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ドニプロペトロウシク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/03/08 03:55 UTC 版)
(エカチェリノスラフ から転送)
座標: 北緯48度27分58秒 東経35度1分31秒 / 北緯48.46611度 東経35.02528度
| ドニプロペトローウシク | |||||
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| 国 | ウクライナ | ||||
| 州 | ドニプロペトローウシク州 | ||||
| 地区 | ドニプロペトローウシク地区 | ||||
| 団体コード | 1210100000 | ||||
| 行政区分 | 8区 | ||||
| 人口 | 999,250人 (2011年8月1日) | ||||
| 面積 | 405 km² | ||||
| 人口密度 | 2467.3 人 / km² | ||||
| 郵便番号 | 49000-489 | ||||
| インタネット | 公式サイト | ||||
ドニプロペトローウシク(ウクライナ語: Дніпропетровськ)はウクライナのドニプロペトローウシク州ドニプロペトローウシク地区にある都市。ドニプロ川の河岸に位置する。面積は405 km²。人口は999,250人 (2011年8月1日)、人口密度は2467.3 人 / km²。
ドニプロペトローウシクは1776年に創建された。1778年に市制施行された。
市内ではドニプロペトローウシク駅がある。首都キエフまでの直線距離は390 kmであるが、鉄道で532 km、車道で447kmとなっている。愛称は「ドニプロ」である。
目次 |
概要
ドネツィクと並んでウクライナ有数の工業の中心地であり、兵器の生産やエネルギー産業などの重工業を主産業とする。ソ連時代を含めて多数の人材を送り出しており、「ソ連の人材の首都」と呼ばれた。ウクライナ独立後もウクライナの首相を4名(レオニード・クチマ、パーヴェル・ラザレンコ、ワレーリー・プストヴォイチェンコ、ユーリヤ・ティモシェンコ)も輩出している。
名称
- 1778年‐1792年:エカテリノスラーフ(ロシア語: Екатеринославъ)。
- 1792年‐1802年:ノヴォロッシーイスク(ロシア語: Новороссійскъ)。
- 1802年‐1926年:エカテリノスラーフ(ロシア語: Екатеринославъ)。
- 1926年‐1991年:ドニエプロペトローフスク(ロシア語: Днепропетровск)。
- 1991年以後:ドニプロペトローウシク(ウクライナ語: Дніпропетровськ)。
日本では長らくロシア語名に基づいてドニエプロペトロフスク、ドニェプロペトロフスク、ドネプロペトロフスクなどと表記されていたが、ウクライナの独立後はウクライナ語名に沿った表記が広く使われるようになってきた。ただ、日本国内におけるウクライナ語の認知度が低いため表記には揺れがあり、ドニプロペトロフシク、ドニプロペトロウシク、ドニプロペトロフスクなど、複数の表記が存在する。その影響もあり、現在でも「ドニエプロペトロフスク」と表記されることは少なくない。
歴史
この地方で確認されている人間の居住は15万年前にさかのぼる。いくつかの民族の交代があり、紀元後1世紀ごろからスラヴ人が住むようになった。9世紀にキリスト教が伝わり、修道院が建てられたが1240年にタタール人に破壊された。タタール人の勢力がこの地方に進展したころには、ドニエプル川の東岸にタタール人、西岸にスラヴ人が対峙し、12世紀にコサックがこの地域を勢力下におくまでこの状態が続いた。
16世紀には、ポーランド王国、オスマン帝国、モスクワ大公国の勢力が角逐する場となった。最終的にロシア帝国領となり、1775年現在の都市が建設された。当時の名は、ロシア皇帝エカチェリーナ2世の名をとって エカチェリノスラーフ(「エカチェリーナの栄光」の意)と命名される。ロシア革命後に現在の名に改称された。
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