トヨタ2000GTとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 製品 > 乗り物 > > トヨタの車種 > トヨタ2000GTの意味・解説 

トヨタ2000GT

英語 Toyota 2000GT

1967年5月登場型式名MF10プロトタイプ65年秋の第12回東京モーターショーベール脱ぎ話題となった発売時の東京店頭渡し価格238万円。この価格当時としては相当高価で、例え当時のクラウン・スーパーデラックスATは122万円同等スペックをもったフェアレディ2000の3倍に相当する高額だった

ボディスタイルはロングノーズ&ファーストバッククーペ。ふたり乗りエンジン直6・2LのM型ベースDOHC化するなどヤマハ開発担当、ソレックス・ツインチョークキャブレーターを3連装し、最高出力150ps/6600rpm、最大トルク18.0kg-m/5500rpmを誇った5速ミッションにより0→400m加速は15.9秒、220km/hの最高速称したサスペンション4輪ともダブルウイッシュボーン独立式だった。

それ以前66年6月プロトタイプ鈴鹿1000kmレース出場総合1、2位を獲得。また10月にはJARI高速耐久トライアル挑戦連続72時間走って3種目の世界記録13種目国際新記録を樹立ボンドカーとして映画に登場(0072度死ぬ)したのも話題ひとつだった。クルマロードスター仕様だった。

69年8月最初にして最後マイナーチェンジ行ったフロントリヤデザインに少し手を加えラジエーター材質からアルミ変更。クラッチレリーズ系の改良によりギヤ入り改善し専用クーラーとATをオプション設定した。1代限り名車だった。70年10月生産中止した

トヨタ2000GT

※「大車林」の内容は、発行日である2004年時点の情報となっております。

トヨタ2000GT

市街地低速走行も、ハイウェイでの高速走行も、快適な乗心地確保した本格的なスポーツカー
ロングノーズ均整のとれたスタイリング6気筒ツインカム2000cc高性能エンジンバックボーンフレーム4輪ダブルウイッシュボーン式サスペンション4輪ディスクブレーキMg合金ホイールなど、国際水準高性能グランツーリスモ
量産考えず新機構を装備しひたすら走行性能の向上を図りある程度部品交換によりレース出場可能なクルマ。超高速耐久トライアルにおいて、数々世界新記録ならびに国際新記録を樹立して国産車技術水準広く世界に示す。
アメリカ自動車専門誌"Road & Track"が創刊20周年記念号に特集するなど海外でも大きな反響を呼ぶ。。
(スタイル)
空力学的に抵抗少な曲線のみで構成され低く流麗なスタイルヘッドランプには、我が国初のリトラクタブル方式採用
(高速耐久性)
トヨタ初のDOHC直列6気筒1988ccエンジンは150PS、フルシンクロ5段トランスミッション装備し高速耐久性実現
(高速安全性)
全輪独立懸架機構リミテッドスリップデフ我が国初の全4輪真空倍力装置ディスクブレーキ採用
(居住性)
光沢仕上げインストルメントパネル、高級マホガニー製で伸縮可能なハンドルリクライニング付きレザー張りのバスケットシートなど、人間工学的に最良操縦性得られるようにレイアウト

保管場所:トヨタ博物館 (〒480-1131 愛知県愛知郡長久手町大字長湫横道41100号)

製作(製造)年:1967

製作者(社):トヨタ自動車工業株式会社

資料種類:量産品

現状:展示(静態)・公開

車名 / 製作
車名:トヨタ2000GT

モデル名:MF10

会社名:トヨタ自動車工業株式会社

製作年:1967

協力者:ヤマハ発動機株式会社

車種用途:スポーツカー

実車所在/模型:トヨタ博物館

型式 / 重量
スタイル:クーペ

ドア:3ドア

乗員:2名

車両重量:1120kg

車両総重量:1230kg

エピソード:日本最初長距離レーススズカ1000キロ総合1、2独占谷田部自動車試験場にて、3つの世界新記録13国際新記録を樹立

車体 / 寸法
構造:フレーム型ボディ

バンパー:あり

ステップ:なし

全長:4175mm

全幅:1600mm

全高:1160mm

タイヤサイズ:165HR15

車体 / 車軸 /
操縦 / 付属
フレーム:X型フレーム

前軸:ダブルウィッシュボーンボールジョイント

後軸:浮動ダブルウィッシュボーン

軸距:2330mm

トレッド×後トレッド:1300×1300mm

ステアリング:ラック&ピニオン(前後調整付)

ダンパー:テレスコピックアブソーバ

スタビライザー:トーションバー

特徴:ホイールMg合金鋳物 後:ダブルウィッシュボーン 2ジョイント付き

機関 / 寸法 /
出力
冷却/気筒配列:水冷/直列6気筒(3M型)

機構:DOHC

内程×行程:75mm×75mm

排気量:1988cc

最高出力/回転数:150PS/6600rpm

最大トルク/回転数:180kgm/5000rpm

過給機:なし

燃料タンク容量:60 l

特徴:2LクラスDOHCエンジンとしては日本初

ハイブリッド
ハイブリッドシステム形式:なし

駆動系
変速機:オーバートップ5速後退1段

駆動方式:FR

性能
モード燃費:-

その他事項:前照灯:リトラクタブルヘッドランプ2灯;最低地上高:155mm;ワイパー:タンデムリンク式セルフトップ;足ブレーキ:真空サーボ油圧ディスク;圧縮比:8.4;最終減速:4.875~4.111の4段選択(リミッテッドスリップデフ);最高速度:220km/h;燃費率:15.0km/L(55km/h定速);加速性能:ss1/4マイル 15.9;


トヨタ・2000GT

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 14:37 UTC 版)

2000GT(にせんジーティー)は、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)とヤマハ発動機が共同開発したスポーツカーである。ヤマハ発動機に生産委託され、1967年から1970年までトヨタブランドで販売された。型式は「MF10」と「MF10L」。


注釈

  1. ^ 「A~X」と言う呼称は日産自動車のもので、後世にも「YX」で始まるヤマハ側の開発コードは見られない。A550Xも2000GTも、共通しているのはリトラクタブルヘッドランプを持つファストバッククーペということのみで、車体構造的には全く異なる。エンジンも、A550Xはヤマハ発動機が米国の航空機メーカーから特許を購入して開発したタイスエンジン(全溶接製ブロックを持つDOHC4気筒エンジン)をヤマハ発動機が独自に改良したYX80型を搭載していたのに対して、2000GTはクラウンのM型(SOHC6気筒)にトヨタとヤマハ発動機が共同開発したDOHCヘッドを組み合わせた3M型を搭載しており、全く相違していた。
  2. ^ トヨタ・2000GTのヤマハ側の開発責任者だった技術者の安川力はモノ・マガジン No.323(1996年8月2日号)のインタビュー(238ページ)で、日産、トヨタ両社の関連を否定している。
  3. ^ 構造的にもYX30がスペースフレーム構造であるのに対し、2000GTは2代目クラウンと同じX字型バックボーンフレーム構造である
  4. ^ 当時日本でSOHC直列6気筒エンジンを生産していた国産メーカーはトヨタのほか、プリンス(1963年発売のグロリア・スーパー6用G7型)と日産(1965年発売のセドリック・スペシャル6用L20型)のみでいずれもメインベアリングは4ベアリング仕様であり(日産L型はのち7ベアリング化)、当初から7ベアリング仕様になっていたのはトヨタのM型だけだった。
  5. ^ ヤマハ公式の「XS-1 開発ストーリー」によると、1970年のXS-1の4ストロークエンジンを開発するに当たってヤマハはトヨタの2000GT開発陣にアドバイスを受けたり、構造こそ大きく違うものの2000GTのエンジンの部品・設計の一部を流用したりしたという
  6. ^ 「L」は左ハンドル(Left-hand drive)を表す。
  7. ^ 実際のシルビアのデザインは日産社内デザイナーの木村一男によるもので、ゲルツはデザイン顧問という立場でこれを監修した。
  8. ^ 自動車評論家の山口京一は、生前のゲルツから日産・A550Xのデザインに携わったという証言を得ているといい、これを引いてやはり評論家の福野礼一郎も日産経由のゲルツ・デザイン説を推しているが、ゲルツ本人の証言とは相反することになる。
  9. ^ 彼女が気に入り購入したとも言われるが、真相は不明。米国トヨタの資料ではモーターショーの後に贈与されたとしている。リンク (PDF)
  10. ^ 現在の両車は共にレストア時にややメタリック感を増加させており、完全なオリジナルカラーの復刻にはなっていない。
  11. ^ 日本画に使用されている雲母を原料にした金色顔料のこと。
  12. ^ 当時モーターショーで見たというオーナーの記憶を頼りに、レストア時にホワイトから塗り替えられた後期型が存在する
  13. ^ トヨタではこれ以前の1947年にトヨペットSA型で前輪ウィッシュボーン、後輪スイングアクスルの四輪独立懸架を導入していたが、当時は技術が未熟で実用上耐久性不足な失敗に終わっていた。
  14. ^ ここに至るまでの経緯は少し複雑である。映画撮影後は1966年東京モーターショー展示を皮切りに、北米へ空輸され1967年一杯各地を回った後に日本へ戻り、1968年5月より富士スピードウェイでマーシャルカーとして使用されたが、1970年代前半に再び日本を出て、1970年代後半にハワイでブルーに塗り替えられた状態で発見された。それを1977年トヨタが引取り日本でレストアを施したが、当時のボディラインや演出用の装備品は失われている。
  15. ^ 撮影車からナンバープレートが移植され、1966年4月に完成したばかりの銀座ソニービル(ソニーは室内特殊装備の提供元)に同年暮れに展示[1]された。その後ヨーロッパに送られ、1967年のジュネーブショーを皮切りに1967年一杯ヨーロッパでの宣伝活動に使用されてから日本へ戻り、当時のトヨタ自動車販売(トヨタ自販)東京本社に展示された。しかしそれ以降の消息が分からなくなっていた。日本国内で予備車を撮影した写真は京本政樹がブログで公開している銀座ソニービルでの展示中の一枚[2]しか確認されていない。
  16. ^ 「ボンド仕様は1台しか製作されていない」または「同時完成ではなく2台目は撮影に間に合わなかった」というものである。これは予備車両が当初想定の用途とされた英国撮影スタジオで使われたことを証明する写真や、撮影車両と予備車両が同時に写っている写真が出てこないことから生まれた。
  17. ^ 西川淳「映画のクルマ特別企画 幻のボンドカー、発見!」『CARZY 創刊号』株式会社コンタクト、 2011年、 63-69頁。
  18. ^ セリカのモデルカーが存在した」という証言を受けトヨタも調査したが、ゴミの中から現物が見つかった以外、何も情報が残っていなかったという。このモデルカーも他のモデルカーと同じく、トヨタ会館にある。
  19. ^ クーペボディだけでなく『007は二度死ぬ』に登場したオープン仕様風のモデルも用意されている(なお、幌を閉じる事も可能となっている)ものの、ロードスターをベースとした関係によりクーペボディの方はオリジナルと異なり現状ではタルガトップとなっている[3]ほかドアのライン位置等の細かい点も異なっている。
  20. ^ こちらは roadster龍妃 とは異なりベース車両を持たず、車体はフレームから設計・開発したものである。2017年現在、トヨタ・アクアのハイブリッドシステムを搭載した前輪駆動モデルとトヨタ・スープラの3リッターエンジンを搭載した後輪駆動モデル、さらにオープントップモデルが販売されている。

出典

  1. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第1号(創刊号)15ページより。
  2. ^ 【スーパーカー年代記 027】トヨタ 2000GTは日本車の高性能化の幕開けを告げた記念碑的なスーパーカー webモーターマガジン
  3. ^ いつの日も遠く 第二章 四輪自動車の日々
  4. ^ 日本の名車10台に選ばれてもおかしくない1台をデザインしたのは誰だ?|初代シルビア&A550Xをデザインした男 Vol.1 - Nosweb・2020年9月26日
  5. ^ a b c オールドタイマー」2018年10月号
  6. ^ ヤマハ発動機のエンジン系譜に記載。 https://global.yamaha-motor.com/jp/design_technology/technology/img/index/powersource_img_l.jpg (PDF)
  7. ^ a b オールドタイマー」2014年12月号
  8. ^ オールドタイマー」2015年2月号
  9. ^ 「ビンテージスタイル」Vol.2、2016年
  10. ^ 「オールドタイマー」2014年12月号
  11. ^ https://global.yamaha-motor.com/jp/stories/history/stories/0012.html
  12. ^ [4]
  13. ^ [5]
  14. ^ [6]
  15. ^ [7]
  16. ^ a b c d e 『日本クルマ界 歴史の証人10人』(佐藤篤司著、講談社ビーシー2020年)pp.15 - 28
  17. ^ 『日本クルマ界 歴史の証人10人』p.42
  18. ^ 若林映子(インタビュアー:海野航平)「<全3回>『007は二度死ぬ』若林映子インタビュー Part2」『SCREEN ONLINE』、近代映画社、2023年10月5日https://screenonline.jp/_ct/176596712023年10月6日閲覧 
  19. ^ BBCTop Gear』ジェームズ・ボンド50周年スペシャル(2012年10月放送)による。
  20. ^ 知られざる「トヨタ 2000GT オープンカー」--「サーキットの狼ミュージアム」が所蔵 - えん乗り・2015年4月16日
  21. ^ 唐沢寿明様ご寄贈の「トヨタ2000GT Roadster」を展示(10月26日~2022年3月末) - トヨタ博物館・2021年10月25日
  22. ^ 安川力は「レースのための車ではないのにレースに出た理由は、トヨタもヤマハもあれほどの高性能車をテストする場を持っていなかったから。河野二郎さんから『これはレースでテストするしかないな』と言われ『そうですね』と答えたことを憶えている」と述べている。『オールドタイマー』2014年12月号
  23. ^ Old-timer』No.59、p.79
  24. ^ 『トヨタ2000GTを愛した男たち』三恵社、100頁
  25. ^ オールドタイマー」2019年10月号
  26. ^ 『昭和名車列伝復刻DVDシリーズ2 TOYOTA2000GT 世界記録への挑戦 スピードトライアル 1966』(エイベックス・マーケティング


「トヨタ・2000GT」の続きの解説一覧

トヨタ・2000GT

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 06:13 UTC 版)

ボンドカー」の記事における「トヨタ・2000GT」の解説

車体映画用に2台のみ特注されたオープンボディ、装備ソニー製テレビ電話など。当初トヨタからは通常のハードトップ仕様納車されたが、ボンド役のショーン・コネリー長身(188cm)のため車内が狭すぎて乗れないことが判明し急遽改造施されたという。ただしボンド愛車ではなく丹波哲郎演じタイガー田中率い日本諜報部所有車なので(運転したのは若林映子演じアキ)、厳密に言えばボンドカーではない。また、悪役の車としてトヨタ・クラウン使用されている。ちなみに現在のボンド役であるダニエル・クレイグは、歴代ボンドカーの中で最も好きな車にこの2000GT挙げている。

※この「トヨタ・2000GT」の解説は、「ボンドカー」の解説の一部です。
「トヨタ・2000GT」を含む「ボンドカー」の記事については、「ボンドカー」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「トヨタ2000GT」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「トヨタ2000GT」の関連用語

トヨタ2000GTのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



トヨタ2000GTのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
三栄書房三栄書房
Copyright c San-eishobo Publishing Co.,Ltd.All Rights Reserved.
社団法人自動車技術会社団法人自動車技術会
COPYRIGHT(C)SOCIETY OF AUTOMOTIVE ENGINEERS OF JAPAN, INC. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのトヨタ・2000GT (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのボンドカー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS