セーヴル条約とは? わかりやすく解説

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セーヴル条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/25 18:39 UTC 版)

セーヴル条約(セーヴルじょうやく、英語: Treaty of Sèvres, フランス語: Traité de Sèvres)は、第一次世界大戦後の1920年8月10日連合国オスマン帝国との間に締結された講和条約。フランス・パリ郊外のセーヴルで締結された事からこの名が付く。1918年10月30日に結ばれたムドロス休戦協定を受けての講和条約である。オスマン帝国はこの条約によって広大な範囲の領土を失った。


  1. ^ Section III Articles 62� 64
  2. ^ 国際水路機関の前身。


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セーヴル条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:01 UTC 版)

希土戦争 (1919年-1922年)」の記事における「セーヴル条約」の解説

1920年8月10日連合国イスタンブール政府はセーヴル条約を調印した。この条約では東アナトリアにおけるクルド人自治区およびアルメニア人国家樹立東トラキアおよびエーゲ海諸島ギリシャへの譲渡イズミル中心とするアナトリア半島エーゲ海沿岸地域ギリシャ管理区とした上で住民投票により帰属決定することとなったまた、イスタンブールおよびボスポラス海峡ダーダネルス海峡周辺海峡管理委員会保護下に置かれることになった自身地位保持狙いスルタンが行ったこうした妥協に対して[要出典]、トルコ人国民国家樹立目指すケマルトルコ人居住地区分割、特にギリシャイズミル占領強く反発した

※この「セーヴル条約」の解説は、「希土戦争 (1919年-1922年)」の解説の一部です。
「セーヴル条約」を含む「希土戦争 (1919年-1922年)」の記事については、「希土戦争 (1919年-1922年)」の概要を参照ください。

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