ソビエト連邦暦
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ソビエト連邦暦(ソビエトれんぽうれき)またはソビエト革命暦(ソビエトかくめいれき、ロシア語: Советский революционный календарь)は、1929年10月1日から1940年6月27日まで、ソビエト連邦で使われた暦法である。グレゴリオ暦に代わって導入されたが、1931年の改定を経て廃止され、ソビエト連邦でもグレゴリオ暦が復活した。
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- ^ カレンダーでは、色刷りで各日の割り当てが明記された他、モノクロ印刷ではローマ数字で1-5番の数字が明記された。
- ^ 1918年に祝日とされ、ソビエト連邦暦導入時に外されていたのは、新年の日(1月1日)、専制君主制打倒の日(3月12日、1917年にロシア帝国皇帝ニコライ2世が退位)、パリ・コミューンの日(3月18日、1871年に同政府が成立)。
- ^ 以前はレーニンの命日が独立して休日となっていた。
- ^ 万国労働者の日と十月革命の日の休日2日化は1928年に実施された。
- ^ ソビエト政府は1928年に第一次五カ年計画を開始し、急速な工業化を進めていた。ソビエト連邦暦の導入日も、当時のソビエト連邦の会計年度初日である10月1日に設定された。
- ^ 週5日制の導入に月30日制化への意図があったという指摘は、世界暦の制定を求める「世界暦協会」の雑誌 "Journal of Calendar Reform" に1938年から1954年にかけて掲載された4本の論文でなされ、現在の研究でもそれを裏付ける資料が提起されている。
- 1 ソビエト連邦暦とは
- 2 ソビエト連邦暦の概要
ソビエト連邦暦
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ソビエト連邦では1918年にグレゴリオ暦が導入された後、1929年に改暦が行われ、週5日制のソビエト連邦暦が採用された。これはフランス革命暦(後述)に倣った「月30日制導入」の意図があるとも見られ、実際に1930年には、全部の月の日数を30日とし、あまった5日(閏年は6日)はどの月にも属さない日として計上する「ソビエト革命暦」の導入をソ連政府の委員会が諮問した。これが採用されれば「2月30日」が登場する事になったが、政府は「グレゴリオ暦のままである他のヨーロッパ諸国と暦がかけ離れてしまう」事を理由にこれを退けた。結局、ソビエト連邦暦は1933年の週6日制化を経て1940年に廃止された。
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