ジャカード織機
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ジャカード織機(ジャカードしょっき)は1801年、フランスの発明家ジョゼフ・マリー・ジャカール(ジャカード、Joseph Marie Jacquard)によって発明された自動織機である。
- ^ a b c エリック・シャリーン『図説 世界史を変えた50の機械』2013年、原書房 ISBN 9784562049233
- ^ 加太宏邦「荷風の周縁世界編制:銀行時代の荷風をめぐって」『法政大学多摩論集』第27巻、法政大学多摩論集編集委員会、2011年3月、 35-81頁、 doi:10.15002/00007418、 ISSN 09112030、 NAID 120003221942。
- 1 ジャカード織機とは
- 2 ジャカード織機の概要
- 3 日本への導入
ジャカード織機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 01:53 UTC 版)
ジャカード織機(Jacquard loom)は、織物をパターン通り仕上げるためにパンチカードを使用した最初の力織機である。それまでは複雑な文様を織ることは難しく、中国では紀元前後には提花機(ていかき)または花機(はなはた)とよばれる特殊な織機で錦(ブロケード)を織って世界へ輸出していた。この織機では、体重の軽い子供が織機の上に引き上げられ、経糸の複雑な上げ下ろしを下からの指示通り行って文様を作っていた。日本には奈良時代に輸入され、桃山期以降、空引機(そらびきばた)という名で西陣など各地で使われた。17世紀にはヨーロッパにも紹介され、ドロー織機(ドロールーム、draw loom)とよばれる、織機の横に高いはしごが付いて「ドロー・ボーイ」(drawboy)と呼ばれる子供(児童労働者)が上に登れるものになった。 1800年代、フランス人ジョセフ・マリー(ジョセフ・マリー)は穴を開けたカードを使って、穴の有無で上下する金属針と一個一個のシャフトを連動させてシャフトを個別に上下させ、カードで指示された経糸だけを開口させ横糸を通してカードで指示されたとおりの模様を自動的に織ってゆく織機を開発した。最初は人力であったが、後に力織機に応用され、一度カードをセットするとすさまじい速さで緯糸を織ってゆくことができるようになった。また、このパンチカードが解析機関など、コンピュータの祖先といわれる19世紀の計算機に応用された。その後、ジャカード織機はパンチカードに代わりコンピュータを用いるようになる。
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ジャカード織機
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ジャカード織機(Jacquard loom)は、織物をパターン通り仕上げるためにパンチカードを使用した最初の力織機である。それまでは複雑な文様を織ることは難しく、中国では紀元前後には提花機(ていかき)または花機(はなはた)とよばれる特殊な織機で錦(ブロケード)を織って世界へ輸出していた。この織機では、体重の軽い子供が織機の上に引き上げられ、経糸の複雑な上げ下ろしを下からの指示通り行って文様を作っていた。日本には奈良時代に輸入され、桃山期以降、空引機(そらびきばた)という名で西陣など各地で使われた。17世紀にはヨーロッパにも紹介され、ドロー織機(ドロールーム、draw loom)とよばれる、織機の横に高いはしごが付いて職人が上に登れるものになった。 1800年代、フランス人ジョセフ・マリー・ジャカード(ジョセフ・マリー・ジャカール)は穴を開けたカードを使って、穴の有無で上下する金属針と一個一個のシャフトを連動させてシャフトを個別に上下させ、カードで指示された経糸だけを開口させ横糸を通してカードで指示されたとおりの模様を自動的に織ってゆく織機を開発した。最初は人力であったが、後に力織機に応用され、一度カードをセットするとすさまじい速さで緯糸を織ってゆくことができるようになった。また、このパンチカードが解析機関やタビュレーティングマシンなど、コンピュータの祖先といわれる19世紀の計算機に応用された。その後、ジャカード織機はパンチカードに代わりコンピュータを用いるようになる。
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ジャカード織機
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「ジョゼフ・マリー・ジャカール」の記事における「ジャカード織機」の解説
詳細は「ジャカード織機」を参照 ジャカード織機は穴を開けた厚紙を使った機械式織機であり、厚紙の1行が織物のデザインの1行に対応している。厚紙には多数の穴の列が開いていて、それをデザインに従って順番につなぎ合わせて使う。Basile Bouchon (1725)、Jean Falcon (1728)、ジャック・ド・ヴォーカンソン (1740) の発明を踏まえた発明品である。 ジャカード織機について論じるには、機織りについての基本知識が必要になる。一片の布を作るには、まず縦糸を矩形の枠に張る。無地の布を作る場合、縦糸を1本おきにわずかに持ち上げる。その隙間に横糸を縦糸に対して直角に通す。次いで持ち上げていた縦糸を下げて、逆に持ち上げなかった方の縦糸を持ち上げ、横糸を逆側から同じように通す。このプロセスをずっと繰り返すことで布が織られる。 縦糸を持ち上げるパターンを変えると、布の質感を変えたり、色を変えてパターンやデザインを布に与えることができる。縦糸をどう上げ下げするかを手作業でやると、非常に時間がかかり間違いやすい。ジャカード織機はこれを自動化することを意図したものである。 このプロセスを自動化しようとしたのはジャカールが最初ではない。1725年、Basile Bouchon は通常の織機にセットする穴を開けた幅広い細長い紙のアタッチメントを発明し、それによって持ち上げる縦糸を選べるようにした。Bouchonの発明の基本はフックの並んだ機構にある。穴の開いた紙はフックの列に対面する穴の開いたシリンダーにセットされる。そしてフックを押し付けると、紙の穴に対応したフックは縦糸を持ち上げる紐を引っ掛けることができ、穴の開いていない部分に当たったフックは単にすべって縦糸を持ち上げられない。こうして、紙の穴に対応した縦糸だけを持ち上げるのだが、これで操作できる縦糸の本数は少なく、発明は失敗に終わった。 1737年、リヨンの絹織りの親方 Jean Falcon は Bouchon の機構を改良して扱える縦糸の本数を増やした。彼が開発したアタッチメントは紙の幅を広くし、フックを複数行配置して、紙上の複数行の穴を1回の織りに対応させることで扱える縦糸を増やしたものである。紙はBouchonと同様にシリンダーにセットする必要があった。この織機はある程度成功を収め、1762年までに約40台が売れた。 1741年、自動人形で知られるフランス人発明家ジャック・ド・ヴォーカンソンは、絹織物工場の検査官となった。1747年から1750年にかけて、彼はBouchonの機構の自動化を試みた。縦糸を持ち上げるフックは長いピンを押し付けることで働くようになっており、穴の開いたシリンダーに選択的に穴の開いた紙をセットし、ピンをそこに押し付ける。穴があるとピンはそこを通過してフックを動作させ、穴が開いていない位置のピンはフックに到達できない。ヴォーカンソンの最大の改良は紙を1つずつ送り出すラチェット機構を追加した点である。しかし、ヴォーカンソンの織機も成功には至らなかった。 イギリスと競合していたフランスの繊維産業を元気付けるため、1802年からナポレオン・ボナパルトはリヨンに大量の絹織物を注文し始めた。1804年、リヨンの絹商人 Gabriel Detilleu に頼まれ、ジャカールはフランス国立工芸院に展示されていたヴォーカンソンの織機の研究を開始した。そして、ヴォーカンソンの織機で使われていた細長い紙をやめ、Falconの使っていたパンチカードを使うようにした。 ジャカード織機の可能性は即座に認識された。1805年4月12日、ナポレオン夫妻がリヨンを訪れ、ジャカールの作った織機を見学している。1805年4月15日、ナポレオンはジャカード織機に関する特許をリヨン市に与えた。その見返りとしてジャカールは生涯続く3000フランの年金と、1811年まで織機が1台売れるごとに50フランのロイヤリティを受け取ることになった。
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