トラトラトラとは? わかりやすく解説

トラ・トラ・トラ!

原題:Tora!Tora!Tora!
製作国:アメリカ
製作年:1970
配給:20世紀フォックス配給
スタッフ
監督:Richard Fleischer リチャード・フライシャー

Toshio Masuda 舛田利雄

Kinji Fukasaku 深作欣次
製作:Elmo Williams エルモ・ウィリアムス
製作総指揮:Darryl F. Zanuck ダリル・F・ザナック
アソシエイト・プロデューサー:Otto Lang オットー・ラング

Masayuki Takagi 

Keinosuke Kubo 
原作:Gordon W. Prange ゴードン・W・プランゲ

Ladislas Farago ラディスラス・ファラーゴ
脚色:Larry Forrester ラリー・フォレスター

Hideo Oguni 小国英雄

Ryuzo Kikushima 菊島隆三
撮影:Charles Wheeler チャールズ・ウィーラー

Shinsaku Himeda 姫田真佐久

Masamichi Satoh 佐藤昌道

Osami Furuya 古谷伸
SFX:L. B. Abbott L・B・アボット

Art Cruickshank アート・クルイックシャンク
音楽:Jerry Goldsmith ジェリー・ゴールドスミス
美術:Jack Martin Smith ジャック・マーティン・スミス

Yoshiro Muraki 村木与四郎

Richard Day リチャード・デイ

Taizoh Kawashima 川島泰造
編集:James E. Newman ジェームズ・E・ニューマン

Pembroke J. Herring ペンブローク・J・ヘリング

Chikaya Inoue 井上親弥
キャスト(役名
Martin Balsam マーティン・バルサム (Admiral Kimmel)
Soh Yamamura 山村聡 (Admiral Yamamoto
Joseph Cotten ジョゼフ・コットン (Henry Stimson)
Tatsuya Mihashi 三橋達也 (Commander Genda
E. G. Marshall E・G・マーシャル (Lt. Colonel Bratton)
田村高廣 タムラタカヒロ (Lt. Commander Fuchida)
James Whitmore ジェームズ・ホイットモア (Admiral Halsey)
Eijiro Tono 東野英治郎 (Admiral Nagumo)
Shogo Simada 島田正吾 (Ambassador Nomura)
千田是也 センダコレヤ (Prince Konoye)
Junya Usami 宇佐美淳也 (Admiral Yoshida
Keith Andes キース・アンデス (General George C. Marshall
Edward Andrews エドワード・アンドリュース (Admiral Stark
Asao Uchida 内田朝雄 (General Tojo
George Macready ジョージ・マクレディ (Cordell Hull
Edmon Ryan エドモン・ライアン (Rear Admiral Bellinger
Hisao Toake 十朱久雄 (Saburo Kurusa)
Toru Abe 安部徹 (Commander Onishi
Mako マコ (Takeo Yoshikawa
Jason Robards (2) ジェイソン・ロバーズ(2) (General Short
解説
太平洋戦争火ぶた切った真珠湾奇襲作戦全貌描いた大型戦争映画製作総指揮ダリル・F・ザナック、製作は「ブルー・マックス」のエルモ・ウィリアムス監督は、アメリカ側が「ミクロの決死圏」のリチャード・フライシャー日本側が「スパルタ教育・くたばれ親父」の舛田利雄と「きみが若者なら」の深作欣二ゴードン・W・プランゲの「トラ・トラ・トラ!」とラディスラス・ファラーゴの「破られ封印」を基に、アメリカ側ラリー・フォレスター日本側は菊島隆三小国英雄共同脚色撮影は「ゲバラ!」のチャールズ・ウィーラー日本側は「戦争と人間」の姫田真佐久東映古谷伸、「眠れる美女」の佐藤昌道などが参加音楽は「パットン大戦車軍団」のジェリー・ゴールドスミス美術ジャック・マーティン・スミスリチャード・デイ日本側は村木与四郎川島泰造特殊効果L・B・アボットアート・クルイックシャンク編集ジェームズ・E・ニューマンペンブローク・J・ヘリング井上親弥それぞれ担当出演アメリカ側が「ナタリーの朝」のマーティン・バルサム、「華やかな情事」のジョセフ・コットン、「レマゲン鉄橋」のE・G・マーシャル、「裸足のイサドラ」のジェーソン・ロバーズ、「砲艦サンパブロ」のマコ以下、ジェームズ・ウィットモアキース・アンデスエドワード・アンドリュースジョージ・マクレディエドモン・ライアンなど164 名。日本側は山村聡三橋達也田村高広東野英治郎島田正吾千田是也宇佐美淳也内田朝雄十朱久雄安部徹野々村潔以下155 名。デラックスカラー、パナビジョン70ミリ1970年作品
ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください
1939年9月1日山本五十六中将山村聡)の連合艦隊司令長官就任式が、瀬戸内海停泊中の、「長門艦上おこなわれた。それから1週間たたないうちに、時の首相近衛公爵千田是也)が閣議開きアメリカ日本対す経済封鎖討議し、それに対して陸相東条英機内田朝雄)は、アメリカへの攻撃進言41年1月24日ワシントン海軍情報部は日本暗号無電解読し事態容易ならないことを察知した。そして、ルーズベルト大統領新たにキンメル提督マーティン・バルサム)を太平洋艦隊司令長官任命日本動勢備えようとした。41年2月山本長官は第1航空隊大西参謀安部徹)から真珠湾攻撃参考意見聞き空母「赤城」の名パイロット源田中佐三橋達也)の名を知った。そのころ真珠湾では、航空隊ベリンジャー中将エドモン・ライアン)が、キンメル日本真珠湾攻撃可能性説いていた。41年4月24日野村駐米大使島田正吾)はハル国務長官ジョージ・マクレディ)と、緊迫した両国の関係を打開しようとしたが、ハルゼイ中将ジェームズ・ウィットモア)等、海軍側の強硬意見にあい、実を結ばなかった。やがて両国間の通商条約破棄されスターク海軍作戦部長エドワード・アンドリュース)は、ハワイ非常時態勢下においた。そのハワイでは、日本スパイ吉川猛夫マコ)が、情報収集のため暗躍していた。41年10月東条英機陸相首相となり、軍部権力頂点達した一方アメリカ側情報部は、真珠湾攻撃決行日を想定しスチムソン陸軍長官ジョセフ・コットン)は大統領にそれを伝えることを約し、またマーシャル大将キース・アンデス)もハワイショート将軍ジェイソン・ロバーズ)やキンメル提督に、警告発していた。12月2日ハワイへ向け進航中の、南雲司令官東野英治郎)の第一航空艦隊は、山本長官から「ニイタカヤマノボレ」という暗号を電受した。いよいよ真珠湾攻撃の時が来た。12月7日東郷外相野々村潔)は駐日大使天皇拝謁助け局面打開求めたが、道はすでにふさがれていた。翌12月8日未明遂に南雲中将率い機動部隊は、オアフ島北方から真珠湾迫り午前7時57分、淵田少佐田村高広)を先頭とする戦隊が、空から敵地突っこんで行った真珠湾攻撃見事な成功をおさめ、「赤城」からは、作戦成功伝え暗号打電されていた。「トラ・トラ・トラ!」。(20世紀フォックス配給*2時間30分)

トラトラトラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/26 00:21 UTC 版)

トラトラトラは、太平洋戦争の始まりである日本軍の真珠湾攻撃が奇襲により開始されることを伝えた電信の暗号略号である。

意味は「ワレ奇襲ニ成功セリ[1]

概要

本来はモールス符号「・・―・・ ・・・」を繰り返すものでトラ連送とされた。真珠湾攻撃時には攻撃隊長・淵田美津雄中佐の搭乗する九七式艦上攻撃機から第一航空艦隊司令部(旗艦空母赤城」)に宛てて発信された。

真珠湾攻撃は、奇襲の場合(敵の防御が効力を発揮する前に攻撃可能であると空中指揮官が判断した場合)には艦攻による対艦攻撃を先行させ、強襲の場合には艦爆による対空防御制圧が先行させる計画になっていたが、「ワレ奇襲ニ成功セリ」はこのうち前者を指す電文となる。従って、これはあくまで攻撃が奇襲によって開始されることを示すものであり、攻撃そのものの成功を意味するものではない。

のちに、この電文をタイトルとし、真珠湾攻撃を題材とした映画トラ・トラ・トラ!』が作られた。

由来・解釈

当時第一航空艦隊の航空甲参謀を務めた源田実によると、小野寛治郎通信参謀が作り、11月24日に部隊が集結していた単冠湾で作戦説明が行われた際に、通信計画に関する説明の中で他の隠語とともに示したという[2]

航空乙参謀だった吉岡忠一は、ハワイ奇襲攻撃作戦の間だけ使用する通信略語として、自分と小野通信参謀の二人で作ったと述べている。吉岡によると、いくつか略語を作り、「全軍突撃せよ」は「ト」連送(ト・ト・ト…)とした。「我奇襲に成功せり」については、「ト」の次に「ム・ラ・サ・キ」(紫)をつけて「トム」「トラ」「トサ」「トキ」とした四つの略語のうちの「トラ」にたまたま「奇襲成功」の意味が当てはめられただけで、深い意味はなかったという[3][4]

しかし実際に「トラトラトラ」を打電した飛行隊長の淵田美津雄は、作戦説明時に配布された略語暗号書で「奇襲成功」の略電が「トラトラトラ」と知り、寅年生まれの自分にとって縁起が最高であると喜び、成功を確信したと、当時の心中を著書の中で語っている。さらに旗艦「赤城」宛の「トラトラトラ」の発電が、広島の連合艦隊旗艦「長門」でも直接受信されていたことを後日聞き、千里往くトラ、千里を帰ったのだと思ったと、「虎」との連想を深めていた[5]

吉岡も、戦後真珠湾攻撃の研究をまとめた歴史研究家ゴードン・ウィリアム・プランゲから、「あのトラというのはタイガーのことですか」と質問を受けており、「トラ」がたまたま「虎」「寅」と同音であったため、縁起をかついだものであったという様々な俗説を、真珠湾攻撃の成果の語りとともに生むことになった。

真珠湾攻撃を受けた側であるアメリカでは、「タイガー・タイガー・タイガー」と訳して「タイガーのように襲いかかる」と解釈されることもあった[6][信頼性要検証]。また、突撃と雷撃隊の最初の文字を合わせ、トラとしたと述べる米軍関係者もいた[7]

創作での引用

「トラ・トラ・トラ」の暗号とともになされた真珠湾攻撃は太平洋戦争の始まりであり、しばしば日本の創作物において、「奇襲」が行われる場面にパロディとして引用される例がある。

Re:ゼロから始める異世界生活」の三章の78話[8]アニメでは一期24話)では、魔女教大罪司教のペテルギウス・ロマネコンティを討伐するために接触した主人公=ナツキ・スバルが、協力者であるフェリスが「トラ・トラ・トラ」と言ったのを合図にペテルギウスを実際に奇襲する。さらに、奇襲が成功したあとにスバルが「我、奇襲に成功セリ」と啖呵を切る場面が存在する。

脚注

  1. ^ 『真珠湾攻撃 なぜ、戦わねばならなかったのか 太平洋戦争 今、語り伝えたいこと』歴史街道2001年9月特別増刊号、PHP研究所、2001年9月、24-27頁。 「トラ、トラ、トラ発信の瞬間」
  2. ^ 源田実『風鳴り止まず』サンケイ出版、1982年、109頁。
  3. ^ 吉岡忠一『海軍航空隊奮戦す:従軍慰安婦問題・戦争現場からの証言』「第2部パールハーバー奇襲作戦の秘密」、1994年、100頁。
  4. ^ 吉岡忠一『ハワイ奇襲攻撃についての思い出』交詢社ネービー会に於いて 平成5年6月23日 防衛省戦史研究センター
  5. ^ 淵田美津雄・中田整一『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝』講談社文庫、2010年、361・362頁。
  6. ^ 赤根祥道『安岡正篤 泳ぎもせず、漕ぎもしないで一生を終わるな!』三笠書房、1995年、P.104頁。ISBN 4-8379-1604-X 
  7. ^ PBS Hawaii 2016年11月23日放映 Pearl Harbor
  8. ^ Re:ゼロから始める異世界生活 - 第三章78 『狂人と狂言回し』”. 小説家になろう. 2023年7月26日閲覧。

トラ! トラ! トラ!

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 06:28 UTC 版)

トラ! トラ! トラ!』は、シブがき隊の楽曲で、16枚目のシングル。






「トラ! トラ! トラ!」の続きの解説一覧

トラ・トラ・トラ!

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 19:05 UTC 版)

トラ・トラ・トラ!』(Tora! Tora! Tora!)は、1970年に公開されたアメリカ戦争映画である。


注釈

  1. ^ 黒澤明は脚本執筆のため阿川弘之の『山本五十六』からも多くのアイデアを得たが、後に黒澤が降板したことから阿川の名前がクレジットに入ることはなかった
  2. ^ ただし、九九式艦上爆撃機による急降下爆撃は再現できず、史実とは異なる水平爆撃による攻撃シーンとなった。急降下爆撃は急降下後に機体を急激に引き起こす必要があるため、ダイブブレーキ等の専用装備と高い機体強度を要求する機動であり、改造機体では機体強度や構造的に無理がある。また急降下爆撃は第二次世界大戦を境に廃れた攻撃方法であり、(たとえ撮影用の真似事であっても)こなせる技量のある操縦士は、撮影当時は既に存在しなかった。また、実際に真珠湾の米軍施設上でロケを行った関係上、危険防止の観点から投下した模擬爆弾もFRP製のハリボテ(投下しても実物のようにスムーズな弾道を描かない)を使用せざるを得ず、リアリティの点でスタッフには悔いが残ったという。
  3. ^ エセックス級航空母艦のうちの1隻で、ミッドウェー海戦で戦没した先代(CV-5)とは異なる。
  4. ^ 実際の赤城の艦橋は左舷側にある。『パールハーバー』(2001年)では同じくエセックス級空母のレキシントン(AVT-16)(ヨークタウンと同じく名前を引き継いだ、空母としては二代目)の飛行甲板の艦首側から艦尾側にかけて、つまり通常とは逆方向に強引に発艦し、日本空母独特の左舷艦橋を再現している。
  5. ^ 艦船セットの製作と撮影の顛末については以下を参照[72][73]
  6. ^ 飛行甲板上に蒸気吹出口を設け、放射状に描かれた線により甲板上の風向きを視認するための標識
  7. ^ 正式には「烹炊員」と呼ばれる主計科所属の兵員。但し渥美清は艦内帽でなくコック帽をかぶっており、また二人しかいないため、「割烹」と呼ばれる士官食を作る軍属(民間人だがその職業のために軍艦に乗っている)のコックであると思われる。

出典

  1. ^ a b 訳書新版は『トラ トラ トラ 太平洋戦争はこうして始まった』(千早正隆 訳、並木書房、2001年)
  2. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月、285頁。ISBN 978-4-873-76755-0 
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  6. ^ a b c “いわく付きの大作 ようやく公開に『トラ・トラ・トラ!』 話題の真珠湾奇襲 迫力十分 配役は日米交互”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 9. (1970年8月31日) 
  7. ^ a b c d e “海外トピック 源田・アグニュー 日米トラブル・メーカーの顔合わせ トラ・トラ・トラが取り持つ縁 両タカ派、話題まくか”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 2. (1970年9月5日) 
  8. ^ 「タウン 映画 『トラ・トラ・トラ!』」『週刊新潮』1970年10月10日号、新潮社、14頁。 
  9. ^ a b c d “史実に忠実、面白く舛田監督『トラ…』の編集に立ち合う”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): p. 13. (1969年10月7日) 
  10. ^ 黒澤明vs.ハリウッド 2006, p. 46.
  11. ^ “黒沢明・フォックスと提携 『虎虎虎』(70ミリ)総監督 日米二班編成で来春撮影開始”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 12. (1967年5月1日) 
  12. ^ a b “米側監督はR・フライシャー 『虎虎虎』”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 12. (1967年5月27日) 
  13. ^ a b c d e f g h “トラ・トラ・トラ撮影開始 山本元帥に鍵谷氏 12月から異色の顔ぶれ”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 12. (1968年11月4日) 
  14. ^ 黒澤明vs.ハリウッド 2006, p. 74.
  15. ^ a b c d e f g h i j 映画よ憤怒の河を渉れ 2018, pp. 101–113.
  16. ^ 黒澤明vs.ハリウッド 2006, p. 144.
  17. ^ 黒澤明vs.ハリウッド 2006, p. 186.
  18. ^ a b “『トラ・トラ・トラ』撮影へ 日本側・佐藤純弥監督で”. 毎日新聞夕刊 (毎日新聞社): p. 9. (1968年6月27日) 
  19. ^ a b c d e f g h i 映画監督 深作欣二 2003, pp. 199–206.
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  24. ^ a b c d e f g h i “69年十大ニュース 『トラ・トラ・トラ始末記』”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 6. (1969年12月20日) 
  25. ^ a b c “"連合艦隊の将星"勢ぞろい 『トラ・トラ・トラ』のメイ優たち”. 毎日新聞夕刊 (毎日新聞社): p. 9. (1968年11月28日) 
  26. ^ a b 安藤蕃「映画トラトラトラとキワニス・クラブ」(PDF)『一般社団法人東京キワニスクラブ「30年のあゆみ」』、(社団法人)東京キワニスクラブ、1994年3月31日、90-91頁、2022年6月8日閲覧 
  27. ^ a b c d e f “特撮を深作監督 正式に決定 『トラ・トラ・トラ!』”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 14. (1968年12月26日) 
  28. ^ a b c 村尾薫 (1969年4月5日). “黒沢事件に思う”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 2 
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  30. ^ “黒沢プロ、セットを解体 『トラ・トラ・トラ!』”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): p. 11. (1969年1月7日) 
  31. ^ 黒澤明vs.ハリウッド 2006, p. 287.
  32. ^ a b 『ワケありな映画』(沢辺有司、彩図社)
  33. ^ 元黒澤プロマネージャー・野上照代談、朝日新聞2006年12月13日
  34. ^ 土屋嘉男『クロサワさーん! 黒澤明との素晴らしき日々』(新潮社、1999年)
  35. ^ 高鳥都「悪役一代 唐沢民賢インタビュー 『役者一筋"芸歴"67年 87歳 未だ現役』」『別冊裏歴史 昭和の不思議101 2021年夏の男祭号 ミリオンムック83』2021年7月15日号、大洋図書、104頁。 
  36. ^ “仕組まれていた?黒沢辞任 『トラ・トラ・トラ!』鍵谷氏"黒い霧"を語る”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): p. 11. (1969年1月19日) 
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  57. ^ a b c d e f g h i j k l m “撮影、あくまで秘密裡に 再開へ、スタッフ京都で勢ぞろい 『トラ』 警備厳重の2号館(国際見本市) 来月3日から開始 続々、運び込む器材/"山本長官役"山村聰に交渉 FOX、芦田伸介辞退で/三橋達也が出演 田宮の代わりに源田航空参謀役で”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): p. 15. (1969年2月26日) 
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  67. ^ a b c d e f g h i “E・ウイリアムス出席でトラ・トラ・トラの記者会見/今週のことども『トラ・トラの前代未聞試写』”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): pp. 1,6. (1969年3月8日) 
  68. ^ a b c “『トラ・トラ・トラ』撮影を再開 黒澤問題は未解決のまま”. 毎日新聞夕刊 (毎日新聞社): p. 9. (1969年3月9日) 
  69. ^ a b c d e f g “黒沢監督は病気で解任 ウイリアムス氏語る『トラ・トラー』 異例のラッシュ試写”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): p. 11. (1969年2月25日) 
  70. ^ a b c “再び京都入り 『トラ・トラ・トラ!』”. 報知新聞 (報知新聞社): p. 10. (1969年4月10日) 
  71. ^ a b c d “スケールでっかく快進撃 『トラ・トラー』日本編、今月で撮影終了 フィルム使い放題 舛田監督仕上げが大変”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社]): p. 11. (1969年4月25日) 
  72. ^ 岸川靖「空想科学画報・特別編 トラ・トラ・トラ艦船編」『モデルグラフィックス』 No.289、大日本絵画、2008年12月、121-125頁。 
  73. ^ 「巻頭特集 トラ・トラ・トラ!」『モデルグラフィックス』 No.292、大日本絵画、2009年3月、5-7頁。 
  74. ^ a b c d e f “『トラ…』米議会で問題化 空母などの"出演"で公聴会”. 報知新聞 (報知新聞社): p. 10. (1969年5月19日) 
  75. ^ a b c d e “真珠湾攻撃を美化している 『トラ・トラー』米議会で問題化”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社]): p. 11. (1969年6月19日) 
  76. ^ “映画『トラ・トラ・トラ』 米軍事委が公聴会 空母使用 議会で問題化”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 17. (1969年6月19日) 
  77. ^ a b “"トラ・トラ・トラ"紛争解決 米下院軍事小委 艦艇使用を認める”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 10. (1969年12月11日) 
  78. ^ “スポット”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): p. 13. (1969年10月20日) 
  79. ^ “日本側の撮影シーンは5分の2『トラ・トラ・トラ!』編集立ち合いの舛田監督帰る”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): p. 15. (1969年10月30日) 
  80. ^ “映画『トラ・トラ・トラ』(日米合作) 戦闘場面圧巻だが…思想性に欠ける”. 毎日新聞夕刊 (毎日新聞社): p. 9. (1970年10月10日) 
  81. ^ 『三島由紀夫映画論集成』ワイズ出版
  82. ^ 実松譲「第二部 第四章 太平洋情報戦線異状あり 人類最大のドラマ」『真珠湾までの365日 真珠湾攻撃 その背景と謀略』光人社〈NF文庫〉、1995年7月1日(原著1969年12月)、373-374頁。ISBN 978-4769820932 



トラ・トラ・トラ!

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/18 08:39 UTC 版)

ワード (駆逐艦)」の記事における「トラ・トラ・トラ!」の解説

1970年の映画『トラ・トラ・トラ!』でもワードによる特殊潜航艇撃沈シーン再現されており、護衛駆逐艦フィンチ英語版) (USS Finch, DE-328) がワードの役を務めている。フィンチ撮影に際して艦首の艦番号を「139」に書き換え1969年3月7日当該シーン撮影された。

※この「トラ・トラ・トラ!」の解説は、「ワード (駆逐艦)」の解説の一部です。
「トラ・トラ・トラ!」を含む「ワード (駆逐艦)」の記事については、「ワード (駆逐艦)」の概要を参照ください。


トラ・トラ・トラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 18:50 UTC 版)

真珠湾攻撃」の記事における「トラ・トラ・トラ」の解説

ハワイ現地時間12月7日日曜日の朝だった。当時ハワイには移動式レーダーが6箇所設置されていた。その中でオアフ島北端のオパナに設置されてあったレーダー操作していたのはジョーゼフ・ロッカードとジョージ・エリオット2人二等兵であったが、エリオット新米でロッカードからレーダー操作法学んでいる途中であった。この当時真珠湾レーダーは朝4時から7時までたった3時操作されているにすぎず、この日も終了時間7時となり撤収準備していた矢先レーダーのオシロスコープスキャナーに50機を超える飛行機大編隊おぼしきものがキャッチされた。ロッカードはすぐにレーダー統括するために新設され情報センター電話をしたが、この日は日曜日本職管制官休んでおり、レーダーのしくみを理解するための訓練として管制官役をしていた若手陸軍航空隊パイロット、カーミット・タイラー陸軍中尉応対した。本来であれば未熟なパイロット管制官補佐するため情報センターには多く下士官勤務していたが、7時までの勤務時間終えて全員退室しており不慣れなタイラー1人対応することとなってしまった。タイラーはロッカードから電話80マイルまで接近している問題編隊についての報告受けたが、その際にロッカードはレーダースクリーン上の編隊大きさについて報告をしていなかった。タイラー本日フィリピン配備される予定である12機のB-17オアフ島飛来する予定であることや、2隻の空母航行中であることを知っており、その機影友軍のものである誤認したが、それらの情報士官のみが知っている軍事機密扱いであったため、二等兵2人伝えることができず、ただ「気にするな」という曖昧な返事をするに止まった後日タイラーこのミスによる処罰を受けることはな戦後創設されアメリカ空軍中佐まで昇進したが、「あの(気にするなという)何気ない一言なければもっと昇進できた」と悔やむこととなった一方「気にするな」と指示され2人二等兵は、その後レーダー機影追い続けた22マイルまで接近したところで丘陵の影に紛れて見えなくなった7時10分(日本時間8日午前2時40分)には、アメリカ海軍駆逐艦DD-139「ワードウォード)」がアメリカ領海内において国籍不明潜水艦発見し砲撃によりこれを撃沈したワード号事件)。これは日本軍特殊潜航艇甲標的であったワード号は直後に「未識別潜水艦」を撃沈した旨を太平洋艦隊司令部打電したが、ハワイ周辺海域では漁船などに対す誤射がしばしばあったことからその重要性認識されなかった。また、その直後にはカタリナ哨戒機湾口1マイル沖で潜水艦発見し爆雷攻撃行ったという報告なされたが、その報告聞いた海軍参謀らはワードからの報告含めて長々議論するばかりで結論を出すことができず、陸軍連絡することすらしなかったため、陸軍警戒態勢強化を図ることができなかった。このようにアメリカ軍奇襲事前に察知する機会何度も逃しており、ワシントンハワイにいる責任のある者の中に一人でももう少し用心深いものがいたら日本軍奇襲成功しなかった。 7時35分(同3時5分)に航空隊オアフ島北端カフク岬を切れ目発見し7時40分(同3時10分)に「突撃準備隊形作れ」を意味する「トツレ」が発信され信号弾発射された。この際奇襲の場合には合図信号弾1発で火災による煙に妨げられることない状況対艦攻撃実施させるべく艦攻による攻撃先行させ、強襲の場合には合図信号弾2発で艦爆による対空防御制圧先行させる作戦計画になっていたが、信号弾1発で村田重治率い雷撃隊が展開行動起こさないのを見て淵田美津雄合図見逃した誤解しもう1発信号弾を発射艦爆指揮官である翔鶴飛行隊長高橋赫一海軍少佐はこれを合わせて信号弾2発と誤解し先行した間もなく重巡洋艦筑摩偵察機から「在泊艦は戦艦一〇、甲巡一、乙巡一〇」との報告があり、それと前後してラハイナ泊地向かった重巡洋艦利根偵察機からは「敵艦隊はラハイナ泊地にはあらず」との報告入った草鹿によれば筑摩より、3時10分に入った報告とされている)。 7時49分(同3時19分)、第一波空中攻撃隊は真珠湾上空到達し攻撃総指揮官の淵田が各機に対して全軍突撃」(ト・ト・ト……のト連送)を下命した。 7時52分(同3時22分)、淵田は旗艦赤城に対してトラ連送「トラ・トラ・トラ」を打電した。これは「ワレ奇襲成功セリ」を意味する暗号略号である。この電波赤城中継したが、中継を待つまでもなく広島湾にいた戦艦長門でも、東京大本営でも指揮官機電波直接受信した7時53分(同3時23分)に赤城から「隊長先の発信赤城了解」と返信があった。奇襲成功したことを知った草鹿南雲の手固く握り落涙したと言う航空機による攻撃は8時00分(同3時30分)に雷撃により開始される予定だったが、これより5分早い7時55分(同3時25分)に急降下爆撃隊フォード島ウィーラーホイラー陸軍飛行場へ250kg爆弾による爆撃開始し、これが初弾となったホノルル海軍航空基地作戦士官ローガン・ラムジー中佐7時55分ごろに基地に対して急降下してくる航空機耳をつんざく音に気が付き近くにいた当直士官大尉に「あいつの機体番号調べろ。あいつの安全ルール違反報告しなきゃならん」と命令した。その航空機はさらに突っ込んできたため、ラムジーは「機体番号わかったか?」と当直士官聞いたが「いや、わかりません。赤のバンドついてるから隊長機思います。」という返答があった。ラムジー苦々しい顔をしていると当直士官が「急降下爆撃機機体引き起こして上昇するとき何か黒いものが落下しました。」と報告した瞬間に凄い爆発音格納庫の方で鳴り響いたラムジー表情を強張らせ「ディック飛行隊長調べる必要はない、あれは日本飛行機だ」と叫ぶと、無線室に向かって廊下走り当番兵に次の電文平文打て命じたairraid on pearlharbor x this is not drill真珠湾空襲さる ※これは演習ではない) xは注意を促すために記号として打たれた(モールス符号に*や#の記号定義されていない)。「no」と「not」、2通り記述受信紙が存在する。 この史上もっとも有名なものの一つとなった電報には、フォード陸軍基地司令官のパトリック・ベリンジャー少将署名しアラスカに至るまでアメリカ海軍基地警戒呼び掛けた攻撃始まってしばらくしてからようやく海軍省へ、フランク・ノックス海軍長官にも伝えられた。電報を手にしたノックスは、報告したスターク海軍作戦部長に「何だと! こんなことはあり得ない! フィリピンのことに違いない!」と叫んだが、スタークは「いや長官、これは真珠湾のことです。」と答えている。

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