テレフォンショッキング
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「テレフォンショッキング」(英称:TELEPHONE SHOCKING)は、フジテレビ系列で放送されていた長寿バラエティ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』の日替わりゲストによるトークコーナー。
注釈
- ^ タモリが当時大ファンであった。タモリは『タモリのオールナイトニッポン』でも桜田のファンであることを公言していた[1]。
- ^ 詳細は森田一義アワー 笑っていいとも!#タモリの休暇・不在時の対応を参照。
- ^ 当日は報道陣もスタジオに駆けつけた程であった(番組内でのタモリの発言より)。
- ^ 番組出演時の徳光の談話によると本番組以前、局に無断で地方のとある他系列局の番組に司会役で出演してしまい、減俸もしくは解雇処分になるかもしれないところであったが、重役の判断により譴責で済んだ過去があったため、この出演には勇気がいったという(なお、徳光はカメラを見るまで他系列局であることに気が付かなかったとのこと)。
- ^ 2人は当時、日本テレビのキャッチフレーズ「おもしろまじめに4チャンネル」のイメージキャラクターを務めていた。なお、徳光のみフリー転向後も数回出演した(最後の出演は2013年12月4日)。
- ^ 1976年当時のテレビ朝日は旧社名の「日本教育テレビ(NET)」。
- ^ 当時のフジテレビ朝のワイドショー『小川宏ショー』のサブ司会を務めており、メイン司会の小川宏と共に出演した。
- ^ 宮尾はその時、東海道新幹線ひかり524号(当時)に乗車していた。
- ^ 「タモちゃんのなんでも相談室」は扮装をしたタモリが出てきてすぐにCMに入ってしまいコーナーはほとんどできなかった。その後の「タモリのあてっコだましっコ」は予定通り行われた。
- ^ この時はレギュラーコーナーが全て潰れ、本コーナー途中からは火曜レギュラー全員が、さらにその後には、やる予定だったコーナーのクイズの正解ゲストとしてレギュラーにも伏せられていたIKKOまで乱入する事態となった。
- ^ 毎年夏放送の『FNS27時間テレビ』内の『笑っていいとも!増刊号生スペシャル』でこのコーナーが行われることがあったが、通常の『いいとも!』の放送ではないためトークの長さは記録にカウントされない。
- ^ 初回出演は1985年11月21日で、太地喜和子からの紹介で出演。なお、この回では勝は次回ゲストの「お友達」として五社英雄を紹介した。
- ^ 担当デザイナーの山口裕子も共に登場した。
- ^ なお、このさんまのテレフォンゲスト出演は予め決定していたもので、「お友達紹介」として紹介されたものではない。ちなみに、この企画は9月30日(月曜日)から一週間行われ、全て当時の「いいとも!」での記録保持者が選ばれた。10月3日以外のゲストは30日は最高視聴率を取った田原俊彦、10月1日(火曜日)は第1回のゲストだった桜田淳子、2日(水曜日)は当時男性ゲストの最多出演だった藤井フミヤ、4日は女性ゲストの最多出演だった和田アキ子が出演した。
- ^ この時は当時月曜レギュラーだった香取慎吾や当時金曜レギュラーだった草彅剛も出演した。なお、中居は2008年11月24日の放送では映画撮影の現場にいた草彅、アルタの楽屋で待機中だった香取に電話をかけている。
- ^ この日の通常のテレフォンゲストはDREAMS COME TRUE。
- ^ 1995年11月22日(水曜日)に小島奈津子(当時フジテレビアナウンサー)の付添人として出演。
- ^ 1987年5月1日放送(ゲストは加賀まりこ)では、小林が不在だったため、ディレクターの星野淳一郎が代理で担当した。
- ^ カレンダーボードには1995年9月4日から名前が付記されるようになった。また、この顔写真は1990年代までフジテレビの他の番組でも宣材写真同然の扱いで使われていた。
- ^ ネームプレートは当初白地に青字でテレフォンゲストの名前が書かれるのみだったが、1995年10月2日からはプレートの左上に『笑っていいとも!』の番組ロゴが描かれるようになり、以後番組終了までデザインは不変だった。
- ^ なお、このストラップは当コーナーでしか手に入らないオリジナルのもので、デザインは2代目(夏休みバージョンとして使われたもの)
- ^ 次回ゲストの中には、この時点で先走り「いいとも!」と言ってしまうものも多かった。
- ^ 1983年の途中から開始。それまではこのレスポンスが無く、「明日大丈夫ですか?」と尋ね返事が出た後は「じゃあお待ちしております」と普通に電話を切っていた。レスポンスが始まってからも『笑っていいとも!』自体がさほど定着していなかったためか「明日来てくれるかな?」と言ってもゲストから「いいとも!」という返事が出ず、タモリが「「いいとも」言って頂きたいんですが…」と言ってやり直す場面も見られた。
- ^ 1983年12月28日に浅田美代子が出演した際は、タモリがメモ帳に描いたイタズラ書きを浅田がテレビカメラに向けて映そうとして、観客から悲鳴が上がった。その際、タモリは「これは放送禁止デザインですから」と話した。
- ^ 無論これはイジりネタの一種であり、翌日の出演時も「座った途端にお友達紹介に行こうとする」「持ってきたポスターを引き裂くマネをする」「電報を読まない」といったネタが展開されていた。
- ^ その際、観覧者から歓声が上がったが、タモリが「似ているけど違う。新しく入ったAD」と説明すると、観覧者から「AD頑張れ!」とエールが送られていた。
出典
- ^ 特集 音楽・テレビ・CM・映画 ここまでわかった100の謎、『日経エンタテインメント!』1998年12月号。
- ^ “HKT指原莉乃 「いいとも!」名札をもらったことを報告”. 日刊アメーバニュース (2014年4月1日). 2015年9月13日閲覧。
- ^ a b c “『いいとも』テレフォンショッキングに最多の21回出演したゲスト3人は?”. 週プレニュース (2014年3月10日). 2014年4月9日閲覧。
- ^ 32年間台本なし 夜のネオン街から“お昼の顔"になったタモリさんを語る+(1/3ページ) - MSN産経ニュース、2014.3.25
- ^ 笑っていいとも! - goo tv(関東版),2014年1月14日
- ^ “「いいとも」での“乗っ取り”は演出 故有吉佐和子さんにまつわるネット上の嘘”. 2020年3月22日閲覧。
- ^ 笑っていいとも! - goo tv(関東版),2012年4月9日
- ^ 今日のいいともニュース 2014年3月21日(金) 笑っていいとも!資料室
- ^ 【動画】「辞めろ!帰れ!!」"笑っていいとも!"出演の安倍首相に怒声 BLOGOS 2014年03月21日
- ^ 『いいとも!』にAKB秋元、佐々木希、ロッチ加入 テレフォンアナは日替わりに - ORICON STYLE、2010年9月29日
- ^ 2011年『笑っていいとも!年忘れ特大号!きっと来年はいいともロースペシャル』放送当日
- ^ a b “『いいとも』テレフォンショッキングに最多の21回出演したゲスト3人は?”. 週プレニュース (2014年3月10日). 2014年4月9日閲覧。
- ^ “和田アキ子が『いいとも』“テレフォン”に出演。最多記録更新なるか。”. Techinsight (2014年3月14日). 2014年4月9日閲覧。
- ^ a b 日刊スポーツ、2014年4月1日24面
- ^ 『放送8000回達成!とんねるずが29年ぶりの出演でタモリにレギュラー化を直談判!『笑っていいとも!』』(プレスリリース)フジテレビジョン、2014年1月15日 。
- ^ とんねるず 残り2ケ月半でレギュラー獲得 29年ぶり「いいとも!」で独壇場 スポーツニッポン 2014年1月14日
- ^ タモリ、最後のテレフォンで「毎日朝から飲んで7月くらいに死ぬと思う」 サンケイスポーツ 2014年3月31日
- 1 テレフォンショッキングとは
- 2 テレフォンショッキングの概要
- 3 概要
- 4 テレフォンゲスト
- 5 コーナーの流れ
- 6 記録
- 7 脚注
テレフォンショッキング
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「しんじないと倶楽部」の記事における「テレフォンショッキング」の解説
ある有名人からの全くありえない有名人の紹介と、100分の1の質問の内容を送ってもらうもの。このコーナーの音楽は全て山根伸志が自分で録音した。
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