 | ||
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『ドラえもん』は、藤子・F・不二雄[† 1]による日本の児童漫画・SF漫画作品であり、また同作品に登場するキャラクターの名前でもある。
目次 |
概要
本作は「小学館」の発行している学年別学習雑誌で連載されていた漫画作品である。作品タイトルは、本作の登場人物の名前からきている。
勉強もスポーツも駄目でドジばかりの小学生「野比のび太」と、未来(22世紀)から来たネコ型ロボット「ドラえもん」の日常生活を描いた作品である。舞台となる時代は、基本は現代であるが、タイムマシンで過去や未来へも行き来する。
劇中でのドラえもんは、ロボットとして扱われる事がなく、普通の人間関係を築いている[1]。
本作において欠かすことのできない要素であり、作品の魅力の一つとなっているのが、不思議な効力を持った数々のアイテム「ひみつ道具」である。
詳細は「ひみつ道具」を参照
日本での知名度は高く、テレビアニメやコンピューターゲームなどのメディアミックスが行われている。
詳細は「ドラえもんの派生作品」を参照
作品内容
典型的なプロットは「のび太の身にふりかかった困難を、ひみつ道具で一時的に解決するが、道具を不適切に使い続けた結果、しっぺ返しを受ける」というものである。
このプロットは、作者の描くSF(すこし・不思議、Sukoshi Fushigi)[† 2]を反映しており、当時のSFの唱える "if"(もしも) についての対象を想定した回答であるといえる。
あらすじ
ドジばかりの少年「野比のび太」。お正月をのんびりと過ごしていると、机の引出しから、のび太の子孫「セワシ」と未来のロボット「ドラえもん」が現れる。
未来の野比家では、のび太が残した借金がセワシの代まで及んで困っているという。悲惨な未来を変えるために、セワシが世話係として連れてきたドラえもんと暮らす事になるのび太。
ドラえもんはポケットから「ひみつ道具」を取り出しのび太を助けてくれる。のび太は道具に頼りがちになりながらも、時には反省し学んでいき、少しずつ未来はより良い方向へと進んでいく。
物語の変化
本作の連載開始当初は、ドラえもんが騒動を巻き起こすギャグ漫画としての特色が強く、ストーリー性の強い作品は見られなかった[2]。しかし、連載が進むにつれて、次第にギャグ漫画の特色が薄くなり、作品のストーリー性が強くなっていった。
読者層が小学校在学の児童全学年と広範囲に展開されている為、読者の年齢差を意識して、内容面まで描き分けられて連載されていた。小学1年ならひみつ道具の楽しさが描かれ、小学4年からは、のび太の成長などのストーリー性が強くなり、小学6年になると、複雑な内容も増えてくる[2]。
当初、ドラえもんとのび太は「世話役と世話をされる者」だけの関係だったが、物語が進むにつれて、2人の仲が変化してくる。世話係の役目を終えて未来へ帰ったドラえもんは[3]、使命を負ってではなく、のび太の元へと再び現れる[4] [2]。
作品の来歴
1969年より、小学館の学年誌(『よいこ』『幼稚園』『小学一年生』『小学二年生』『小学三年生』『小学四年生』)にて連載開始した。いずれも1970年1月号で、当時の作者名義は「藤子不二雄」。1話ごとに完結する短編として執筆。タイトルロゴは赤松育延によるもので、ドラえもんの手足をイメージしている[1]。
藤子・F・不二雄が執筆した作品は全1345話(短編・中編・長編)。ただしその一部[5] [6] [7] [8] [9] [10]は、執筆当時のチーフアシスタントであるたかや健二による執筆[11]。
『ドラえもん』本編連載のほか、1974年には、ドラえもんの妹ドラミを主人公に据えたスピンオフ作品『ドラミちゃん』が連載され、のちに『ドラえもん』本編に統合された[2]。
詳細は「ドラミ」を参照
1973年に初めてテレビアニメ化し、日本テレビ系で半年間放送した。放送期間延長の話が出るほどの人気を博していたが、制作会社の社長の突然の辞任により打ち切りとなる。1979年にテレビ朝日系でテレビアニメ化され、同局の看板番組までに発展を遂げる。2005年に制作スタッフを一新し、放送を続けている。
詳細は「ドラえもん (1973年のテレビアニメ)」、「ドラえもん (1979年のテレビアニメ)」、および「ドラえもん (2005年のテレビアニメ)」を参照
1980年からはアニメーション映画の原作として長編[† 1]の執筆を開始し[2]、これを『大長編ドラえもん』と称している。『ドラえもん』の長編作品であり、映画公開に先行して『月刊コロコロコミック』で連載された。通常執筆するのは1話完結型の短編作品だが、『大長編ドラえもん』は1つの長編を数回に分けて連載し、単行本も『ドラえもん』からと独立した『大長編ドラえもん』シリーズとして発行している。映画にふさわしくスケールの大きな舞台で、のび太が仲間と協力して困難を乗り越え、成長する冒険物語が描かれる。この頃は『大長編ドラえもん』を含めると8本の雑誌に同時連載していた。
1987年以降は作者の体調面の問題もあり、短編の連載は少なくなった。大長編を除く、作者本人の手による最後の単発作品は、全3回の集中連載作品「ガラパ星から来た男」(第45巻収録)となっている。
1996年に藤子・F・不二雄が逝去した後も、藤子・F・不二雄プロの萩原伸一(むぎわらしんたろう)および岡田康則は、「大長編ドラえもん」シリーズの続巻を2004年まで執筆した。ただし藤子プロ執筆の巻は「まんが版▷映画シリーズ」として、藤子・F・不二雄本人が執筆した巻とは区別されている。
詳細は「大長編ドラえもん」を参照
『ドラえもん のび太の恐竜2006』(2006年公開)以降の映画は「大長編ドラえもん」としては漫画版が執筆されていない。ただし、『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜』(2007年公開)以降は「映画ストーリー」として岡田康則(単行本では「藤子・F・不二雄プロ」名義)が漫画版を執筆している。単行本は既刊3巻。純粋な漫画版を執筆するのではなく、外伝漫画を執筆することもある。
詳細は「ドラえもんの派生作品#映画ストーリー超特別編」を参照
2004年には、すべての作品を収蔵した「ドラえもん文庫」が開設された。 作者の出身地で知られる富山県高岡市の高岡駅前再開発ビル「ウイング・ウイング」内の高岡市立中央図書館の「ドラえもんコーナー」と、富山大学横山研究室である。これはドラえもん研究で知られる富山大学の横山泰行教授が、収集した単行本計671冊を寄贈、図書館側も協力して実現した。 収集家の間でも入手困難とされる初版初刷の単行本第1巻から第10巻を含む全45巻を所蔵している。書籍の内容は、雑誌に掲載されていた全作品を原寸大で複写し、フルカラー作品はすべてフルカラーで複写して、それを製本化して収めたものである。
掲載誌
いずれも小学館からの発行。
- 『よいこ』
- 1970年1月号 - 1971年4月号、1972年10、11月号、1973年2月号 - 10月号
- 『幼稚園』
- 1970年1月号 - 1971年3月号、1972年10月号、1973年3月号 - 12月号
- 『小学一年生』
- 1970年1月号 - 1974年3月号、1975年3月号、1975年9月号 - 1986年8月号、1987年4、5月号、1990年4月号
- 『小学二年生』
- 1970年4月号 - 1986年8月号、1987年4、5月号
- 『小学三年生』
- 1970年4月号 - 1986年8月号、1987年1月号 - 5月号、1989年4月号 - 1990年12月号、1991年3、4月号
- 『小学四年生』
- 1970年4月号 - 1986年7月号、1987年4、5月号、1988年6月号 - 1990年11月号、1991年1月号、(1991年3、4月号[† 3])
- 『小学五年生』
- 1973年4月号 - 1986年7月号、1987年4月号、1989年4月号 - 1990年12月号、1991年12月号
- 『小学六年生』
- 1973年4月号 - 1986年7月号、1987年4月号、(1989年4月号 - 1990年12月号)、(1991年12月号[† 4])
- 『てれびくん』小学館
- 1976年12月号 - 1977年8月号、1979年5月号 - 1983年3月号
- 『小学館BOOK』(『小学館ブック』)
- 1974年1月号 - 3月号、5月号 - 9月号
- 『別冊少年サンデー』
- 1973年6月号 - 1974年3月号(全10回、すべて学年雑誌の再録)
- 『増刊少年サンデー』
- 『月刊コロコロコミック』
連載期間については米沢(2002年)による。なお、雑誌の号数による表記のため、実際の発売月とは1か月ずれるので注意が必要。また、「コロコロ創刊25周年記念 名作劇場ドラえもん」と題して『月刊コロコロコミック』2002年4月号から再掲載されている。ただし毎年1月号から3月号は映画原作が掲載されるため休載となる。
作品数
ドラえもん学の提唱者である横山泰行は、総数を1344としている。内訳は以下の通りである。
- 『小学一年生』:187話
- 『小学二年生』:203話
- 『小学三年生』:233話 (「ガラパ星から来た男」を1話としてカウント。小学四年生と同時掲載)
- 『小学四年生』:235話 (「ガラパ星から来た男」を1話としてカウント。小学三年生と同時掲載)
- 『小学五年生』:184話(23話は小学六年生と同時掲載)
- 『小学六年生』:184話(23話は小学五年生と同時掲載)
- 『てれびくん』:54話 (うち、7話は別冊付録のもの)
- 『小学館BOOK』:8話 (連載当時は「ドラミちゃん」というタイトルで、設定が微妙に異なっていた)
- 『少年サンデー増刊』:4話
- 『月刊コロコロコミック』:21話(うち、17話は大長編ドラえもん[† 5]を指す)
- 〈てんとう虫コミックスアニメ版〉:1話
- 『よいこ』:27話
- 『幼稚園』:26話
- 『入学準備小学一年生』:1話
- 〈てんとう虫コミックス〉:1話
誕生の経緯
『ドラえもん誕生[† 6]』によれば、締め切りが迫る中、新連載の構想が浮かばないという切迫した状況にも関わらず、作者である藤子・F・不二雄は、アイディアがすぐに思い浮かぶような便利な機械があったらいいのに、などと考えながら空想にふけってしまう。さらに、過去にもアイディアが思い浮かばないまま、ドラネコのノミ取りを始めてしまったという経験があったことなどを回想しているうちに、ついに締め切りになってしまう。そして、「わしゃ、破滅じゃー!」と叫びながら階段を駆け下り、娘の起き上がりこぼしにつまずいた瞬間、「ドラネコと起き上がりこぼし」というアイデアが結びつき、ドラえもんが誕生したという。また、「ダメな人間を便利な機械で助ける」という内容も、自分に重ね合わせてこのときに思いついたのだという。
上記のように連載直前までキャラクターが決まっていなかったため、前月に掲載された予告[12]は、タイトルも、メインキャラクターであるドラえもんの姿も描かれていないという、異例のものであった。安孫子素雄(藤子不二雄Ⓐ)によれば、藤子・F・不二雄はドラえもんのキャラクターを作る際に、ネコのデッサンを漫画化したものを多数描いていたという[13]。
海外展開
『ドラえもん』は漫画・アニメ・映画ともに翻訳され、特に東アジア・東南アジア諸国で人気作品となっている。1970年代にはすでに香港で、そして台湾で中国語の海賊版が出版されており、また日本文化が当時解放されていなかった韓国でも海賊版が横行した。
「韓国の知的財産権問題#著作権」も参照
「トンチャモン」も参照
そのため韓国や中国などでは、日本の本家『ドラえもん』の方がコピーであると、過去に誤解されたこともあった[14]。海賊版は現在でも東南アジアで広く見られている。
また、木村純一プロデューサー(当時)によると、東南アジアにおいてのアニメ版は視聴率が70パーセントを超えることもあるという[15]。
漫画は1991年以降、東アジア、東南アジア、ヨーロッパを中心に翻訳がなされている。中国・台湾・マレーシアなどの中国語表記は長らく"机器猫"、"小叮噹"などとなっていたが、原作者サイドより原音に近い発音に変えてほしいとの要請があり、1997年以降の正規出版物は"哆啦A夢"に統一されている(未だに「小叮噹」と書いてあるものはまず海賊版)。それと同じく韓国表記は"도라에몽"(読みは「トラエモン」または「ドラエモン」)、その他の国のほとんどは"Doraemon"となっている。
アニメーションは他に中南米(ブラジル、コロンビア、チリ、アルゼンチン、エクアドル、ボリビア、パラグアイ、ベネズエラ、パナマ、メキシコ、プエルトリコ、ドミニカ共和国、ニカラグア、コスタリカ)、ヨーロッパ(スペイン、イタリア、フランス)、アラビア語圏(アルジェリア、チュニジア、リビア、サウジアラビア、カタール、UAE、オマーン)、東アジア(韓国、香港、台湾)、東南アジア(インドネシア、マレーシア、タイ王国)、南アジア(インド)、ロシア連邦、イスラエルでも放送された。アメリカ合衆国に関しては、1985年にCNNのテッド・ターナーが50話分の放映権契約を結んだものの、未だに放映されていない[16]。常にドラえもんに頼りきっているのび太のイメージが自国の子供に悪影響を与えるというのが理由とされている。[要出典]
本作が出版された主な国および地域は、香港、台湾、中国、韓国、ベトナム、マレーシア、シンガポール、タイ王国、インドネシア、キプロス、イタリア、スペイン、フランスである。スペインではスペイン語(カスティーリャ語)、カタルーニャ語を含む5言語で出版された。東南アジア諸国では、ママがドラえもんの道具でやり込められると子供が大喜びする[2]という特徴が見られる。
ベトナムでは、海賊版が1000万部を売り上げていた。正規版を出版するにあたっては、それまでの原作者に支払われるべき印税をもとに、「ベトナムの子供たちのためのドラえもん教育基金」が設立された[13][17]。
また、各国のコミック雑誌(香港青文社「HAPPY DRAGON 快樂龍」など)にも連載されている[18]。
受賞歴
- 第2回(1973年)日本漫画家協会賞優秀賞[19]。
- 第27回(昭和57年度)小学館漫画賞児童部門受賞[20]。
- 第23回(1994年)日本漫画家協会賞文部大臣賞[19]。
- 第1回(1997年)手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞[21]。
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- ^ a b c 当初は藤子不二雄名義で発表。藤子不二雄Ⓕ名義を経て藤子・F・不二雄名義に。
- ^ 本来のサイエンスフィクションのSFではない
- ^ 『小三』と同時掲載
- ^ 『小五』と同時掲載
- ^ 絶筆作品である『大長編ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』も含めている
- ^ 『ドラえもん』ができるまでの過程を描いた漫画作品。1978年発行『コロコロコミックデラックス ドラえもん・藤子不二雄の世界』初出(現在絶版し、雑誌『ぼく、ドラえもん。』第25号の付録冊子『ドラえもん てんとう虫コミックス未収録作品集』にも再録)
- ^ 練馬区月見台、あるいは田無市大字田無。詳細は野比のび太を参照
- ^ 「ぼくの生まれた日」の雑誌での初出(『小学四年生』1972年8月号掲載)では、生年は1962年されており、てんとう虫コミックスで単行本化される際に「1964年」に変更された。藤子不二雄ランドの単行本では「10年前」とされ、藤子・F・不二雄自選集でもその設定は引き継がれた。
- ^ 漫画では4年生、アニメでは5年生。雑誌掲載時は雑誌ごとに学年が異なっていた
- ^ ただし学童疎開体験については時代設定の関係上父親ののび助の体験として描いている)
- ^ テレビアニメ第2作第2期「夢まくらのおじいさん」(2010年6月11日放送)では、敷地の奥にある倉庫には「石田材木」の看板が見える。テレビアニメ第2作第1期においても、空き地の奥に倉庫を配置することがしばしばあった。
- ^ しかし、原作では「ジャイアンがのび太を殴る」「ジャイアンがスネ夫の持ち物を脅し取る」「のび太がしずかの入浴シーンを覗く」などの行為が描かれてる。
- ^ 『ドラえもん プラス』スペシャルパックは〈小学館プラスワン・コミックス〉。
- ^ 当初、第38巻までは藤子不二雄名義、第39巻は藤子不二雄Ⓕ名義で発行。増版時に藤子・F・不二雄に変更されている。
- ^ 自選集全10巻のうち7巻までが「ドラえもん」
- ^ 大全集としての通巻巻数も同じ。
- ^ ( ) 内はFFランドの通巻巻数。
固有名詞の分類
ドラえもんに関連した本
- ドラえもん 17 小学館
- ドラえもん 18 小学館
- ドラえもん最新ひみつ道具大事典 (ビッグ・コロタン) 藤子 F・不二雄 小学館
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