スクールバッグとは? わかりやすく解説

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学生鞄

(スクールバッグ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 09:58 UTC 版)

学生鞄(がくせいかばん)は、学生が、学用品を運搬するために通学用に用いるのことをいい、通学鞄通学用鞄スクールバッグスクバ制カバン学バンなどとも呼ばれる。[1]ランドセルなど小学生用のものや大学生等が使用するものは通常含まれず、中学生及び高校生が使用するものを主にいう。狭義には、革製の手提げ鞄(抱鞄(かかえかばん)。詳細は鞄#鞄の種類を参照。以降、本稿では単に「革製の手提げ鞄」という。)を指し[2]、この場合スクールバッグとは呼ばれないことが多い[3]


  1. ^ 今日、ランドセルはさまざまなデザインで開発されています
  2. ^ a b c d e めるもbyGMOによる記事「学生カバンはもう古い!ティーンに人気の通学リュックベスト5!」(2016年7月27日)では、「学生時代に使っていた「通学用カバン」はどんなカバンでしたか?実はこの質問の答えですぐに世代が分かってしまうのです。」「恐らく40代以上の方は、「学生カバン」と答えたのではないでしょうか?加え、当時は「ビーバップはいすくーる」など不良をフィーチャーした映画もはやっていたので、学生カバンを薄く潰して持って歩くのが当時のトレンドだったというのもあります。」「20代~30代の方は、「スポーツバック型カバン」と答えた人が多いのではないでしょうか?その世代の方々が高校生だった頃、ちょうど世間では「ルーズソックス」が大ブームでした。「ルーズソックス」「ひざ上の短いスカート」「スポーツバック型カバン」は女子高生の定番スタイルでした。」「今のティーンの「通学用カバン」のトレンドは、「リュック型」なのです!」とある。イラストから、ここでいう「学生カバン」は革製の手提げ鞄を指すものとして、「スポーツバック」はボストンバッグ型の学生鞄をそれぞれ指すものと理解できる。
  3. ^ a b まいどなニュース「今はどこに…革の学生かばん 実は高機能、昔を懐かしむ人らから注文も」(2019年5月7日)では、「昭和から平成に時代が変わり、制服が詰めえり(学ラン)とセーラー服からブレザーなどに一新されるのに合わせ、かばんも何でも入れられて軽く、何より無難だということでスクールバッグに変える学校が増え、学生かばんは1990年代半ばぐらいまでに急速に姿を消しました。」とあり、「学生かばん」を従前の革製の手提げ鞄を意味する狭義の語法で用い、スクールバッグを学生かばんには含めていない。
  4. ^ a b c d 新・日本男児と中居』(2020年9月5日放送)に出演した中居正広は、平塚学園高等学校在学中、平塚学園の校章が入った学生鞄をぺちゃんこに潰し、喧嘩の際の攻撃及び防御に使用するため、下の角の部分に金具を付けていたエピソードを紹介した。かぶせの内側に大量の落書きがあるが放送できない内容であるとのことである。鞄潰しは、最初、塩水につけたがうまくいかずに、先輩の鞄潰しをしてくれる業者に依頼して(映像から見るに芯抜きで)潰したとのことである。
  5. ^ a b 坂本秀夫『こんな校則あんな拘束』(朝日新聞社、1992年、p44-45)では、合成皮革の学生用の鞄、補助鞄としてナップサック、ポケットバッグと、第三カバンまで指定されている例が挙げられている。少なくとも「第二かばんまで指定する例は多」く、「第一鞄は握り手一つの古典的な学生かばんか、男子の場合、布製の肩かけかばん。『肩かけかばんはけさにかけて歩行する。極端に長くしたり短くしない……(後略)』」など持ち方も指定される例もある。ただし、現在はこれよりも緩和されているものと思われる。
  6. ^ 「ショップの袋 色柄形にバリエーション(ウチらのはやりモン)」『朝日新聞』2003年7月6日、朝刊、29面。
  7. ^ 株式会社小山鞄製 「学生鞄の歴史」及びアトナ商会「日本のスクールバッグの歴史」から
  8. ^ まいどなニュース「今はどこに…革の学生かばん 実は高機能、昔を懐かしむ人らから注文も」(2019年5月7日)では、「平成の始まりごろまでは、中学高校のかばんといえば、革もしくは人工皮革の手提げかばんでした。」とある。
  9. ^ a b c d e 「新学期、真新しいカバンの目につく時期だが、クラレが全国1,100人の中・高校生を対象に通学カバンの調査をした」「もっとも多く通学に利用しているのは、「学生カバン」で53.9%、次いで多いのが「手提げ袋」「スポーツバッグ」で、どちらかといえば補助カバンに相当し、それぞれ44.5%、31.3%となっている。」「色は黒38.5%、紺30.3%が中心。次いで白、青、赤の順。選択の理由は「学校指定だから」が圧倒的に多く、以下「値段が手ごろだから」「丈夫そうだ」「軽い」「デザインが気に入った」となっている。」「アクセサリーをつけているのは45%。カバンの改造経験者は10人に1人の割合で、「厚みを狭くした」がもっとも多く、ほかに「針金などのシンを抜いた」がある。」(「やはり「学生カバン」」『読売新聞』1985年4月10日、朝刊、12ページ。)卒業後ではなく在学中の調査であること、学生鞄メーカーによる調査であること、お湯かけが改造とみなされているか疑問が残ること、等から、実際のカバンの改造経験者はさらに多いものと推測される。
  10. ^ a b c 鹿児島KYTニュース「ないごて黒カバン」では、(放映日の2019年現在、)アトナ商会によると、黒い(手提げ)革鞄を学校指定として使用しているのは、鹿児島県と長崎県だけであると紹介された。これを受け、同番組で取材を進め、中でも鹿児島県は県内の全日制公立高校68校のうち、38校が黒い(手提げ)革鞄を学校指定として使用しているなど、全国的には異例の伝統が息づいている理由として、1970〜1980年代に流行した黒い(手提げ)革鞄をぺちゃんこに潰す改造に対し、平成に入って他県では指定鞄を変更するなどして対応したところ、鹿児島県の学校では、徹底的に指導して対応したため指定鞄の変更が必要なかったこと、また、保守的で伝統を守る県民性により昔ながらの黒い(手提げ)革鞄を変更しなかったことによるものではないか、としている。
  11. ^ a b 高知新聞ニュース「学生かばん今は昔… 主役ザックに交代」から。記事中には、「清和女子中高は『(生徒たちが)かばんをぺちゃんこにするので、機能を果たしていない』などを理由に、5年ほど前にナイロン製手提げバッグ(約450グラム)に移行」とあるように、潰し鞄の流行への対策で革製の手提げ鞄から転換するところもある。これは、逆説的に潰し鞄の流行の大きさを示す一つの例ともいえる。
  12. ^ a b 「ところでヤンキーが縮小化していった原因のひとつに、学ランのブレザー化が挙げられる。とにかく、これまでのヤンキー美意識は学ランが基本であり、ブレザーという概念は存在しなかったのだから。(中略)こうした校則変更はヤンキー撲滅に多大な功績を残したと言える。似たようなケースで、在校中に肩掛けカバンに変更を余儀なくされた友人の元ヤンに話を聞いてみた。(中略)「あんなん持ってったことねーよ。」(後略)」(大川橋造、イラスト オオツキヤスコ「ヤンキーファッション大研究」『ワニの穴12 アウトロー伝説――昭和~平成暴力裏面史』ワニマガジン社、1999年、pp124-125)
  13. ^ 富山県の例を示す。「手提げカバンからリュック型へ。富山市内の中学生の通学スタイルが、ここ数年で変わってきた。かつて、手提げカバンは学校が指定、義務付けていたが、持ち物の『自由化』傾向とともに少数派に。」このような趨勢は富山県にとどまらず全国的なものと思われる。(「手提げ・肩かけ…カバン『自由化』で中学生は(リポート富山)」『朝日新聞』1998年4月3日、朝刊、富山面。「聞蔵IIビジュアル」にて閲覧。)
  14. ^ 「幅広のえりカラーに、ヒザまで届く長い上着、だぶだぶのズボン。「チョーラン」と呼ばれ、つっぱり生徒のトレードマークになっていた。それが、ここ1、2年ですっかりすたれた。教師が校門に立って、服装やカバン、持ち物のチェックをする中学も多かったが、それも、今では数少ない。学校の定めた服装を生徒たちがきちんと守るようになったためだ。服装規制が進むなかで、学生服とその業界は、大変動した。」「東京・新宿の歌舞伎町。派手な私服に着替えた中学生がたむろしている。「つっぱりファッションは、先生にすぐ目をつけられる。それにもうダサイ。ばかにされる」。学校の厳しい目に、子供たちは、学校の「内と外」を使い分け、たたずまいを変えていく」(「子供たちの社会 13 「学校と能力」第4部 細かく厳しく制服規制」『読売新聞』1985年10月11日、朝刊、22ページ。)この頃から、都会については、ヤンキーファッションの衰退が見られ、この傾向が、徐々に地方に伝播していったと考えられる。
  15. ^ 「定型的な改造学ランは、やはり90年代には完全にアウト・オブ・デイトなものと化し、学生服の改造で何ごとかを主張しようとする風潮は後退していった。」(難波功士「不良スタイル興亡史」成美弘至編『コスプレする社会――サブカルチャーの身体文化』せりか書房、2009年、p244)
  16. ^ a b c d 「1970年(昭和45)~80年(昭和55)頃にかけて流行したのが変形学生服だ。通常の詰襟やセーラー服のプロポーションを大幅に改変したもので、いわゆる「ツッパリ」とよばれる学生たちが愛好した。(中略)男女とも、薄っぺらに改造した学生カバンをヒラヒラと持った。周囲を威嚇するかのように大きくプロポーションを改変した変形学生服は正規の学生服店では販売しておらず、変形学生服専門店で購入する必要があった。(中略)ツッパリ学生の活躍を描いたテレビドラマ漫画がヒットして社会現象となったことで、一般の学生たちも彼らを羨望のまなざしで見ていた。しかし、1985年(昭和60)頃からブレザースタイルが新しく登場すると、ツッパリスタイルはたちまち廃れた。」(内田静枝『ニッポン制服百年史――女学生服がポップカルチャーになった!』、2019年、p39)
  17. ^ 「ヤンキー・ファッションは80年代後半よりその輝きを失っていく。それを揺籃した消費社会が成長・爛熟し、ブランド・ブームが到来すると、不良たちもいつまでも学ランを着てはいられなくなった。各学校がブレザー制服を導入することで学ランは駆逐され、学生服のカスタマイズも過去のものになっていく(地方ではしばらく残った)。」(成実弘至「ヤンキー・ファッション 過剰さのなかの創造性」『ヤンキー文化論序説』、2009年、p90)
  18. ^ 「ヤンキーという言葉が広まった1980年代なかば、すでに暴走族/ヤンキーは時代遅れのものだった。アナクロニズムの代名詞であり、田舎の象徴だった。私が雑誌『宝島』の編集部に嘱託の編集者として入ったのは1989年。編集部にはその前後から「ヤンキー発見!」的な写真が読者から投稿されてきていた。多くは修学旅行で東京や近畿地方にやってきた地方の高校生が、これまた同じく修学旅行中である他校の高校生によって撮られた写真が多かった。すでに大都市では、リーゼントに剃り込み、長ラン(または短ラン)、ボンタン、先の尖った革靴、という『花の応援団』みたいなファッションは絶滅していた。私もこのころ、気仙沼で絵に描いたようなヤンキー高校生を発見して、ちょっと感動した記憶がある。「投稿されてくる写真はヤラセじゃなくて、地方には本当にこういう青少年がいるんだ」と思った。」(永江朗「ヤンキー的なるもの」『ヤンキー文化論序説』、2009年、pp39-40)
  19. ^ a b c d 「実はここ数年、東京の制服ファッションに、ある大きな変化が起こっています。それはスカートやソックスの流行とは種類の異なる、とても興味深い変化です。(中略)多くの都立校とバッグの自由な私立校で、リュック通学が増えています。10年前なら、わざわざ店で買ってでも私学風のスクールバッグを肩掛けにしていたものです。(中略)思えば1990年代の女子高生は、どれだけ校則から逸脱した格好をしていても、生脚とスクールバッグとローファーは外しませんでした。ミニスカートやルーズソックスと並んで、それらは「女子高生らしさ」を表す記号であり、東京を歩くためのドレスコードだったからです。そのドレスコードが、いま徐々にゆるみはじめているのです。」「リュックサック通学がずいぶん増えた首都圏の公立高。とはいえランドセルで通学する女子高生は初めて見たよ!」森伸之「東京的女子高生ドレスコードの発生と終焉」内田静枝編著『ニッポン制服百年史――女学生服がポップカルチャーになった!』、2019年、p73)
  20. ^ a b c フリュー株式会社「GIRLS’TREND 研究所」調べでは、2019年1月に「平成の女子高生(JK)に関する世代別トレンド」の調査を実施し(サンプル数:403)、平成元年(1989年)、平成8年(1996年)、平成30年(2018年)の各世代における女子高生の流行を比較している。「普段、通学で使っているカバン」を単一回答で調査したところ、「平成元年は「手提げカバン」(33.3%)、平成8年はナイロンの”スクバ”が人気(29.1%)。平成30年は私服でも流行中の「リュック」が圧倒的1位(62.9%)。」であった(%は表から引用)。また、「女子高生当時、制服アイテムをよく購入していたお店は? 」と自由回答で調査した(自由回答であるため他の設問に比べて回答数が少ない)ところ、「平成元年(56.0%)、8年(60.5%)は「学校指定」が1位。一方で平成30年は「ファッションブランド」(29.6%)「スポーツブランド」(25.4%)が上位。」であった(%は表から引用)。(「平成の女子高生(JK)に関する世代別トレンド」調査 ~スクールライフ編~
  21. ^ まいどなニュース「今はどこに…革の学生かばん 実は高機能、昔を懐かしむ人らから注文も」(2019年5月7日)では、「平成に入ったころを境に布やナイロン製のスクールバッグへの転換が進み、(引用者注:革製の手提げ鞄を)今も製造するのは国内でわずかに2、3社だけ。」とある。
  22. ^ あくまで一般的な傾向ではあるが、人工皮革製の学生鞄は、比較的軽いが耐久性がない。天然皮革製の学生鞄は、比較的重いが耐久性がある。
  23. ^ a b c d e f 「東京・足立区の中学校で、生徒3人が教室の床下に教科書を隠していたところ、担任の教師が見つけ焼却炉で燃やしてしまった。教科書を学校に置いておき、登下校するときに、ぺちゃんこのカバンを持ち歩くのが最近の“つっぱり生徒”の間の流行。この教師の焼却処分は生徒指導に熱心なあまりのショック療法ともみられる」という事件が起こった。学力テスト中に、試験官をしていた当該教師が、教室の床下に隠してあった「上着の丈が長い、いわゆる“ガクラン”」と「教科書12、3冊」を見つけて、「2年生の時から、学校に置かないよう注意してきただけに裏切られたという思いだった」ことから、焼却炉に直行してこれらを焼却した。3人の生徒は、「これまで再三「教科書は家に持ち帰るよう」指導されたことに反発し、ひそかに隠して」おり、「3生徒のうち1人は、国語、数学、理科、社会など全教科の教科書が灰になった。」ものの、3生徒のうち1人(引用者注:前述の1人と同一かどうか不明)は、「教科書を自宅に持ち帰ることについては、現在も「面倒くさい」と、新たに教科書も買っていない」。「クラスメートや先生たちの話によると、3人とも、非行歴はなく、番長を気取ったり極端につっぱったりしていた形跡はなかったというが、2人は陸上競技部に属していたため、最上級生として、つっぱりスタイルにあこがれていたらしい。」そして、当該教師は、陸上競技部の顧問であったという背景もあった。(「先生が教科書焼く つっぱり組にショック療法 床下に隠した3人分 足立の中学「なぜ持ち帰らぬ」と」『読売新聞』1981年6月1日、朝刊、23ページ。)このことから、①潰したカバンを持ち歩くには置き勉が必要であり、こうした生徒の中には、テスト期間中にもかかわらず全教科を置き勉して、一切の教科書を持ち歩かない生徒がいたこと、②“つっぱり生徒”とはいえ、非行歴のない一般生徒に近い生徒にも、憧れの対象として、潰したカバンを持ち歩く「つっぱりスタイル」が流行していたこと、③こうした流行は、最上級生として、後輩に威厳を示すために行われていたと推察できること、④置き勉についても厳しく指導されていたため、床下に隠すなどの工夫を要したものの、事故があった後も教科書は持ち帰っていないなど、指導が徹底できないほどの流行があったこと、⑤一緒に“ガクラン”と呼ばれていた長ランが隠されていたことから、変形学生服との親和性が高かったこと、等の傾向がみてとれる。
  24. ^ a b c d e タイトルから1981年ごろの情景として、「男女に共通しているのは、薄い学生カバン。水につけて重しを置いて成形する。女子の場合は持ち手をハンドバッグ風に改造、テープが巻かれている。教科書はおろか弁当すら入らない。高校時代のツッパリは、こんな感じだった。凡庸な僕(引用者注:朝日新聞メディアプロダクション校閲事業部長)は、そういうファッションとは縁がなかった。底が広がって、横から見ると台形に変形したカバンに大きな弁当と本を詰めこむ。ダサい存在だったのだ。」(「(あのとき)1981 なめ猫」『朝日新聞』2019年12月14日、夕刊、4面。「聞蔵IIビジュアル」にて閲覧。)
  25. ^ a b C-C-Bが1985年4月25日にリリースした「スクール・ガール」歌詞中に「スカートを派手めにひきずって つぶした鞄はからっぽさ」という言葉があるが、ここでいう「つぶした鞄」は、潰した学生鞄であると解される。ひきずるほど長いロングスカートを着た女子生徒が、からっぽの潰した学生鞄を持ち歩く様子が歌われている。
  26. ^ a b 、不良を表す記号となっていたことを示す記述だろう。(「不良 ツッパリはオシャレじゃない?!(若者博覧会:5)」『朝日新聞』1990年5月13日、朝刊、神奈川面。「聞蔵IIビジュアル」にて閲覧。)
  27. ^ 難波功士によると、70年代、ツッパリスケバンが改造制服とともに「男女ともにペチャンコにした学生鞄を提げていた。」こうしたファッションは、「80年代前半にツッパリ(ファッション)の大衆化(と同時に陳腐化)が加速し、」「学生服を中心とするツッパリ文化も次第に流行遅れのものとされ、消滅への途をたどっていく」という流行の変遷が紹介されている。(難波功士『ヤンキー進化論 不良文化はなぜ強い』光文社新書、2009年、p102-105から抜粋)。
  28. ^ a b gooランキング 「今思い出すと恥ずかしい学校制服の着こなしランキング」(2008年11月8日)では、「ボンタン」5位、「短ラン」8位、「ルーズソックス」16位などを抑えて「ぺちゃんこにした学生鞄」が一位となった。潰し鞄が幅広く流行していたことがわかる一つの証左だろう。
  29. ^ a b c d 「チャンプロード×単車の虎 - 懐かし昭和ヤンキーグッズ特集!」では、「分厚いカバンは、不良にはふさわしくない。そんなわけで、カバンもリメイクを施し、限界まで薄くした。」「当時の不良は、これを喧嘩道具としても使えるように、カバンの中に鉄板を入れていた。」「カバン潰しとは、10㎝以上の厚さを5㎝以下すること。お湯を入れて、革を柔らかくして重石で押し潰す。この方法が使えるのは本革のカバンだけだった。」「持ち手に赤テープは喧嘩売ります、白テープは喧嘩買いますが一般的。赤は番長、その他は白テープなんてローカルルールもあったとか。」と記載されている。カバンを限界まで薄くしたという表現から、芯抜きの潰し鞄であったことがわかる。
  30. ^ a b c d 横浜銀蠅が1981年10月7日にリリースした「ツッパリHigh School Rock'n Roll (試験編)」歌詞中に「ちょいと苦手は英語のテスト (中略)ひとつ ひとより勉強きらいで ふたつ 不良でおちこぼれだけど みっつ みてろよ俺だって よっつ 夜どおしがんばりゃ できるサ いつつ いつものつぶしに教科書 むっつ 無理やり詰め込んで」という言葉があるが、ここでいう「つぶし」は、潰した学生鞄であると解される。不良の男子生徒が、テスト前に、普段は置き勉して持ち帰っていない英語の教科書を、キャパシティの少ない潰し鞄に無理やり詰め込んで持ち帰り、一夜漬けを試みる様子がコミカルに歌われている。他教科もある可能性もあるが、英語一教科の教科書を無理やり詰め込む必要があることからして、芯抜きしたうえで、マチが広がらないように極めて薄く固定された学生鞄であったことが推測される。
  31. ^ a b c 長ランドカン姿のヤンキー男子生徒が持っているカバンについて、「ツブシ。ようするにツブした学生カバン。取っ手は赤いビニールテープで長く延し、ポケットに手を入れてても持てるようにした。」とイラストに注釈コメントを記載している。(『ヤンキー今昔物語』芸文社、1994年、p17)
  32. ^ a b c 「ぺちゃんこカバン追放など非行対策」のため、中学生の通学用鞄にランドセルを指定する学校もあった。この学校では、「生徒の通学時カバンは、手提げ、肩掛けなどバラバラで、肩掛けカバンの場合、ベルトを長く伸ばすなどだらしない姿勢をとる生徒が多い。また手提げの革カバンをぺちゃんこにして持ち歩く生徒も少なくなく、対策に悩ませてきた。」この当時の、ぺちゃんこカバンなどに見られる鞄の逸脱性の流行の大きさを示すひとつの事例だろう。ただしランドセルといっても、小学生が使用するようなものではなく、色合いや形状などが異なる特注のものであった。(「中学生にランドセル義務付け 非行対策?それとも、おしゃれ?」『朝日新聞』1988年3月17日、朝刊、p31)
  33. ^ a b c 千葉県教組が出版した『私たちの授業創造シリーズ・生活指導編』を紹介する記事で、その指導書から引用して、「ペチャカバンは、学生カバンをペッタンコにしてシールを張ること」であり、「最近の非行の中身や前兆の一例」に挙げられている。(「千葉は非行対策の先進県? 教組が指導書 画一化心配の声も」『朝日新聞』1985年5月14日、p22)
  34. ^ a b c d e まいどなニュース「今はどこに…革の学生かばん 実は高機能、昔を懐かしむ人らから注文も」(2019年5月7日)では、「なるべく薄いのがおしゃれで、分厚いのは「ブタかばん」とバカにされました。薄くするため芯を抜き、布団の下に敷いて寝る。お湯で濡らした布で巻いてつぶす…。みんな真剣でした。当然、教科書もノートも入らないので、教室の机に入れて帰る「置き勉」で、必要なものは別のバッグに。アイドルのステッカーを貼ったり、自分の座右の銘を書いたりする生徒もいて、1年生の春はブタかばんを維持させようとする教師陣との攻防が繰り広げられました。」とある。「1年生の春」という入学すぐの時点から潰しカバンを志向する傾向からその流行の広範さを示し、「1年生の春は」という限定から、1年生夏以降は、教師陣がブタかばんを容認または黙認していた様子がうかがえる。
  35. ^ a b c d e f g 「生徒たちの多くが手ぶらで登校する。教科書は学校へ置きっ放し。(中略)厚さ10センチ以上の学生カバンのことを“ブタカバン”と称してバカにする。4、5センチしかない厚みのないつっぱりカバンは、違反だからしかられる。近ごろの流行はズタ袋だ。スヌーピーのバッグ、赤いビニールの幼稚園カバン、キルティングの小袋。テラテラ光ったばかでかいビニール袋、カーキ色の紙袋も人気だ。男も女もない。180センチもある大男が、赤い小さなキティちゃんのバッグをさげているところを想像してほしい。しかも、中身はタバコとライターだった、などということも珍しくない。」(p28)、「このような男子高校生ファッション(引用者注:カバンに言及する以前の文章で、パーマ・脱色・染髪、変形学生服、かかとを踏み潰した先のとがった靴などについても挙げられている。)には8割方の生徒たちが、まず染まっていると見てよい。流行とは、いつの世でも流行であるがゆえに正しいのだ。熱烈な支持を受けるのである。しかし、ある一線――ときには大人の流行である社会常識、ときには生徒指導係の恣意的な好み――を超えると、「つっぱりだ」、「校則違反だ」と断定される。厳しい検査、取り締まり、処罰が行われる。お勉強にはいっこうに熱を入れない生徒も、こと服装や髪形になったら、情熱と知恵の限りを尽くして創造し、開発を行う。彼らの繰り広げる珍ファッションの数々――いちおう、取り締まる側にいながらも、私はつい脱帽したい気分にかられるのである。」(p29) 筆者解説から1984年頃の群馬県内の農業高校における実話をもとにしていると思われる。本書の引用部については以下同。(多賀たかこ『はいすくーる落書』朝日新聞社、1988年)
  36. ^ a b c d e Pouch「90年代の女子高生はスクールバッグを潰す!汚す!他校のカバンと交換する!など…今考えると謎文化が流行していました」では、長崎県出身者による「「革の学生鞄だったんですが新品は“豚バッグ”と言われるほど横から見ると分厚くて、本当にダサい。学校が始まる前の春休みの間に机で踏んだり、カバンから芯を抜いてもうペッチャンコにしてましたね。でも一番は先輩から潰したカバンもらうのがステイタスでした!」」、長野県出身者による「私の学校は背負う系のスクールバッグだったのですが、みんなペッチャンコにしました。一番ポピュラーだったのは安全ピンで潰すこと。」、静岡県出身者による「「カバンを潰すのは当たり前だし、なんならポスカでピンク色に塗っている子もいた。だけど、一番ヤバイのは静岡学園のバッグを使うこと。このカバン交換がいちばんナウかったね当時は」」、東京都出身者による「昭和第一高校のカバンを持つ=ルイ・ヴィトンで通っている、くらい超ブランド力があった。」という声が紹介されている。
  37. ^ a b 置き勉については、このような解説がなされる。「高校生は、副教材、ノート、辞書、体操服やお弁当まで、荷物が多い。太くて重くなったカバンは「ブタカバン」となって好まれない。そこで、必要最小限のものだけをカバンに入れて持ち帰り、ほかの教科書類は学校においておく。これが『おきべん(置き勉)』である」(「おきべん 高山勉(青春譜)」『朝日新聞、大阪本社版』1996年6月8日、夕刊、p2。「聞蔵IIビジュアル」にて閲覧。)
  38. ^ a b 一例として、優等生でも鞄潰しを志向した様子がテレビドラマで描かれた。1980年4月20日放送分の中学生日記にて「ふといカバン」というタイトルで放送された。これは鞄潰しを主題とするもので、マチが太く校則通りの野暮ったい「イモカバン」を持つ風紀委員の優等生が、他のクラスメイトのように校則違反の学生鞄潰しをしたいと思う葛藤が描かれた。2006年に「中学生日記アーカイブス」で再放送が行われた。
  39. ^ a b 「定期的に行われる玄関前頭髪持ち物服装靴検査、授業時間に行われる特別巡回服装点検は、数人の教師の目を通して調べられているにもかかわらず、毎回変な現象が起きる。「弱っちゃったよ。おれのクラス、いい子の級長がひっかかっちゃって、いちばんのワル男は無事通過しちゃった。どうなってんの」だいたいワル男君やワル子ちゃんは、極めて高感度、アンテナが鋭いのである。そろそろ検査があるな、と察知し、その日だけは見事にシャキッと直して登校して来る。たとえ直さずに登校してしまっても、早くも校門のあたりで怪しい空気をかぎつけ、別の入り口から教室へ入り、素早く髪を直し、友人や下級生のズボンや上着をまきあげて変身し、しゃあしゃあと玄関を通過するわけだ。しかも、ずうずうしいことに、検査の一時間後にはもう手入れをし直してもとに戻し、チリチリカールやダボダボズボン、ロングスカートが復活しているのだ。こうした生徒たちは、もともと個性など追求すべき余地など極めて少ない制服のなかに、工夫に工夫を重ねてなにかしら創造しようと必死になっている。だから、お金もかける。」(p210)、「超ロングスカートの特別注文や、ドカン、ボンタン、ズドン型ズボンも親に内証で買えるのである。」「つっぱり君たちの場合、先輩殿の違反のお古をおしいただくという場合も多い。」(p211) 例には挙げられていないが、学生鞄についても、検査のときだけ校則に適応するものを持つ、先輩の学生鞄が受け継がれる、といったことが行われていたと思われる。 (多賀たかこ『はいすくーる落書』朝日新聞社、1988年)
  40. ^ a b 一例として、『カメレオン』1巻p30に「カバンのうすさは知能のうすさ」という言葉を教師と生徒で唱和する描写がある。
  41. ^ 「こうした学校側の動きを真似るように、生徒たちの間にも奇妙な傾向が強まっている。校則違反だらけの問題児が、自分より程度の軽い違反の生徒を引っぱり出して気合いを入れてくれる。先輩後輩という厳しいタテ社会のなかで、上衣の袖のまくり方やソックスの折り返し方にまで、教師のあずかり知らぬ施行細則が出来上がっていたりもする。生徒同士が締めつけごっこをしているようなものである。」例には挙げられていないが、学生鞄についても同様と思われる。(多賀たかこ『はいすくーる落書』朝日新聞社、1988年、p183)
  42. ^ a b c d 高校入学前に、刺繍入りの特注の中ランを買い、ボンタンと安全靴を万引きしたヒロシは、「学生鞄は芯を抜きタコ糸でぐるぐる巻きにしてペッタンコにし、板金屋の先輩にちょうどいい大きさに切ってもらった鉄板を用意した。」そして、高校入学式の朝、「まだ家を出るまでに一時間以上あるのにボンタンを履いて中ランを羽織る。鞄に巻いてあったタコ糸を切り、中に鉄板を入れる。殺し屋が拳銃に弾を込めるみたいだな、と馬鹿みたいなことを考え渋い顔をつくってみる。」(品川ヒロシドロップ』リトルモア、2006年、pp208-209)
  43. ^ a b c d e 「カバンを持たず、手ぶらで通学するヤンキーもいたが、(中略)カバンは極限まで薄くするものと決まっていた。」ヤンキー仕様の学生鞄の作り方としては、「手順としては、まず芯を抜き、お湯に漬け、ふやかしたあとで両端を糸でグルグル巻きにする。」と紹介される。また、ヤンキーの学生鞄の内容物については、「財布とタバコくらい」で、「教科書ぐらい入らないわけではないが、無理に入れる必要はない。机の中に入れっぱなしにしておけば何の問題もない」として、置き勉との親和性が語られる。そして、鞄のさらなるデコレーションとしては、「有名なチーム(暴走族)」、「愛羅武勇(あいらぶゆう)」「愛死天流(あいしてる)」「アイドルの名前が入った『命』モノ」などのステッカーが「男女問わずカバンに貼られるようになってい」った。(『俺たちの好きなBE-BOP-HIGHSCHOOL―ツッパリ青春漫画の傑作と80年代ヤンキー伝説(別冊宝島)』宝島社、2003年、p76)。
  44. ^ a b c d 「(80年代に)70年代から受け継がれるカバンは先代同様にペチャンコ系。まず芯を抜いてお湯に付け、フニャフニャにした後、両端を紐でグルグル巻くのが基本だった。中には布団の下に一晩寝かせる力技系寝押し派もいたのだが。後はステッカーチューンを施すワケだが、ステッカーもこの頃になると種類が増える。族のステッカーを貼るブームは廃れ、代わりに台頭してきたのが「愛羅舞勇(あいらぶゆう)」「愛死天流(あいしてる)」「愛死美絵夢(あいしーびえむ)」などの横浜銀蠅派生形造単語である。この言葉はいちいち意味があるのであって、一見なんの意味があるのかさっぱり分からない「愛死美絵夢」(大陸間弾道ミサイル?)は『愛することは死ぬことより美しすぎて絵にもかけない夢のようなものである』という意味が込められているのであった。ほかにはアイドルの名前や彼女の名前、自分の名前のステッカーも多かった。」(大川橋造、イラスト オオツキヤスコ「ヤンキーファッション大研究」『ワニの穴12 アウトロー伝説――昭和~平成暴力裏面史』ワニマガジン社、1999年、p126)
  45. ^ a b 学生鞄とは言及されていないが、SOPHIAが1998年11月26日にリリースした「黒いブーツ 〜oh my friend〜」に「両耳にピアスだらけ」の男子が「カバンを安全ピンで留めて」という歌詞がある。
  46. ^ a b c d e 新・日本男児と中居』(2020年9月5日放送)に出演した田中一基(放送時、26歳)は、高校時代、高校から支給されてすぐに、学生鞄のマチの上部を切って芯を抜いて、軽トラの後輪で轢き、ぺちゃんこに改造したエピソードを話した。なお、学生鞄には、大量の落書きとTHE BLUE HEARTSをはじめとする大量のシールが貼られており、大きめのしっぽ型のファーのアクセサリーが付いていた。持ち手には「ケンカ売ります」という意味の赤テープが巻かれているが、これについては、高校通学当時には(喧嘩になると)危ないから巻けなかったとのことである。
  47. ^ a b 「革カバンをペッタンコにつぶし、握りの部分にビニールテープを巻いて、その色で“意思表示”をする風潮が、高校生の間で流行しているが、最近、横浜駅西口にたむろする不良高校生グループが、このバッグを恐かつのかたに取り上げる事件が続発。」「(引用者注:恐喝された)これらのカバンは、いずれも、持つ部分の革がはがされ、代わりに赤色(けんか買います)、黒色(けんか売ります)など、様々な意味を持ったビニールテープが巻いてある。さらに、底がふくらまないよう、針金や糸で縫ってあり、校章を打ち出すという念の入ったものもあった。」(「ヘンな流行 改造カバン 恐かつ被害が続々 横浜駅周辺で高校生ら けんかの“戦利品”?」」『読売新聞』1978年2月25日、朝刊、横浜版。「ヨミダス歴史館」にて閲覧。)
  48. ^ a b 秋本誠『ツッパリ――番長グループ100人の証言』ダイナミックセラーズ、1981年、p225-226を紹介する形で、次のように引用している。「カバンは、…普通の学生カバンをわざわざペッタンコにつぶしたり、カバンの両側を切り取ってしまうものもあり、カバンとしての用を全くもたなくなってしまう。」(難波功士「不良スタイル興亡史」成美弘至編『コスプレする社会――サブカルチャーの身体文化』せりか書房、2009年、p234)
  49. ^ a b 「カスタマイズは不良文化の規範やグループのルールにのっとりながらおこなわれる。たとえば学ランは上着の丈を変えたり、カラーを高くしたり、ボタンやポケットを多くつけたり、裏に虎や龍の刺繍をいれた改造学生服だが、ひざ下までの丈のヨウランは番長が着るもので、副番は丈の短い中ランを着ることになっていたという。また学生カバンは平たくつぶされ、持ち手には「ケンカ売ります/買います」などのメッセージを込めた白や赤のテープが巻かれた。(成実弘至「ヤンキー・ファッション 過剰さのなかの創造性」『ヤンキー文化論序説』、2009年、p82)
  50. ^ a b c BRUTUS紙上でKing&Princeが1970年代スタイルで撮影に臨み、平野紫耀が、ペタンコの学生カバンを持つイキがり高校生「平野ショウジ」を演じている。「女子にモテモテのクールなイキがり高校生。必需品はペタンコの学生カバン」として、その横の画像で、持ち手を白テープにして数種類のステッカーを貼るなど改造して薄くした学生鞄が紹介されている(『BRUTUS』2019年3月1日号マガジンハウス、2019年、p84)。
  51. ^ a b c 「あとは族のステッカーでドレスアップしたペラペラのカバンを持てば70's登下校スタイル。ちなみにカバンの把手に巻いた白テープは「喧嘩売ります」のサイン、赤テープを巻けば「喧嘩買います」である。」(大川橋造、イラスト オオツキヤスコ「ヤンキーファッション大研究」『ワニの穴12 アウトロー伝説――昭和~平成暴力裏面史』ワニマガジン社、1999年、p122)
  52. ^ 「元ツッパリ座談会」にて元ブラックエンペラー新宿支部長の内村氏の発言として「一時テープ流行ったでしょ。赤とか白とか。ケンカ買います。強くはないんだけど」とあり、その注釈として「テープ」について「カバンの把っ手にビニールテープを巻いて、ケンカを売るとか買うとかいった目印。」と解説されている。(『ワニの穴12 アウトロー伝説――昭和~平成暴力裏面史』ワニマガジン社、1999年、p135)
  53. ^ a b c 氣志團ボーカル綾小路翔は、「同じ事を聞かれた事有るかもしれませんが…翔さんは、学生鞄に鉄板は入れてましたか?もしくは、入れてますか?」という問いかけに対し、リツイートし、「いや、それは我々より上の世代の方々でしょうね。中学の時に愛用していたチョンバッグにはHOPEのステッカーを貼っていました。HOPE喫ってないのに…。」と回答している。(綾小路翔のtwitterから)
  54. ^ a b まいどなニュース「今はどこに…革の学生かばん 実は高機能、昔を懐かしむ人らから注文も」(2019年5月7日)では、「雨が降ったら傘替わりになり、ケンカの際は防御もできる(!)優れものです。男子は片手で肩にかつぐのがイケてるとされました。」とある。
  55. ^ 横浜銀蝿の元リーダー嵐ヨシユキ氏は、このように語っている。「(インタビュアーから「今、歌詞を見直して見ると、非常に資料性の高い、当時のツッパリの生態説明になってるんですよね。」と問われ、)「タイマン張りましょ、赤テープ同士で」とかな。カバンの持ち手に赤テープを巻いていると「ケンカ売ります」で白テープ巻いていると「ケンカ買います」って意味だったんだよ。」(『Oh! Young Golden 80's』株式会社シーディージャーナル、2018年、pp70-71)
  56. ^ 難波功士は、横浜銀蝿が1981年1月12日にリリースしたセカンドシングル「ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編)」の歌詞「タイマンはりましょ 赤テープ同志で」を分析して、「〈タイマンはりましょ赤テープ同士で〉となる。ペチャンコにした学生鞄に巻いたテープの色は、ケンカの売り買いの印」という解説を書いている。(難波功士『ヤンキー進化論 不良文化はなぜ強い』光文社新書、2009年、p107-108)このように、歌詞にある「赤テープ」とは「学生鞄の持ち部に赤テープを巻いている者」を意味するものと解される。
  57. ^ a b 「最近、街角で学生カバンの握り部分にカラーテープをぐるぐる巻いた高校生たちをよく見かけるが、この色がくせもの。」として、白が、「けんか売ります」や「けんか買います」、黄色が「売春します」の意味などとともに、「カバンにカットバンをはっているのは「私は傷もの」というサイン」と紹介されている。もっとも、「今のところ、カバンの持ち主がテープの意味する“行為”をしていたケースはほとんどなく、あくまで一部の“ツッパリ”ファッション」であるとしている。(「近ごろ高校生に妙な流行 カラーテープの不気味色「カバンの握りにぐるぐる巻いて 買春します 黄/白 けんか売買」」『読売新聞』1977年12月24日、朝刊、横浜版。「ヨミダス歴史館」にて閲覧。)
  58. ^ 「ペラペラの手提げカバンのニギリの部分に赤色のテープを巻くと『喧嘩売ります』の意になる。また、白テープを巻いた場合は『喧嘩買います』の意になる。」と色テープの意味が解説されている。(『俺たちの好きなBE-BOP-HIGHSCHOOL―ツッパリ青春漫画の傑作と80年代ヤンキー伝説(別冊宝島)』宝島社、2003年、p124)
  59. ^ a b 1972年に國士舘高校に入学した木村三浩と、その3~4級上で東京朝高に通っていた梁川という男性の対談において、木村三浩「僕もね、朝高生とぶつかった時にね、國士舘高校の学生のカバンが取られたり、逆に朝高のカバンなんかも取るわけですよ。」(木村三浩・梁川「危険対談 元國士舘高校VS元朝鮮高校」『ワニの穴12 アウトロー伝説――昭和~平成暴力裏面史』ワニマガジン社、1999年、p86)
  60. ^ 一例として、短ランボンタン姿の学生が、名前入りステッカーを貼ったチョンバッグ風の学生鞄を脇に挟んで持つ様子(『俺たちの好きなBE-BOP-HIGHSCHOOL―ツッパリ青春漫画の傑作と80年代ヤンキー伝説(別冊宝島)』宝島社、2003年、p71)や、短ランボンタン姿の学生が、持ち手を白テープにして数種類ステッカーを貼るなど改造して薄くした学生鞄を、クラッチバッグのようにして、持ち手ではなくその端を軽そうに持っている様子(『BRUTUS』2019年3月1日号、マガジンハウス、2019年、p86)が見て取れる。
  61. ^ Dragon Ashが1999年5月1日にリリースした「Grateful Days」に「悪そうな奴は大体友達」なヤンキー男子学生が「カバンなら置き放っしてきた高校に」という歌詞がある。
  62. ^ a b 「ある日、木村先生が受け持っている一年生のクラスで、集団脱走が起こった。事の始まりは、生徒たちが教科書を教室に置きっぱなしにして帰宅していたことによる。入学してまもなく、かなり多くの生徒が、教科書を持ち帰る必要性を感じなくなる。上級生は毎日、手ぶらか、キティちゃんのバッグでやって来るんだもん、おれもあの手でいこう、というわけだ。予習もしなければ復習もしない。宿題が出されても必ずや、してこない。勉強せねば、という意欲がそもそも極めて少ないのである。教科書なんてたいして重要ではないのだ。なくなればなくなったまま。ハイ、それまでよ、である。さて、何度言って聞かせても、生徒たちが置きっぱなしをするものだから、担任さんは怒りのあまり、教室内のすべての教科書を段ボール箱に詰め込み、ガムテープで目張りをしてしまった。その日、現代社会の授業に行ったら、机の上に教科書、ノートのない者が半数以上いる。教室のうしろのダンボール箱が破られ、教科書やノートが見えている。」「あんたたち、どうしたの?担任にしぼられたんでしょう。手ぶらで来るなんて、高校生じゃないよ。さあ、早くあの本持ってきて、授業だよ」「だめだよ、先生。あの教科書に触ったやつは、すべてドロボーだよ。おれたち、教科書を取り出そうとしたら、担任がそう言ったんだ。触れば先生だってドロボーだよ」この記述から、生徒の半数以上が現代社会の教科書、ノートを置き勉していたことがわかる。(多賀たかこ『はいすくーる落書』朝日新聞社、1988年、pp64-65)
  63. ^ a b 馳浩当時文部科学大臣は、記者会見において、「(過去の月刊誌の対談で体罰経験を語ったことについて聞かれ)体罰は絶対反対です。記事全体を読めばおわかりいただけると思うが自戒・反省・謝罪を込めて発言した。教員時代、朝の登校時に生徒のカバンを見て、中に何も入っていない生徒のカバンを取り上げて「なんだこれは」と、こういったことがなかったとは言わない。やられた高校生がよく覚えていると思う。しかし、それはダメだ。」と述べ、からっぽの鞄を持ち、学用品を持ち歩いていない(置き勉していた)生徒を厳しく指導したエピソードを語っている。記事から判然としない部分があるものの、一瞥して学生鞄がからっぽであることを看破している状況からして、相応に薄く潰した学生鞄を所持していた可能性が強く示唆される。(「馳文科相、教員時代に体罰「私が未熟だった」」『朝日新聞デジタル』2015年10月13日
  64. ^ 「考えてみるに、先生と生徒のこの闘争(引用者注:教科書持ち帰り運動)は、どうもやはり不毛なのだ。教科書持ち帰り運動で成功したためしはないのである。イライラした教師が気まぐれ、単発型でしかける政策は、長期のしぶとい抵抗の前に、いつも敗北してしまう。なにしろ、“不作為の作為”と逆の“作為の不作為”なのだから、かんたんに実行できるのである。」(多賀たかこ『はいすくーる落書』朝日新聞社、1988年、p68)
  65. ^ 鞄を薄くすることが校則で禁止されていたことを示す一つの記事を引用する。「現実の『校則』の中には、靴下の色や三つ折り、カバンをぺちゃんこにしないといった細々としたものや丸刈りといったものも含まれているが」と記者に問われ、河上亮一は「細かい校則があって、それを守らせていることがマスコミで強調されるが、ほとんどの教師は生徒に強く指導していない。遅刻しないという基本的なことだって生徒に守らせることが危なくなっているのに、どうして靴下や鞄なんかを守らせることができるでしょうか。」と回答している(「学校と社会の常識は違うのか 河上亮一さん(ゴ問ゴ答)」『朝日新聞』1990年11月6日、朝刊、p16)。ここからは校則には潰し鞄の禁止が挙げられているが、そこまでを厳密に取り締まることができず黙認の状況があったことが伺える。
  66. ^ 河北新報2019年9月4日記事「重過ぎる通学かばん12キロ 中学生「つらい」 ロッカー狭く置き勉困難」では、中学1年生の女子生徒が教科書やノート等の12kgの重さの学生鞄を持って通学する現状に、その親が改善を求めている。
  67. ^ J-castニュース2017年5月29日記事「重すぎる通学カバンに中学生が悲鳴!体力勝負になった『脱ゆとり教育』」では、『脱ゆとり教育』により学習内容の増加や補助教材の追加が原因となり、重すぎる通学荷物となっている現状を指摘している。
  68. ^ 文部科学省「児童生徒の携行品に係る配慮について」なお、事務連絡上、置き勉という言葉は出てこないが、既に行われている「置き勉」的な取り組みを追認した。
  69. ^ 変形学生服等を販売するプロス通販は、現在では販売されていないが、かつて、「ヤンキー御用達!?こだわり学生カバン」と題し、「超薄型チョンバッグ」を販売していた。プロス通販のfacebook
  70. ^ 見沢知廉へのインタビュー記事においての見沢知廉の発言として、「高田馬場である時、1人だけチョンバッグ持ってる奴がいて、そいつだけボコボコにやられちゃったんですよ。」(『ワニの穴12 アウトロー伝説――昭和~平成暴力裏面史』ワニマガジン社、1999年、p26)いわゆるボンタン狩りと同様に、チョンバッグがヤンキー性を象徴する記号となっていたことがわかる。
  71. ^ 「(筆者が國士舘高校に入学した昭和47年当時、)この時代はツッパリが流行り、女子高生などのスケバン現象もブームになっていたぐらいだ。(中略)暴走族なども多く出てきたころである。わりに誰でもがツッパっていた時代だ。」(木村三浩「実録 國士舘高校」『ワニの穴12 アウトロー伝説――昭和~平成暴力裏面史』ワニマガジン社、1999年、p54)
  72. ^ 「70年代、東京を中心とした朝高生のマジョリティにとってケンカが一般化・日常化したことで、それがひとつの学校文化、サブカルチャーとなったのだ。」(韓東賢「朝鮮学校の制服文化」成美弘至編『コスプレする社会――サブカルチャーの身体文化』せりか書房、2009年、p206)
  73. ^ 「今でこそ朝鮮高校と國士舘高校はスマートな校風である(ということを前提にするが)が、1970~1980年代後半までは都内の高校生にとって、恐怖を象徴しているような高校だった。不良の頂点。そう形容する事が決して大げさでない両高の敵対ぶりは、伝説的だ。」(『ワニの穴12 アウトロー伝説――昭和~平成暴力裏面史』ワニマガジン社、1999年、p94)
  74. ^ 「「チョンバック」とはファスナーで開閉するタイプの革製の薄い学生カバンで、朝高生が持っていることからそう呼ばれた。」(韓東賢「朝鮮学校の制服文化」成美弘至編『コスプレする社会――サブカルチャーの身体文化』せりか書房、2009年、p209)
  75. ^ 1972年に國士舘高校に入学した木村三浩と、その3~4級上で東京朝高に通っていた梁川という男性の対談において、梁川氏「ハイカラ―、ボンタン、チョンバッグ持って、ワニ皮のベルト着けて、ゲソは黒光りして。髪の毛は当時坊主でしたね、サッカーやってたんで。ソリは当時流行らなかったですよ。」(木村三浩・梁川「危険対談 元國士舘高校VS元朝鮮高校」『ワニの穴12 アウトロー伝説――昭和~平成暴力裏面史』ワニマガジン社、1999年、p92)
  76. ^ 70年代当時、朝高生の学ランファッションはその強さもあいまって日本人の不良にも「カッコいい」とみなされていた。(韓東賢「朝鮮学校の制服文化」成美弘至編『コスプレする社会――サブカルチャーの身体文化』せりか書房、2009年、p210)
  77. ^ 「(昭和40年代当時、)通常、國士舘に入って、まず整えるものは「ジャバラのハイカラ―」と「ボンタン」である。それから「チョンバッグ」といわれるカバンを持つことだ。」(木村三浩「実録 國士舘高校」『ワニの穴12 アウトロー伝説――昭和~平成暴力裏面史』ワニマガジン社、1999年、p57)
  78. ^ 「(1980年代の女学生が、)通学に使うのは革の学生カバン。アディダスやマジソン・スクエア・ガーデンのスポーツバッグを持つのも流行った。」(内田静枝『ニッポン制服百年史――女学生服がポップカルチャーになった!』、2019年、p82)
  79. ^ a b 「(1994年(平成5年)頃の女子高校生は、)制服にダボダボのルーズソックスを組み合わせ、放課後には、制服のスカートの丈をぎりぎりまで短くし、制服の上に大きなラルフローレンなどのセーターを重ねて、「制服を着崩し」ました。さらに、自分の学校ではなく、他の男子校のスクールバッグを手に入れ、片方の持ち手だけを肩にだらしなくかけるなど、崩すことを進めました。」(久保友香「ギャルファッションとメディア技術」内田静枝編著『ニッポン制服百年史――女学生服がポップカルチャーになった!』、2019年、pp52-53)
  80. ^ 日刊アメーバニュース「ポケベル、ミサンガ…… 平成生まれには通じない!? 30代の学生時代の思い出」では、「肩にかけて持つ学生鞄を、リュックみたいに背負うのが流行った」という声が紹介されている。
  81. ^ はまれぽ2017年3月5日記事「【前編】「横浜高校の指定バッグ」が女子高生の間で大流行中の理由とは?」及びはまれぽ2017年3月6日記事「【後編】「横浜高校の指定バッグ」が女子高生の間で大流行中の理由とは?」において、横浜高校の指定バッグ(通称:横高バッグ)を使用する女子高生は、「「(みんなが持っているから)憧れ」「女子高生っぽい」「コンパクトな見た目以上に荷物が入る」など」の理由で、「入手経路は横浜高校に通う友達に買ってくるように依頼したり、オークションやフリマアプリで購入したりと、あらゆる手段を用いて手に入れて」おり、これに対し、学校側は、盗難や悪用を心配し、「不必要に横高バッグが世に出回らないよう、ネットオークションやフリマアプリなどで販売する行為を校則で禁止」するなどの対策をとっているものの、卒業等のためこれを完全になくすことは不可能であるため、「うちの学校のカバンが広く知れ渡っているということで、とりわけ悪い気はしていません」とコメントし、事実上容認または黙認している現状を記載している。
  82. ^ 「バッグでイケてる男子とのつながりをにおわす。有名男子校の指定バッグを持つのがステイタスだった。写真は当時「顔面偏差値No.1」といわれた昭和第一高校のもの。女子高生の間ではルイ・ヴィトン並みの価値を持つといわれた!」(内田静枝『ニッポン制服百年史――女学生服がポップカルチャーになった!』、2019年、p51)
  83. ^ a b 秋田県で、東京の高校のスクールバッグが人気があると報道する記事がある。また、東京のスクールバッグを販売する秋田のリサイクルショップの店主は「芯を抜いたり、洗濯して、使い込んだ感じを出してから使用するのだそうです」と語っている。(「ブランド感覚、中高生に人気 東京のスクールバッグ」『朝日新聞』2006年2月18日、朝刊、秋田全県・2地方面、p30)
  84. ^ 「巨大なヒマワリの造花をカバンに差す女子高生(「情報のハウリング」によって増幅された制服ファッションの例(1997木更津))(森伸之「東京的女子高生ドレスコードの発生と終焉」内田静枝編著『ニッポン制服百年史――女学生服がポップカルチャーになった!』、2019年、p72)
  85. ^ ある女子高生は、友達の出身中学指定の学生かばん(紺のナイロンバッグ)を使用し、「ローマ字の校名とアンパンマンマスコットが私らしさ。みんなと同じだけど、微妙に違うのが大事なんです」と語っている。(「『なんちゃって制服』増殖(「制服」異変 女子高生は今)」『朝日新聞』2003年4月15日、朝刊、23面。)。


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