スヴェン・ゴラン・エリクソンとは? わかりやすく解説

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スヴェン・ゴラン・エリクソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/20 01:07 UTC 版)

スヴェン=ゴラン・エリクソン
名前
ラテン文字 Sven-Göran Eriksson
基本情報
国籍  スウェーデン
生年月日 (1948-02-05) 1948年2月5日(75歳)
出身地 ヴェルムランド県トルスビー
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1966-1971 トルスビーIF
1971-1972 SK Sifhälla
1972-1973 KBカールスコーガ
1973-1975 Västra Frölunda IF
監督歴
1977-1978 デゲルフォーシュIF
1979-1982 IFKヨーテボリ
1982-1984 ベンフィカ
1984-1987 ASローマ
1987-1989 フィオレンティーナ
1989-1992 ベンフィカ
1992-1997 サンプドリア
1997-2001 ラツィオ
2001-2006  イングランド代表
2007-2008 マンチェスター・シティ
2008-2009  メキシコ代表
2009-2010 ノッツ・カウンティ(ディレクター)
2010  コートジボワール代表
2010-2011 レスター・シティ
2012 テロ・サーサナ(ディレクター)
2013 アル・ナスル(ディレクター)
2013-2014 広州富力
2014-2016 上海上港
2016-2017 深圳市足球倶楽部
2018-2019 フィリピン代表
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

スヴェン=ゴラン・エリクソン(Sven-Göran Eriksson、1948年2月5日 - )は、スウェーデン・トルスビー出身の元サッカー選手。サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー

(英語では題のカナ表記が近いが、スウェーデン語ではGはIと発音される場合があり、スヴェン・イェーラン・エリクソンがカナ表記としては近い)

来歴

選手としては故障などもあって活躍できず、早々に指導者へ転身。デゲルフォーシュIFやIFKヨーテボリといったスウェーデンのクラブチームを指揮した。1981-82シーズンには、IFKヨーテボリの監督としてUEFAカップ優勝へと導いた。全くのセミプロのクラブをヨーロッパカップ戦の王者へと導いたことは衝撃的な出来事だった。

その手腕を買われ、1982年にポルトガルの名門、ベンフィカの監督へと招かれる。以後、1984-85シーズンからの3シーズンをセリエAASローマを指揮し、1985-86シーズンにはコッパ・イタリアを制した[1]。1987年からの2シーズンはフィオレンティーナを指揮。その後、ベンフィカの監督に複帰、1989-90シーズンにはチャンピオンズカップ決勝にチームを導くが、ACミランに0-1で惜敗した。1992-93シーズンからはサンプドリア、を指揮。1993-94シーズンは、リーグ優勝を争うも優勝は逃したが、コッパ・イタリアを制した[1]1997年にはラツィオの監督に就任、これまでチームの顔であったシニョーリを放出するなどの改革を行い[1]、1998-99シーズンは最終盤に逆転され2位に終わるが、カップウィナーズカップの優勝を果たした。翌1999-2000シーズンにはセリエA優勝を果たした[1]

ケビン・キーガンがイングランド代表監督を辞任したのを受けて、2001年から代表史上初の外国人監督としてチームを率いた。日韓W杯EURO2004に続きドイツW杯欧州予選でもグループ首位で通過を果たし、本戦出場を決めている。

2007年7月にプレミアリーグマンチェスター・シティの監督に就任。8月には月間最優秀監督賞を受賞するなど上々のスタートを切る。しかし、後半に失速し9位でシーズンを終えると成績不振により解任された。

2008年6月、メキシコ代表監督に就任。しかし翌2009年4月には、南アフリカW杯北中米カリブ海最終予選でのメキシコ代表の成績不振により解任された。

2010年3月28日に、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の後任としてコートジボワールサッカー連盟がエリクソンのコートジボワール代表監督就任を公式HP上で発表した。しかし、ワールドカップ南アフリカ大会の本大会では1勝1分け1敗の勝ち点4で3位に終わり、グループリーグで敗退したことにより責任を取り辞任した。

2010年10月3日、フットボールリーグ・チャンピオンシップレスター・シティの監督に就任した。

エピソード

ドイツW杯の時のニュース・オブ・ザ・ワールドのおとり取材で、ドバイの7つ星ホテルで“アラブの富豪”なる人物と食事をし、ビンテージワインを2本飲んだ。その時

  • 「プレミアで1番買収するのに適当なクラブは?」との質問に「アストン・ヴィラが狙い目だ。」
  • 「買収したら監督になってもらえるか?」と聞かれ「ワールドカップ後なら可能。だが給料の最低ラインは500万ポンドだ。」
  • ベッカムについては?」と聞かれ「彼はプレミアにもどりたがっている。私が言えばすぐにでも来る。」
  • ルーニーについては?」と聞かれ「ルーニーは貧しい環境で育ったので感情を操れない。彼がベッカムのようになるのは無理だ。」

など選手に関する事まで発言。この取材の構想には1年もの時間がかけられ、日本円にして2000万円もの製作費をかけて実行された。

獲得タイトル

クラブ

個人

監督としての成績

チーム 就任 退任 記録
試合 勝率
デゲルフォーシュ 1977年 1978年
ヨーテボリ[2] 1979年 1982年 100 51 32 17 051.00
ベンフィカ 1982年 1984年 60 46 11 3 076.67
ローマ 1984年 1987年 90 41 26 23 045.56
フィオレンティーナ 1987年 1989年 64 21 20 23 032.81
ベンフィカ 1989年 1992年 144 94 32 18 065.28
サンプドリア 1992年 1997年 170 71 52 47 041.76
ラツィオ 1997年 2001年 136 78 32 26 057.35
イングランド代表[3] 2001年1月 2006年7月 67 40 17 10 059.70
マンチェスター・シティ 2007年7月 2008年6月 45 19 11 15 042.22
メキシコ代表 2008年6月 2009年4月 13 6 1 6 046.15
コートジボワール代表 2010年3月 2010年7月 5 2 2 1 040.00
レスター・シティ 2010年10月 2011年10月 49 22 12 15 044.90
広州富力 2013年7月 2014年11月 48 25 10 13 052.08
上海上港 2013年7月 2014年11月 76 42 20 14 055.26
深圳FC 2016年12月 2017年6月 15 6 5 4 040.00
フィリピン代表 2018年10月 2019年1月 10 2 2 6 020.00
合計 1,092 566 285 241 051.83

脚注

  1. ^ a b c d Sven-Göran Eriksson on life in Serie A: ‘It was the best period of my career’”. The Guardian. 2024年1月20日閲覧。
  2. ^ From Swedish Wikipedia, Allsvenskan only. Some Svenska Cupen and other games are not included in this figure.
  3. ^ England Hall of Fame”. FA.com. 2005年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年5月17日閲覧。



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