ジャン・フランソワ・カルトーとは? わかりやすく解説

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ジャン・フランソワ・カルトー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/27 13:54 UTC 版)

ジャン・バティスト・フランソワ・カルトー: Jean Baptiste François Carteaux, 1751年1月31日 - 1813年4月12日)は、一介の画家からフランス革命を機に将軍になった人物である。南仏の反乱に際してマルセイユの鎮圧に活躍し、1793年トゥーロン攻囲戦において、若き日のナポレオーネ・ブオナパルテ大尉[1]の上官であったことで知られる。


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  1. ^ カルトーとナポレオンが最初に出会った当時の階級。ナポレオンはトゥーロン攻囲戦の途中に少佐から旅団長まで昇進した
  2. ^ この絵画は、現在、ヴェルサイユ宮殿に収蔵・展示されている。カルトーが画いた当時の報酬は6,000リーヴルであったという
  3. ^ 臨時に南方軍と命名されたが、後にイタリア方面軍に編入
  4. ^ 師団長の意味。革命フランスでは将軍に等級はない
  5. ^ ジャン・フランソワ・ド・ラポワプ。姓はラポワプまたはラ・ポワプ。元侯爵で、前の軍司令官ブリュネ将軍の参謀長であった。そのブリュネはバラスとフレロンの讒言によって逮捕・処刑された。そういう経緯から、政治的理由で昇進したカルトーを嫌って協力せず、終始、別行動を取った。カルトーの後に一時的にイタリア軍司令官を務め、デュゴミエ将軍とはもともと同僚の間柄。(Jean François Cornu de La Poype
  6. ^ 先遣隊のみ。部隊が全部到着したのは9月7日
  7. ^ エスキュード、フレロン、バラス、ガスパラン、ルボー、アルビットの6名
  8. ^ コルシカ出身の国民公会議員。ジョゼフ・ボナパルトはこの頃、彼の秘書を務めていた。しばしば意見が合わなかったので、ナポレオンとの関係は必ずしも良好ではなかったが、トゥーロン攻囲戦の時には後ろ盾となった
  9. ^ 「Loterie nationale française」


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