タラワ‐とう〔‐タウ〕【タラワ島】
タラワ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 21:40 UTC 版)
座標: 北緯1度25分 東経173度02分 / 北緯1.417度 東経173.033度
- ^ “Nooto-North Tarawa | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2013年3月4日). 2023年4月15日閲覧。
- ^ “Klimatafel von Tarawa, Int. Flugh. Bonriki / Kiribati (Gilbert-Inseln)” (German). Baseline climate means (1961–1990) from stations all over the world. Deutscher Wetterdienst. 2019年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月29日閲覧。
- ^ “キリバス共和国”. 外務省 (2021年6月23日). 2022年12月29日閲覧。
- ^ “China opened an embassy on a tiny, remote Pacific island during the pandemic. Here's why”. CNN travel. (2020年6月27日) 2022年12月29日閲覧。
- ^ 我が国在外公館等の新規開設 | 外務省
タラワ島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 05:09 UTC 版)
「ギルバート・マーシャル諸島の戦い」の記事における「タラワ島」の解説
詳細は「タラワの戦い」を参照 タラワには第3特別根拠地隊本隊902名、佐世保第7特別陸戦隊1669名を中心とした約4500名が守備についていた。 タラワも11月19日から空襲を受け、21日早朝に海兵第2師団が上陸作戦を開始した。しかし、守備隊の抵抗は激しく、上陸初日はほとんどの米兵は海岸までたどり着くことはできなかった。 だが、22日午後には形勢が逆転し守備隊は追い詰められていった。そして翌23日夜に残存守備隊は最後の突撃を敢行し、17名を除き全員死亡した。
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