デルヴィシュ・エロールとは? わかりやすく解説

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デルヴィシュ・エロール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/29 10:03 UTC 版)

デルヴィシュ・エロール
Derviş Eroğlu


任期 2010年4月23日2015年4月30日
首相 フセイン・オズグルグン (代行)
イルセン・キュチュク
シベル・シベール
エズカン・ヨルガンジュオール

任期 1985年7月19日1994年1月1日
元首 ラウフ・デンクタシュ

任期 1996年8月16日2004年1月13日
元首 ラウフ・デンクタシュ

任期 2009年5月5日2010年4月23日
元首 メフメト・アリ・タラート

出生 (1938-03-07) 1938年3月7日(85歳)
イギリスキプロスファマグスタ
政党 国民統一党
出身校 イスタンブール大学
現職 医師
配偶者 メラル・エロール

デルヴィシュ・エロールトルコ語: Derviş Eroğlu1938年3月7日 - )は、北キプロス・トルコ共和国(KKTC)の政治家。国民統一党(NUP)の代表として同国首相を1985年から1994年、1996年から2004年、2009年から2010年の三度、また大統領を2010年から1期務めた[1]

経歴

ファマグスタ出身。トルコイスタンブール大学で医学を学び、1976年に当時のキプロス連邦トルコ人共和国の議会議員になった。1976年から1977年まで教育・文化・青少年・スポーツ大臣を務め、1983年11月の憲法制定会議にも加わった[2]。同年、国民統一党(NUP)代表に就任。1985年から1994年にかけ4期にわたり、また1996年からNUPが総選挙でメフメト・アリ・タラート率いる共和トルコ党に敗れる2004年まで首相を務めた。NUPを率いて臨んだ2009年4月18日の総選挙では、有効投票の44%を獲得して勝利し、任期5年の首相職を始めた[3]が、大統領に選出された翌年4月18日に辞職した。再選を目指した2015年北キプロス大統領選挙英語版の第1回目投票では統合積極派のムスタファ・アクンジュを抑え1位になったが、決選投票でアクンジュに逆転を許し落選。2015年4月30日に大統領を退任した。

結婚しており、子供が4人と孫が3人いる。

脚注

  1. ^ New TRNC President Eroglu to Take Oath on Friday”. Ankara: Turkish Weekly (2010年4月20日). 2010年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月24日閲覧。
  2. ^ http://www.kimkimdir.gen.tr/kimkimdir.php?id=2588
  3. ^ http://www.cep-x.com/biyografiler/236562-dervis-eroglu-kimdir-hakkinda.html
公職
先代
メフメト・アリ・タラート
北キプロス大統領
第3代:2010 - 2015
次代
ムスタファ・アクンジュ
先代
ネジャト・コヌーク
ハッキ・アトゥン
フェルディ・サビット・ソイエル
北キプロス首相
第2代:1985 - 1994
第4代:1996 - 2004
第7代:2009 - 2010
次代
ハッキ・アトゥン
メフメト・アリ・タラート
フセイン・オズグルグン(代行)




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