ハロルド・J・ティンパーリとは? わかりやすく解説

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ハロルド・J・ティンパーリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/02 15:35 UTC 版)

ハロルド・J・ティンパーリ(Harold John Timperley、中国表記:田伯烈、1898年 - 1954年)は、オーストラリアバンバリー出身のジャーナリスト。中国国民党国際宣伝処の顧問を務めた[1][2]


  1. ^ a b 田伯烈 廷珀利・哈罗德・约翰 澳大利亚人。第一次世界大战后来华,任路透社驻北京记者,后又任《曼彻斯特卫报》 ( Manchester Guardian ) 及美国联合报 ( 即美联社 ) 驻北京记者。1937年芦沟桥事变后,国民党政府派他往英美做宣传工作,嗣任国民党中央宣传部顾问。编有《日人在华的恐怖》( The Japanese Terror in China ) (1938) 一书。(中国社会科学院近代史研究所翻译室, 《近代来华外国人名辞典》, 中国社会科学出版社, 1981年, 第477页。)
  2. ^ a b 【歴史戦 第10部・終わらぬプロパガンダ(6)】「南京事件」広めた本 著者の豪人記者は中国からカネ貰って執筆した…そんな本が「百人斬り」脚色、裁判をも影響(1/7ページ) 産経新聞 2015年4月23日web魚拓
  3. ^ 記事の著者名には H. J. Timperley という名前を使っている。
  4. ^ 『上海時代ージャーナリストの回想 下巻』中央公論新社、1974年1月1日、358-363頁。 
  5. ^ “30万人殺害は長江デルタ 南京大虐殺で英記者電報”. 共同通信社. 47NEWS. (2002年12月21日). オリジナルの2014年2月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140222135926/http://www.47news.jp/CN/200212/CN2002122101000273.html 2022年9月23日閲覧。 
  6. ^ 『南京事件資料集 アメリカ関係資料編』青木書店,1992年
  7. ^ a b 『南京事件資料集 アメリカ関係資料編』における笠原十九司との対談。
  8. ^ 北村稔『「南京事件」の探求』文春新書
  9. ^ 北村,28頁
  10. ^ ジョン•ルイス『出版と読書 レフトブッククラブの歴史』晶文社,1991年。北村,29頁
  11. ^ なお、この『WHAT WAR MEANS』の日本語訳を収録する『日中戦争―南京大残虐事件資料集 第二巻』(洞富雄編,青木書店)の解題では、同書の出版元が明示されていないと北村稔は批判している(北村,28頁)。
  12. ^ マンチェスター・ガーディアン及びタイムズによるティンパーリの死亡記事より。1954年11月29日付両紙記事。
  13. ^ 北村,34頁
  14. ^ 洞富雄編『日中戦争 南京大残虐事件資料集 英文資料編』青木書店,20頁。北村,60頁
  15. ^ マンチェスター・ガーディアンへ宛てた手紙がきっかけとなった。
  16. ^ また1954年5月に開かれた最初の会議を組織した。
  17. ^ 【歴史戦】「南京事件」世界に広めた豪人記者、国民党宣伝機関で活動 台北の史料で判明(1/2ページ) 産経新聞 2015年4月16日web魚拓
  18. ^ 王凌霄『中国国民党新聞政策之研究(1928-1945)』近代中国出版社,1996年
  19. ^ 『曽虚白自伝(上集)』聯経出版,1988年
  20. ^ 北村,43-4頁
  21. ^ 『曾虚白自伝(上集)』,200-201頁
  22. ^ 北村,31頁
  23. ^ 北村,36頁
  24. ^ 鈴木明『新・南京大虐殺のまぼろし』飛鳥新社,1999年
  25. ^ 台北・党史館所蔵
  26. ^ 東中野修道『南京「虐殺」研究の最前線・平成十五年版』265-6頁
  27. ^ 中国帰還者連絡会『季刊 中帰連』21号 2002・夏,69-72頁
  28. ^ 『季刊 中帰連』21号 2002・夏,75頁
  29. ^ 中国第二歴史档案館所蔵
  30. ^ 笠原十九司吉田裕編『現代歴史学と南京事件』柏書房,249頁
  31. ^ 笠原十九司『南京事件論争史?日本人は史実をどう認識してきたか』平凡社新書,2007年,259頁
  32. ^ 笠原,260頁
  33. ^ 笠原,264頁
  34. ^ 歴史戦 「南京事件」世界に広めた豪人記者、国民党宣伝機関で活動 台北の史料で判明”. 2021年10月9日閲覧。
  35. ^ 『上海時代-ジャーナリストの回想 下巻』中央公論新社、1974年1月1日、362頁。 
  36. ^ 田中秀雄「プロパガンダとしての南京事件」、(ウィリアムズ『中国の戦争宣伝の内幕』芙蓉書房2009、p139-144.に再掲)鹿地らは日中戦争は日本による侵略戦争であり、中国の勝利によって日本人民も解放されると主張して、日本兵捕虜を組織していた。


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