トラ・トラ・トラ!
原題: | Tora!Tora!Tora! |
製作国: | アメリカ |
製作年: | 1970 |
配給: | 20世紀フォックス配給 |
キャスト(役名) |
Martin Balsam マーティン・バルサム (Admiral Kimmel) |
Soh Yamamura 山村聡 (Admiral Yamamoto) |
Joseph Cotten ジョゼフ・コットン (Henry Stimson) |
Tatsuya Mihashi 三橋達也 (Commander Genda) |
E. G. Marshall E・G・マーシャル (Lt. Colonel Bratton) |
田村高廣 タムラタカヒロ (Lt. Commander Fuchida) |
James Whitmore ジェームズ・ホイットモア (Admiral Halsey) |
Eijiro Tono 東野英治郎 (Admiral Nagumo) |
Shogo Simada 島田正吾 (Ambassador Nomura) |
千田是也 センダコレヤ (Prince Konoye) |
Junya Usami 宇佐美淳也 (Admiral Yoshida) |
Keith Andes キース・アンデス (General George C. Marshall) |
Edward Andrews エドワード・アンドリュース (Admiral Stark) |
Asao Uchida 内田朝雄 (General Tojo) |
George Macready ジョージ・マクレディ (Cordell Hull) |
Edmon Ryan エドモン・ライアン (Rear Admiral Bellinger) |
Hisao Toake 十朱久雄 (Saburo Kurusa) |
Toru Abe 安部徹 (Commander Onishi) |
Mako マコ (Takeo Yoshikawa) |
Jason Robards (2) ジェイソン・ロバーズ(2) (General Short) |
解説 |
太平洋戦争の火ぶたを切った真珠湾奇襲作戦の全貌を描いた大型戦争映画。製作総指揮はダリル・F・ザナック、製作は「ブルー・マックス」のエルモ・ウィリアムス。監督は、アメリカ側が「ミクロの決死圏」のリチャード・フライシャー、日本側が「スパルタ教育・くたばれ親父」の舛田利雄と「きみが若者なら」の深作欣二。ゴードン・W・プランゲの「トラ・トラ・トラ!」とラディスラス・ファラーゴの「破られた封印」を基に、アメリカ側はラリー・フォレスター、日本側は菊島隆三と小国英雄が共同脚色。撮影は「ゲバラ!」のチャールズ・ウィーラー、日本側は「戦争と人間」の姫田真佐久、東映の古谷伸、「眠れる美女」の佐藤昌道などが参加。音楽は「パットン大戦車軍団」のジェリー・ゴールドスミス、美術はジャック・マーティン・スミスとリチャード・デイ、日本側は村木与四郎と川島泰造。特殊効果はL・B・アボットとアート・クルイックシャンク、編集はジェームズ・E・ニューマン、ペンブローク・J・ヘリング、井上親弥がそれぞれ担当。出演はアメリカ側が「ナタリーの朝」のマーティン・バルサム、「華やかな情事」のジョセフ・コットン、「レマゲン鉄橋」のE・G・マーシャル、「裸足のイサドラ」のジェーソン・ロバーズ、「砲艦サンパブロ」のマコ以下、ジェームズ・ウィットモア、キース・アンデス、エドワード・アンドリュース、ジョージ・マクレディ、エドモン・ライアンなど164 名。日本側は山村聡、三橋達也、田村高広、東野英治郎、島田正吾、千田是也、宇佐美淳也、内田朝雄、十朱久雄、安部徹、野々村潔以下155 名。デラックスカラー、パナビジョン70ミリ。1970年作品。 |
トラトラトラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/26 00:21 UTC 版)
トラトラトラは、太平洋戦争の始まりである日本軍の真珠湾攻撃が奇襲により開始されることを伝えた電信の暗号略号である。
意味は「ワレ奇襲ニ成功セリ」[1]。
概要
本来はモールス符号「・・―・・ ・・・」を繰り返すものでトラ連送とされた。真珠湾攻撃時には攻撃隊長・淵田美津雄中佐の搭乗する九七式艦上攻撃機から第一航空艦隊司令部(旗艦:空母「赤城」)に宛てて発信された。
真珠湾攻撃は、奇襲の場合(敵の防御が効力を発揮する前に攻撃可能であると空中指揮官が判断した場合)には艦攻による対艦攻撃を先行させ、強襲の場合には艦爆による対空防御制圧が先行させる計画になっていたが、「ワレ奇襲ニ成功セリ」はこのうち前者を指す電文となる。従って、これはあくまで攻撃が奇襲によって開始されることを示すものであり、攻撃そのものの成功を意味するものではない。
のちに、この電文をタイトルとし、真珠湾攻撃を題材とした映画『トラ・トラ・トラ!』が作られた。
由来・解釈
当時第一航空艦隊の航空甲参謀を務めた源田実によると、小野寛治郎通信参謀が作り、11月24日に部隊が集結していた単冠湾で作戦説明が行われた際に、通信計画に関する説明の中で他の隠語とともに示したという[2]。
航空乙参謀だった吉岡忠一は、ハワイ奇襲攻撃作戦の間だけ使用する通信略語として、自分と小野通信参謀の二人で作ったと述べている。吉岡によると、いくつか略語を作り、「全軍突撃せよ」は「ト」連送(ト・ト・ト…)とした。「我奇襲に成功せり」については、「ト」の次に「ム・ラ・サ・キ」(紫)をつけて「トム」「トラ」「トサ」「トキ」とした四つの略語のうちの「トラ」にたまたま「奇襲成功」の意味が当てはめられただけで、深い意味はなかったという[3][4]。
しかし実際に「トラトラトラ」を打電した飛行隊長の淵田美津雄は、作戦説明時に配布された略語暗号書で「奇襲成功」の略電が「トラトラトラ」と知り、寅年生まれの自分にとって縁起が最高であると喜び、成功を確信したと、当時の心中を著書の中で語っている。さらに旗艦「赤城」宛の「トラトラトラ」の発電が、広島の連合艦隊旗艦「長門」でも直接受信されていたことを後日聞き、千里往くトラ、千里を帰ったのだと思ったと、「虎」との連想を深めていた[5]。
吉岡も、戦後真珠湾攻撃の研究をまとめた歴史研究家ゴードン・ウィリアム・プランゲから、「あのトラというのはタイガーのことですか」と質問を受けており、「トラ」がたまたま「虎」「寅」と同音であったため、縁起をかついだものであったという様々な俗説を、真珠湾攻撃の成果の語りとともに生むことになった。
真珠湾攻撃を受けた側であるアメリカでは、「タイガー・タイガー・タイガー」と訳して「タイガーのように襲いかかる」と解釈されることもあった[6][信頼性要検証]。また、突撃と雷撃隊の最初の文字を合わせ、トラとしたと述べる米軍関係者もいた[7]。
創作での引用
「トラ・トラ・トラ」の暗号とともになされた真珠湾攻撃は太平洋戦争の始まりであり、しばしば日本の創作物において、「奇襲」が行われる場面にパロディとして引用される例がある。
「Re:ゼロから始める異世界生活」の三章の78話[8](アニメでは一期24話)では、魔女教大罪司教のペテルギウス・ロマネコンティを討伐するために接触した主人公=ナツキ・スバルが、協力者であるフェリスが「トラ・トラ・トラ」と言ったのを合図にペテルギウスを実際に奇襲する。さらに、奇襲が成功したあとにスバルが「我、奇襲に成功セリ」と啖呵を切る場面が存在する。
脚注
- ^ 『真珠湾攻撃 なぜ、戦わねばならなかったのか 太平洋戦争 今、語り伝えたいこと』歴史街道2001年9月特別増刊号、PHP研究所、2001年9月、24-27頁。「トラ、トラ、トラ発信の瞬間」
- ^ 源田実『風鳴り止まず』サンケイ出版、1982年、109頁。
- ^ 吉岡忠一『海軍航空隊奮戦す:従軍慰安婦問題・戦争現場からの証言』「第2部パールハーバー奇襲作戦の秘密」、1994年、100頁。
- ^ 吉岡忠一『ハワイ奇襲攻撃についての思い出』交詢社ネービー会に於いて 平成5年6月23日 防衛省戦史研究センター
- ^ 淵田美津雄・中田整一『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝』講談社文庫、2010年、361・362頁。
- ^ 赤根祥道『安岡正篤 泳ぎもせず、漕ぎもしないで一生を終わるな!』三笠書房、1995年、P.104頁。ISBN 4-8379-1604-X。
- ^ PBS Hawaii 2016年11月23日放映 Pearl Harbor
- ^ “Re:ゼロから始める異世界生活 - 第三章78 『狂人と狂言回し』”. 小説家になろう. 2023年7月26日閲覧。
トラ! トラ! トラ!
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 06:28 UTC 版)
『トラ! トラ! トラ!』は、シブがき隊の楽曲で、16枚目のシングル。
- 1 トラ! トラ! トラ!とは
- 2 トラ! トラ! トラ!の概要
トラ・トラ・トラ!
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 19:05 UTC 版)
『トラ・トラ・トラ!』(Tora! Tora! Tora!)は、1970年に公開されたアメリカの戦争映画である。
注釈
- ^ 黒澤明は脚本執筆のため阿川弘之の『山本五十六』からも多くのアイデアを得たが、後に黒澤が降板したことから阿川の名前がクレジットに入ることはなかった
- ^ ただし、九九式艦上爆撃機による急降下爆撃は再現できず、史実とは異なる水平爆撃による攻撃シーンとなった。急降下爆撃は急降下後に機体を急激に引き起こす必要があるため、ダイブブレーキ等の専用装備と高い機体強度を要求する機動であり、改造機体では機体強度や構造的に無理がある。また急降下爆撃は第二次世界大戦を境に廃れた攻撃方法であり、(たとえ撮影用の真似事であっても)こなせる技量のある操縦士は、撮影当時は既に存在しなかった。また、実際に真珠湾の米軍施設上でロケを行った関係上、危険防止の観点から投下した模擬爆弾もFRP製のハリボテ(投下しても実物のようにスムーズな弾道を描かない)を使用せざるを得ず、リアリティの点でスタッフには悔いが残ったという。
- ^ エセックス級航空母艦のうちの1隻で、ミッドウェー海戦で戦没した先代(CV-5)とは異なる。
- ^ 実際の赤城の艦橋は左舷側にある。『パールハーバー』(2001年)では同じくエセックス級空母のレキシントン(AVT-16)(ヨークタウンと同じく名前を引き継いだ、空母としては二代目)の飛行甲板の艦首側から艦尾側にかけて、つまり通常とは逆方向に強引に発艦し、日本空母独特の左舷艦橋を再現している。
- ^ 艦船セットの製作と撮影の顛末については以下を参照[72][73]。
- ^ 飛行甲板上に蒸気吹出口を設け、放射状に描かれた線により甲板上の風向きを視認するための標識
- ^ 正式には「烹炊員」と呼ばれる主計科所属の兵員。但し渥美清は艦内帽でなくコック帽をかぶっており、また二人しかいないため、「割烹」と呼ばれる士官食を作る軍属(民間人だがその職業のために軍艦に乗っている)のコックであると思われる。
出典
- ^ a b 訳書新版は『トラ トラ トラ 太平洋戦争はこうして始まった』(千早正隆 訳、並木書房、2001年)
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月、285頁。ISBN 978-4-873-76755-0。
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- ^ 『三島由紀夫映画論集成』ワイズ出版
- ^ 実松譲「第二部 第四章 太平洋情報戦線異状あり 人類最大のドラマ」『真珠湾までの365日 真珠湾攻撃 その背景と謀略』光人社〈NF文庫〉、1995年7月1日(原著1969年12月)、373-374頁。ISBN 978-4769820932。
トラ・トラ・トラ!
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/18 08:39 UTC 版)
「ワード (駆逐艦)」の記事における「トラ・トラ・トラ!」の解説
1970年の映画『トラ・トラ・トラ!』でもワードによる特殊潜航艇撃沈のシーンは再現されており、護衛駆逐艦フィンチ(英語版) (USS Finch, DE-328) がワードの役を務めている。フィンチは撮影に際して艦首の艦番号を「139」に書き換え、1969年3月7日に当該シーンが撮影された。
※この「トラ・トラ・トラ!」の解説は、「ワード (駆逐艦)」の解説の一部です。
「トラ・トラ・トラ!」を含む「ワード (駆逐艦)」の記事については、「ワード (駆逐艦)」の概要を参照ください。
トラ・トラ・トラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 18:50 UTC 版)
ハワイは現地時間12月7日日曜日の朝だった。当時ハワイには移動式のレーダーが6箇所に設置されていた。その中でオアフ島北端のオパナに設置されてあったレーダーを操作していたのはジョーゼフ・ロッカードとジョージ・エリオットの2人の二等兵であったが、エリオットは新米でロッカードからレーダーの操作法を学んでいる途中であった。この当時、真珠湾のレーダーは朝4時から7時までたった3時間操作されているにすぎず、この日も終了時間の7時となり撤収準備していた矢先、レーダーのオシロスコープスキャナーに50機を超える飛行機の大編隊とおぼしきものがキャッチされた。ロッカードはすぐにレーダーを統括するために新設された情報センターに電話をしたが、この日は日曜日で本職の管制官は休んでおり、レーダーのしくみを理解するための訓練として管制官役をしていた若手陸軍航空隊パイロット、カーミット・タイラー陸軍中尉が応対した。本来であれば未熟なパイロット管制官を補佐するため情報センターには多くの下士官も勤務していたが、7時までの勤務時間を終えて全員退室しており不慣れなタイラー1人で対応することとなってしまった。タイラーはロッカードから電話で80マイルまで接近している問題の編隊についての報告を受けたが、その際にロッカードはレーダースクリーン上の編隊の大きさについて報告をしていなかった。タイラーは本日フィリピンに配備される予定である12機のB-17がオアフ島に飛来する予定であることや、2隻の空母が航行中であることを知っており、その機影が友軍のものであると誤認したが、それらの情報は士官のみが知っている軍事機密扱いであったため、二等兵2人に伝えることができず、ただ「気にするな」という曖昧な返事をするに止まった。後日、タイラーはこのミスによる処罰を受けることはなく戦後創設されたアメリカ空軍中佐まで昇進したが、「あの(気にするなという)何気ない一言がなければもっと昇進できた」と悔やむこととなった。一方「気にするな」と指示された2人の二等兵は、その後もレーダーで機影を追い続けたが22マイルまで接近したところで丘陵の影に紛れて見えなくなった。 7時10分(日本時間8日午前2時40分)には、アメリカ海軍の駆逐艦DD-139「ワード(ウォード)」がアメリカ領海内において国籍不明の潜水艦を発見し、砲撃によりこれを撃沈した(ワード号事件)。これは日本軍の特殊潜航艇「甲標的」であった。ワード号は直後に「未識別の潜水艦」を撃沈した旨を太平洋艦隊司令部へ打電したが、ハワイ周辺海域では漁船などに対する誤射がしばしばあったことからその重要性は認識されなかった。また、その直後にはカタリナ哨戒機が湾口1マイル沖で潜水艦を発見し爆雷攻撃を行ったという報告もなされたが、その報告を聞いた海軍参謀らはワードからの報告も含めて長々と議論するばかりで結論を出すことができず、陸軍に連絡することすらしなかったため、陸軍は警戒態勢の強化を図ることができなかった。このようにアメリカ軍は奇襲を事前に察知する機会を何度も逃しており、ワシントンかハワイにいる責任のある者の中に、一人でももう少し用心深いものがいたら日本軍の奇襲は成功しなかった。 7時35分(同3時5分)に航空隊はオアフ島北端カフク岬を雲の切れ目に発見し7時40分(同3時10分)に「突撃準備隊形作れ」を意味する「トツレ」が発信され、信号弾が発射された。この際、奇襲の場合には合図が信号弾1発で火災による煙に妨げられることない状況で対艦攻撃を実施させるべく艦攻による攻撃を先行させ、強襲の場合には合図が信号弾2発で艦爆による対空防御制圧が先行させる作戦計画になっていたが、信号弾1発で村田重治率いる雷撃隊が展開行動を起こさないのを見て淵田美津雄は合図を見逃したと誤解しもう1発信号弾を発射、艦爆隊指揮官である翔鶴飛行隊長の高橋赫一海軍少佐はこれを合わせて信号弾2発と誤解し先行した。 間もなく重巡洋艦筑摩の偵察機から「在泊艦は戦艦一〇、甲巡一、乙巡一〇」との報告があり、それと前後してラハイナ泊地に向かった重巡洋艦利根の偵察機からは「敵艦隊はラハイナ泊地にはあらず」との報告が入った(草鹿によれば筑摩より、3時10分に入った報告とされている)。 7時49分(同3時19分)、第一波空中攻撃隊は真珠湾上空に到達し、攻撃隊総指揮官の淵田が各機に対して「全軍突撃」(ト・ト・ト……のト連送)を下命した。 7時52分(同3時22分)、淵田は旗艦赤城に対してトラ連送「トラ・トラ・トラ」を打電した。これは「ワレ奇襲ニ成功セリ」を意味する暗号略号である。この電波は赤城で中継したが、中継を待つまでもなく広島湾にいた戦艦長門でも、東京の大本営でも指揮官機の電波を直接受信した。7時53分(同3時23分)に赤城から「隊長、先の発信、赤城了解」と返信があった。奇襲に成功したことを知った草鹿は南雲の手を固く握り落涙したと言う。 航空機による攻撃は8時00分(同3時30分)に雷撃により開始される予定だったが、これより5分早い7時55分(同3時25分)に急降下爆撃隊がフォード島のウィーラー(ホイラー)陸軍飛行場へ250kg爆弾による爆撃を開始し、これが初弾となった。 ホノルル海軍航空基地作戦士官のローガン・ラムジー中佐は7時55分ごろに基地に対して急降下してくる航空機の耳をつんざく音に気が付き、近くにいた当直士官の大尉に「あいつの機体番号を調べろ。あいつの安全ルール違反を報告しなきゃならん」と命令した。その航空機はさらに突っ込んできたため、ラムジーは「機体番号はわかったか?」と当直士官に聞いたが「いや、わかりません。赤のバンドがついてるから隊長機と思います。」という返答があった。ラムジーが苦々しい顔をしていると当直士官が「急降下爆撃機が機体を引き起こして上昇するとき何か黒いものが落下しました。」と報告した瞬間に凄い爆発音が格納庫の方で鳴り響いた。ラムジーは表情を強張らせ「ディック、飛行隊長を調べる必要はない、あれは日本の飛行機だ」と叫ぶと、無線室に向かって廊下を走り、当番兵に次の電文を平文で打てと命じた。 airraid on pearlharbor x this is not drill(真珠湾空襲さる ※これは演習ではない) xは注意を促すために記号として打たれた(モールス符号に*や#の記号は定義されていない)。「no」と「not」、2通りの記述の受信紙が存在する。 この史上もっとも有名なものの一つとなった電報には、フォード陸軍基地司令官のパトリック・ベリンジャー少将が署名し、アラスカに至るまでアメリカ海軍全基地に警戒を呼び掛けた。攻撃が始まってしばらくしてからようやく海軍省へ、フランク・ノックス海軍長官にも伝えられた。電報を手にしたノックスは、報告したスターク海軍作戦部長に「何だと! こんなことはあり得ない! フィリピンのことに違いない!」と叫んだが、スタークは「いや長官、これは真珠湾のことです。」と答えている。
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