トクトア・ブハ
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トクトア・ブハ(モンゴル語: Тогтох Бух、英語:Toghtoa Bukha、1422年[1] - 1452年1月19日[2][3])は、モンゴル帝国の第27代(北元としては第13代)ハーン(在位1433年 - 1452年)。モンゴルの年代記では、タイスン・ハーン(Тайсун хаан、Tayisung Khan)の名前で書かれる[4]。漢文史料では脱脱不花と表記される。
- ^ 岡田『モンゴル帝国から大清帝国へ』、273頁
- ^ a b c 宮脇『最後の遊牧帝国 ジューンガル部の興亡』、108頁
- ^ 岡田『モンゴル帝国から大清帝国へ』、371頁
- ^ a b c d 宮脇『最後の遊牧帝国 ジューンガル部の興亡』、104頁
- ^ 岡田『モンゴル帝国から大清帝国へ』、248頁
- ^ 森川「ポスト・モンゴル時代のモンゴル」『中央ユーラシアの統合』、329頁
- ^ 森川「ポスト・モンゴル時代のモンゴル」『中央ユーラシアの統合』、329-330頁
- ^ 宮脇『最後の遊牧帝国 ジューンガル部の興亡』、105頁
- ^ 岡田『モンゴル帝国から大清帝国へ』、256,370-371頁
- ^ a b c 青木「トクト・ブハ」『アジア歴史事典』7巻、119-120頁
- ^ 『騎馬民族史 正史北狄伝』3巻、17-18頁
- ^ a b 宮脇『最後の遊牧帝国 ジューンガル部の興亡』、107頁
- ^ a b 『騎馬民族史 正史北狄伝』3巻、18頁
- ^ 『騎馬民族史 正史北狄伝』3巻、75頁
- ^ 岡田『モンゴル帝国から大清帝国へ』、66頁
- ^ 岡田『モンゴル帝国から大清帝国へ』、66-67頁
- ^ a b c 『騎馬民族史 正史北狄伝』3巻、19頁
- ^ 岡田『モンゴル帝国から大清帝国へ』、67頁
- 1 トクトア・ブハとは
- 2 トクトア・ブハの概要
- 3 妻子女
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