デブレツェンの戦いとは? わかりやすく解説

デブレツェンの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/16 06:19 UTC 版)

デブレツェンの戦い(Battle of Debrecen)とは第二次世界大戦中、東部戦線においてソビエト赤軍第2ウクライナ方面軍によって行われた攻撃作戦である。ドイツ南ウクライナ軍集団所属の第6軍(司令官マクシミリアン・フレッター=ピコ)とハンガリー第VII軍団はハンガリーのデブレツェン占領を目標としていたソビエト赤軍第2ウクライナ方面軍(司令官ロディオン・マリノフスキー)との戦いで160㎞以上押し戻されていた。




  1. ^ 戦いの間に、ソビエト赤軍は約160Km北方へ進撃、デブレツェンの輸送における重要中心地域を占領した。領域の喪失、獲得という部分で判断するならば、デブレツェンの戦いはソビエト赤軍の勝利であった。ニーレジハーザにおけるドイツの反撃により、その地域の枢軸軍部隊の撤退、戦線の再構築に成功、さらにソビエト赤軍がドイツ第8軍後方に回ることを阻止した。このようにしてソビエト赤軍が進撃したが、ドイツ第8軍を分断することはできなかった。両軍の犠牲者数は同程度であったことは、戦いにおいては明白な勝者はいなかったことを示している。
  2. ^ 犠牲者の数は情報によって変化している。「 The Soviet official history (p. 239)」によれば、枢軸軍は10個師団が殲滅され、42,000名が捕虜となった。そして装甲車両915両が撃破され、138台が鹵獲された。火砲856門が捕獲され、迫撃砲793門が破壊、681門が捕獲された。ハーフトラック、軽装甲車両は428両が破壊され、航空機416機が破壊、386機が捕獲された。そして装甲列車8両、3,000以上の車両が破壊された。 ソビエト赤軍の損失については公式記録には記載されていない。 「German official history (p. 876)」によれば、ドイツ軍15,000名、ハンガリー軍20,000名、ソビエト赤軍、ルーマニア軍117,360名が負傷者を含む犠牲者として記述されており、その一方で枢軸軍18,000名、ソビエト赤軍、ルーマニア軍5,073名が捕虜として連行されたとしている。装甲戦力の損失は枢軸軍200両、ソビエト赤軍500両と推測されており、火砲の損失は枢軸軍490門、ソビエト赤軍、ルーマニア軍1,656両とされている。
  3. ^ オラデアはドイツでは「Großwardein」、ハンガリーでは「'Nagyvárad」と呼ばれている。
  4. ^ 1944年9月16日、ハンガリー第3軍には第IV軍団(第20歩兵師団、第1装甲師団)第VII軍団(第12補充師団、ラトカシュ旅団)第VIII軍団(第5、第8補充師団)らと司令部直轄に第4、第6補充師団が所属していた。 [7]
  5. ^ オットー・ヴェーラー(Otto Wöhler)、 (1894年-1987年), 1943年に第I軍団、1943年-44年、第8軍、1944年-45年南方軍集団の司令官をそれぞれ務め、1945年3月、予備役に編入された。戦後、武装親衛隊によって犯された犯罪行為の命令責任があるということで戦後、6年間投獄された。
  6. ^ ヘルムート・フォン・グロールマン(1898年-1977年)は1943年第1装甲連隊、1945年第4騎兵師団の指揮官を勤めた。戦後、ニーダーザクセンの難民担当大臣を勤めた後、連邦議会のスタッフとなった。
  7. ^ ポール・クラット(1896年-1973年)は第83山岳工兵大隊長(1938年-1939年)、第138猟兵連隊長(1941年-1944年)、第3山岳師団長(1944年-1945年)をそれぞれ勤めた。
  1. ^ Verratene Schlachten, p. 148
  2. ^ When Titans Clashed, p. 299
  3. ^ http://www.soldat.ru/doc/casualties/book/chapter5_10_1.html
  4. ^ German official history, p.876
  5. ^ a b Stalingrad to Berlin, p. 362
  6. ^ German official history, p. 822
  7. ^ Source for this OOB is Niehorster, p. 204.
  8. ^ German official history, p. 874
  9. ^ Third Axis Fourth Ally, p. 201
  10. ^ Third Axis Fourth Ally, p. 202
  11. ^ German official history, p. 873
  12. ^ Third Axis Fourth Ally, pp. 200-201.
  13. ^ The Road to Berlin, pp. 394-395
  14. ^ German official history, p. 875


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