日本の自動車技術240選 |
トヨタ2000GT
| 市街地の低速走行も、ハイウェイでの高速走行も、快適な乗心地を確保した本格的なスポーツカー。 ロングノーズの均整のとれたスタイリング、6気筒ツインカム2000cc高性能エンジン、バックボーンフレーム、4輪ダブルウイッシュボーン式サスペンション、4輪ディスクブレーキ、Mg合金ホイールなど、国際水準の高性能グランツーリスモ。 量産を考えず、新機構を装備し、ひたすら走行性能の向上を図り、ある程度の部品交換によりレース出場が可能なクルマ。超高速耐久トライアルにおいて、数々の世界新記録ならびに国際新記録を樹立して国産車の技術の水準を広く世界に示す。 アメリカの自動車専門誌"Road & Track"が創刊20周年記念号に特集するなど海外でも大きな反響を呼ぶ。。 (スタイル) 空力学的に抵抗の少ない曲線のみで構成された低く流麗なスタイル。ヘッドランプには、我が国初のリトラクタブル方式を採用。 (高速耐久性) トヨタ初のDOHC直列6気筒1988ccエンジンは150PS、フルシンクロ5段トランスミッションを装備し、高速耐久性を実現。 (高速安全性) 全輪独立懸架機構、リミテッドスリップデフ、我が国初の全4輪真空倍力装置付ディスクブレーキを採用。 (居住性) 無光沢仕上げのインストルメントパネル、高級マホガニー製で伸縮可能なハンドル、リクライニング付きでレザー張りのバスケットシートなど、人間工学的に最良の操縦性が得られるようにレイアウト。 |
| 保管場所 | : | トヨタ博物館 (〒480-1131 愛知県愛知郡長久手町大字長湫字横道41番100号) |
| 製作(製造)年 | : | 1967 |
| 製作者(社) | : | トヨタ自動車工業株式会社 |
| 資料の種類 | : | 量産品 |
| 現状 | : | 展示(静態)・公開 |
| 車名 / 製作 |
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| 型式 / 重量 |
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| 車体 / 寸法 |
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| 車体 / 車軸 / 操縦 / 付属 |
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| 機関 / 寸法 / 出力 |
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| ハイブリッド |
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| 駆動系 |
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| 性能 |
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| その他事項 | : | 前照灯:リトラクタブルヘッドランプ2灯;最低地上高:155mm;ワイパー:タンデムリンク式セルフトップ;足ブレーキ:真空サーボ油圧ディスク;圧縮比:8.4;最終減速:4.875~4.111の4段階選択(リミッテッドスリップデフ);最高速度:220km/h;燃費率:15.0km/L(55km/h定速);加速性能:ss1/4マイル 15.9; |
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トヨタ・2000GT
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/18 14:14 UTC 版)
2000GT(にせんジーティー)は、トヨタ自動車とヤマハ発動機が共同開発し、ヤマハへの生産委託で1967年から1970年までトヨタブランドで限定生産されたスポーツタイプの乗用車である。- ^ ヤマハには四輪自動車開発への意欲もあったが、実際の四輪車に関する基礎研究・開発は、二輪業界で同業であった本田技研に比べると立ち後れており、これが日産やトヨタとの提携に繋がったと言える。ヤマハ自体は後年に至るまで自社ブランドの本格的四輪自動車は製造・販売に至っていない。
- ^ 「日産・2000GT」とも通称される。両車ともリトラクタブルライトを持つファストバッククーペというコンセプトは共通であるが、細部デザインに共通性は全くない。エンジンも、A550Xはヤマハ発動機が米国の航空機メーカーから特許を購入して開発したタイスエンジン(全溶接製ブロックを持つDOHC4気筒エンジン)をヤマハ発動機が独自に改良したYX80型を搭載していたのに対して、2000GTはクラウンのM型(SOHC 6気筒)にトヨタとヤマハ発動機が共同開発したDOHCのヘッドを組み合わせた3M型を搭載しており、全く相違していた。
- ^ 1960年代から1970年代にかけてのトヨタの量販車種販売スタンスは、競合メーカーよりも保守的で堅実な設計を採り、技術的失敗を避けながら価格を抑えつつ、オプションをも充実させることで市場競争力を確保するものであった。これは当時の日産自動車のキャッチフレーズ「技術の日産」と対比され、巷間「販売のトヨタ」と評されたが、この表現は、製作可能であるか否かはともかく、一般生産車両に最新テクノロジーを導入することには慎重・消極的な企業である、という当時のトヨタへの一般的評価をも示唆するものと言える。
- ^ 。「丸投げ」説の支持派、不支持派のいずれも、開発関係者の直接証言や公になった関係資料を元に取捨選択した論旨を構築しているが、「丸投げ」を全面肯定する論拠は乏しい。基本構造は、日産A550X=4気筒のモノコックボディ車、トヨタ2000GT=6気筒のバックボーンフレーム車、という差がある。しかし、日産・ヤマハの試作車は未公開のプロトタイプという事情から一般にそのスペックや成立過程が十分周知されておらず、トヨタ・2000GTとの関係性については、推論・憶測の域を出ることはない。
- ^ こうした例は日産・180SXにもあり、180は排気量を表し1800ccエンジン搭載を意味するが、マイナーチェンジで2000ccに変更されてからも通称名は180SXとして継続販売された。
- ^ 実際のシルビアのデザインは日産社内デザイナーの木村一男によるもので、ゲルツはデザイン顧問という立場でこれを監修した。
- ^ 自動車評論家の山口京一は、生前のゲルツから日産・A550Xのデザインに携わったという証言を得ているといい、これを引いてやはり評論家の福野礼一郎も日産経由のゲルツ・デザイン説を推しているが、トヨタ・2000GTそのものを指してのゲルツ自身によるノスタルジックヒーロー誌証言の存在から、推論として飛躍していることは否定し難い。また、野崎自身もノスタルジックヒーロー誌30号のインタビューにおいてA550Xとの関連を問われ「まったく別のものです。影響されたところもありません。」と証言しており、A550Xの影響を明確に否定している。
- ^ [1]
- ^ [2]
- ^ [3]
- ^ [4]
- ^ トヨタではこれ以前の1947年にトヨペットSA型で前輪ウィッシュボーン、後輪スイングアクスルの四輪独立懸架を導入していたが、当時は技術が未熟で実用上耐久性不足な失敗に終わっていた。
- ^ 参戦した が戦績が芳しくないため、シェルビーはシーズン中に、元レーサーでシボレー・コルベットの開発チーフでもあったGM幹部のゾーラ・ダントフ(Zora Arkus Duntov 1910-1996)に極秘アドバイスを求めた。だがレーシングモデルの製作にも通じていたダントフの証言によれば、手を尽くしたものの「肝心のエンジンが駄目だった」ため、性能向上の打開策を得られず、成績挽回には至らなかった、という(Old-timer No.59 P.79 1995年に行われたダントフへのインタビューによる)。
- ^ ただし、本来「ボンドカー」はジェームズ・ボンド本人の運転する専用車(イギリス情報部の与えた特別仕様車。アストン・マーチン、ロータスなど)のみが該当する。2000GTは丹波哲郎演じるタイガー・田中率いる日本の諜報部の所有車という設定で(運転していたのも若林映子演じる日本の女性エージェント・アキであった)、厳密な「ボンドカー」の範疇には含まれない。
- ^ 1966年映画撮影車両、1966年後半から1967年の日本や北米各地モーターショーでの展示車両、1968年からの富士スピードウェイで使用されたマーシャルカー、1970年代にハワイで発見され、日本に持ち帰られ修復された現在のトヨタ博物館所蔵車両では一貫共通してルームミラーとサンバイザーフレームが装備されている(半透明樹脂サンバイザー自体は撮影時に破棄されている)。一方で、1967年にヨーロッパ各地のモーターショーに展示された車両ではそれらが装備されていない。したがって、当時2台製作されたこと、トヨタ博物館所蔵車両が映画撮影車両そのものであることの2点は事実と断定できる。すなわち予備車両の行方が判らなくなっているのである。
- ^ ちなみに、昭和41年10月発行『モーターエイジ』の記事では、「2台製作され1台は日本国内での撮影に使用され、2台目は特殊効果撮影のためロンドンに空輸されたという」という伝聞が紹介されている。しかし、完成直後の1台目の2000GTがイギリスに空輸されたのは事実であるが、それは小道具としての特殊装備を組み込むためであり、作業終了後日本に戻されて撮影に使用された。一方、イギリススタジオでの車内シーンの撮影には、特殊装備を組み込んだアルファロメオ2600スパイダーが使用されたが、この特殊装備は日本ロケ終了時に撮影車両から抜き取り、イギリスに持ち帰られたものであった。撮影車両本体は、撮影時に凹んだ部分を応急的に修理した上で、さっそく日本国内でのプロモーションに使用された。複数の工場関係者が「1台目と同時に完成した」と証言する2台目の予備車両であるが、なぜ映画撮影に使用されなかったのか、また、そもそも撮影に間に合うタイミングでイギリスに渡ったのかどうかすらも定かではない(ここからボンドカー1台説や予備車両完成遅延説が生まれた)。この予備車両が一般人の前に姿を現したのは撮影翌年1967年ジュネーブショーになってからである。そこに展示された時には特殊装備が組み込まれていたため、撮影に間に合ったかどうかはともかくとして、内装改造作業を受けるため一旦イギリスに渡った可能性はあり、モーターエイジの記述が誤りとまでは言えない。
- ^ 撮影車両に使用された「品川 5 ま 20-00」のナンバープレートは撮影用の小道具であったが、日本での撮影終了時に特殊装備と共に取り外されイギリスに持ち帰られた。このため、撮影車両がプロモーションに使用された際は「TOYOTA 2000GT」ロゴのプレートが装着された。このプレートは、後年凸凹になりながらもマーシャルカー時代まで取り外されることはなかった。一方、予備車両がヨーロッパに渡った際に、特殊装備と共にこのナンバープレートが装着され、ヨーロッパ各地のプロモーションを回った。車両の帰国前に特殊装備は再度取り外され映画製作会社が回収したが、ナンバープレートはそのまま残され、車両と共に1967年暮に日本に帰国した。1968年春に、当時のトヨタ自販東京本社1階ショールームに展示されたのはこの予備車両の方であり、品川ナンバープレート付きのまま展示されていた(特殊装備が抜き取られた穴もそのままであった)。
- ^ 現存するオープン仕様の車両はトヨタ博物館に収蔵されているオリジナルの撮影用車両のほか、米国のコレクターPeter Nelsonが製作した精巧なレプリカがある。こちらに組み込まれている特殊装備は、撮影に使用された「本物」であり(保管していた映画製作会社からの提供を受けた)、イギリスのThe Bond Museum[5]に展示されている。 またそれ以外にも、レプリカとしてではなくオーナーの趣味でオープントップやタルガトップに改造された数台の車両が知られている。
[続きの解説]
「トヨタ・2000GT」の続きの解説一覧
- 1 トヨタ・2000GTとは
- 2 トヨタ・2000GTの概要
- 3 諸元
- 4 レースおよび記録
- 5 その他
- 6 関連項目
固有名詞の分類
- 京本政樹「トヨタ2000GT」語るスポーツ報知
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